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「生きものの記録」は記録されたか(上) よりつづく 恐怖を記録すること、記録しないこと ホイットニー・ビエンナーレをダシにして僕が書いた、ニューヨークが核攻撃にあうという近未来ディストピア小説の一節を紹介したが、本人の(美術館での)恐怖体験が書くことによってますます増幅し、自分で創ったフィクションだと思いつつも取り返しのつかないほどの恐怖のどん底にまで落ちこんでしまった。今まで観たヒロシマ/ナガサキの映画の凄惨なシーンがこの摩天楼の街の風景とダブりながらよみがえる。 すぐそばの国連で行なわれている核拡散防止条約・再検討会議で核兵器の量を大幅に減らそうとして被爆者の方々も努力されているのに、縁起でもねぇ、とんでもない被害妄想の戯言だ、とお叱りをうけそうだが、実はこのニューヨークだけでなく、世界中のどこに住んでいても核攻撃される可能性はおなじだけ存在し「いまさら、そんなこと」と笑い飛ばされる御仁のご意見の詳細をお聴きしてみたいものだ。 グローバリゼーションが進行し、国家の軍事枠組みが希薄になり、民族の対立も減少しているように思うことのほうが妄想なのではないか。冷戦時代、核戦争の勃発が最終戦争すなわち人類の絶滅と終焉を意味していたときの方が、現在よりも核戦争発生の確率はむしろ小さかったように感じる。おなじような想いがブログ世に倦む日日氏の記述にもある。21世紀の現在のほうが地球星のあちこちで核戦争の危機が高まっているのではないだろうか。イスラエルとイラン、そしてインドとパキスタン。そして世界経済の動きにあわせて異常に流動化している政治状勢は、一触即発、その他すべての国に同様の危機が降りそそぐ可能性をもつ。 沖縄の米軍基地をどこにどのように動かすか、本土のどの土地でも猛烈な反対運動が起こるのは当然で、そこに住む人びと全員の下意識の延長線最終ライン上には65年前から「核」という恐ろしい超戦争による終末イメージが強力にインプットされているのだ。敗戦の直接原因になった米軍による原爆投下は、列島の全員をすくみ上がらせ、その65年後の次世代になっても日本政府にはアメリカにまともに声をだす人物すら皆無というていたらくである。ほとんどの本土人がそんな下意識に頬かむりをさせて知らんふりをしているが、この下意識が表面化している残りの人びとには、ふたつの相反する結論が生まれている「基地反対」と「基地賛成」。どちらが最終的にそうした恐怖を完全に取りのぞく道か、考える以前に結論は出ているとは思うのだが。 — 21世紀には「地球社会化」(グローバリゼーション)が進行し、猛烈な力で噴出するこの内的エネルギーは相対立する「文化的枠組み」を両方とも破滅させてしまうこともある。 これは93年、世界の良識から惜しまれつつ逝かれた井筒俊彦氏の晩年の講演からの言葉だが、現代社会の混迷を見事に言い当てている。 — 性急なグローバリゼーションによって、世界に異常な一様化と多様化が同時に進行し、その根底を支える民族の文化的枠組みの崩壊、時にはまた、両者を非常に安易な妥協と強調に導いて、いわゆる文化的相対主義に陥らせてしまうこともある。しかもそれがもし「地球社会」的規模で起れば、当然、創造的エネルギーを喪失し、去勢され無力化された多数の文化の並存という、まことに生ぬるい多元論的状況が成立するのがせいぜいのところである。 ふたつの設定のどちらもが21世紀の現代世界を的確にいい当てている。後者のほうがまだしも「平和的な収束」のように感じる部分があるが、多数の文化が去勢され無力化されたまま「生ぬるい」多元霊界をさまよいつづけるわけはなく、どちらの場合も最終的に一触即発で終末をむかえる世界を暗示している。 5月11日には、国連の条約再検討会議にあわせた日本からの反核運動の一環として、カナダ・トロント在住のユキ・ナカムラ(中村ゆき)監督の「ノーモア広島ノーモア長崎」の上映があった。バンクーバーの映画祭で最高賞を受賞したこのドキュメンタリー映画では、いままでさまざまな映画で顔なじみの被爆者の方々が登場され、ちがった語り口で核の恐怖をあらためて訴える。2日のデモの先頭で車椅子の行進をされた前出のナガサキ被爆者、下平作江さんの数々の実に悲惨な体験が今更に恐怖を誘う。 そして日系カナダ人二世のジョー大堀さんの場合は、外国に生まれ育った被爆者という特殊な状況が、観客によりいっそうの悲壮感を感じさせる。両親のどちらかが白人であることをしのばせる彫りの深い顔立ちから、流暢な日本語で発せられる被爆体験の言葉は、戦争というもののもつ多くの矛盾を引き出している。 以下、ナカムラ監督によるメイルでの、ジョー大堀氏に関する説明をそのままなぞる。 その当時、移住者の多くは「子供の教育は日本がいい」と信じ、ジョー大堀さんの両親も子供を日本へ送った。ジョーさんは6歳から14歳まで、広島で勉強したという。 その日、ジョーさんは疎開先への切符を広島駅に買いに行くところだった。