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「生きものの記録」は記録されたか(下) よりつづく 国連潜入記 カリフォルニア・ベイエリア在住の旧友のアーティスト、加藤シオーご夫妻を案内しながら、国連ビルというところに実は生まれてはじめて足を踏み入れた。いうまでもないが「潜入記」といっても、忍んで潜り込んだわけではなく、単に「モグラ金魚」にからめた洒落である。 そのとき Mr. Shioh Kato はNY日本クラブギャラリーで「12の菩提心を描く」という個展をされていて、元書道家のかれが描く「万葉がな」で菩提のこころが書き込まれた作品にふれ、ふだんほとんど忘れがちの「菩提心」ということばを思い起こすこととなった。思い起こせば「菩提(Bodhi)のこころ」と発するそのことだけで、至極精神が安定し、まことにけっこうな自己のための心理療法であり、たいへん便利な対人ツールにもなっていることに気づく。わが禅定を導いていただいた臨済の師はことし沖縄に移住され、NJ西来禅荘はアメリカ人オーナーが老齢のため閉荘となった。ゆえに座禅という基本メディテーションすらもずいぶんごぶさたしてしまっている。たるんでいる。たるめば菩提のこころはアッという間に宇宙のかなたにまで亜光速で遠のいてしまう。その遠のいた菩提心が、ご夫妻がやって来たことで、北カリフォルニア・ネヴァダ・アリゾナの自然の風景とともに、この騒然都市によみがえったわけである。