広島駅行きの市電がなかなか来なかったので、反対方向の市電に乗った。(グルッとまわって広島駅に着く方法を選んだ。)もし広島駅行きの電車に乗っていたら、即死だったと語られている。かれは広島駅とは反対方向の電車に乗ったので、命を取り留めたわけだ。爆発の瞬間、目が見えなくなった。偶然遭遇した同級生は足をやられていて歩けない。目の見えないジョーさんがその足の悪い同級生を抱いて運びながら、その友人の目を使ってなんとか逃げ延びた。途中火事のなかに子供をとり残した母親に救命を頼まれるが、火の勢いが強くおまけにかれは目が見えないのでどうすることもできない。最後にその母親はかれら中学生二人がちからづくで必死に押さえたにもかかわらず、それを振り切ってわが子を救うため業火のなかに飛び込んでいったという。すぐに建物は崩れ、かれら中学生二人は呆然とそれを見ているしかなかった。ジョーさん自身は目が見えなかったわけだから、ちからづくでとめたにもかかわらず、その母親の子を思う瞬発力には勝てず、手先から抜けていったかの女の身体に深い虚無感を感じたという。 ジョーさんは60年間、被爆体験について語らず、公共の場には全くすがたを現さなかった。ナカムラ監督は友人を通してかれが被爆者であることを知り、最初はインタビューを断られたが、原爆投下から60年目になってやっと応じられたという。 加害者である連合国側カナダにいたジョーさんのご両親は、広島に爆弾が落とされたと聞いてたいへん驚いた。ジョーさんが被爆したのではないかという心配のあまり、母親の黒髪は一晩で真っ白になった。ジョーさんは世にも複雑な心情を押さえ、ただその話を淡々とナカムラ監督に語ってくれた、という。 もうひとつ、この映画には核の加害国アメリカによる奇妙な、核被害にあったときのためのプロパガンダ・フイルムが何度も挿入されている。他国からの核攻撃に遭遇したとき、即座に近くにある白いシーツや、それもない場合は新聞紙でもいいから被ること、机の下のもぐること、それで核の被害はある程度くい止められます、と。放射能を浴びた子供の顔をすぐに水で洗いなさい、それも効果があります、と。 ナカムラ監督は米政府の資料室でいまだにフリーで貸し出されているこの種のフィルムの存在に首を傾げる。ソ連の核攻撃からの不安を緩和するためだったのか、フィルムを作った者たちがまさか本当に無知だったとは思いようもない。日本の被爆者たちの魂からの叫びからは、あまりにも隔たったアメリカの「恐怖からのその場かぎりの逃亡」に怒りを覚えた。右に掲げた冷戦まっただ中のプロパガンダ・ポスターには「それはここにも起こりうる、だから先にきゃつらを核ってしまおうぜ!」と書かれている。 おなじフィルムではないが、Survival Under Atomic Attack と題する 51年のフィルムをYouTubeで見つけた。日本への原爆投下から6年、朝鮮動乱でソ連の核攻撃が現実性を帯びてきたころの映画。人心の核への恐怖を和らげる目的なのだろうが、安易な核防災方法を説いていることにあきれかえる。どうか怒り狂わないで冷静に観てほしい。この時点の米軍・米政府は、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の悲惨で絶望的な状況を逐一入手していたはずなのに、あきれるほどに楽観的に語られている。「日本での被爆者は(この51年の時点で)すべて回復し、ノーマルに生活している、被爆者の子どもたちもすべて健康である」という信じられないナレーションが入っている。 http://www.youtube.com/watch?v=pDD9eufmqTk 未来への恐怖を縮小するために過去の恐怖を歪曲させる。本当は未来のために過去を恐れつづけ、その根本原因である「核」の廃絶をめざすべきなのに、この言葉が国際の舞台に登場するまでにも実に長い時間がかかった。昨年オバマのプラハ演説でかれの理念は世界の理念となり、やっとものごとの議論がはじまったように感じた。この演説から核廃絶が世界的な声になったことの意義は認める。しかしその言い出しっぺ、当のオバマのその後の言動は、現実政治の宿命であるかのように「裏の闇」を覗かせながら、その理念とはまったくちがう方向に舵を取っている。アフガン増派を決め、その足で出向いたノーベル平和賞受諾演説は、案の定支離滅裂だった。プラハの後、われわれ国民は完全に裏切られた。プラハ演説のなかでも「この目標は、すぐに達成されるものではありません。おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。達成するには、忍耐と粘り強さが必要です。」と釘を刺している。ではいったいだれの生きているうちにこの理念が達成されるのか。われわれの孫の世代か、それともまだ見ぬ曾孫たちのそのまた曾孫が達成するとでもいうのか。そんなに長く待っているあいだに、たとえ核戦争が起こらなかったとしても、核兵器の操作ミスなどが本当に起こりえないのだろうか。 いまなすべきなのは国連でいがみあいながら核兵器の数を減らし、それでも全人類を滅亡させるに充分な数をもちつづける議論をはじめることではない。そのような引き算の発想で、いちばん最後のひとつの「核」を捨てることができるとは到底信じられない。 たいせつなのは、たとえばこのナカムラ監督の映画や、被爆者たちの体験談のように、過去の恐怖を何度も何度も再現し、記録すること。核兵器を恐怖すること。それにより全人類の恐怖を増やしつづけ、その恐怖のマキシマムを記憶し、記録することではないか。自分のもつ恐怖の下意識に頬かむりし、核戦争なんてもうありえないよ、とうそぶく態度は、あるいは戦争に参加したり、基地に賛成するよりも深い原罪に繋がってしまうのではないだろうか。 オバマの現実政策にまったく賛同できないままに、すべては理念からはじまる、という信念に基づいて、かれのプラハでの演説のいちばん重要な部分をもう一度とりあげてこの稿を結ぶ。なぜならばかれは、この地球星の長い歴史でわれわれがもったあらゆる指導者のうちで、こんな理念を語りはじめた、まったくはじめての人物だからである。 しかし今、世界が変わることができないという声を取りあってはいけません。私たちは主張しなければなりません、Yes, We Can!と。 人類の運命は私たち自らが切り開いて創るものです。ここプラハで、よりよい未来を求めることで、私たちの過去を称賛しましょう。私たちの分断に橋をかけ、我々の希望に基づいて建設し、これまでよりも大きな繁栄と平和を、この世界にもたらす責任を引き受けようではありませんか。ともに手をたずさえれば、それを実現することができます。 ありがとう、プラハの皆さん。ありがとうございました。 http://www.youtube.com/watch?v=Dpyhl85MYmU&feature=related I shall be released lyrics & music by Bob Dylan covered by Joe Cocker @ Woodstock, 1965 They say ev'rything can be replaced Yet ev'ry distance is not near So I remember ev'ry face Of ev'ry man who put me here I see my light come shining From the west unto the east Any day now, any day now I shall be released They say ev'ry man needs protection They say ev'ry man must fall Yet I swear I see my reflection Some place so high above this wall I see my light come shining From the west unto the east Any day now, any day now I shall be released Standing next to me in this lonely crowd Is a man who swears he's not to blame All day long I hear him shout so loud Crying out that he was framed I see my light come shining From the west unto the east Any day now, any day now I shall be released Copyright ©1967, 1970 by Dwarf Music; renewed 1995 by Dwarf Music 「生きものの記録」は記録されたか(下) につづく Fun & Fun: 国連の再検討会議にからんで行事が多く、ユキ・ナカムラ監督との出逢いがあり、最初からのテーマと考えている黒澤明「生きものの記録」には今回もたどりつけませんでした。その映画の主人公のように、金魚本人が核の被害妄想に陥って抜け出られなくなるのではないか、と危惧していましたが、行事と考えるのに忙しくそれどころではなくなりました。このところつづいている五月晴れの天の下を歩いていると、まだこの世界に何万という核兵器が存在していることが嘘のようです。Imagine No Nukes のロゴをつくって貼りましたが、その前に各人のこころのなかにまず Imagine Nuclear War というロゴが必要だということです。もっともっと恐れることが、本当に澄み切った世界への入り口であるとの確信を深めます。
by nyckingyo
| 2010-05-18 03:02
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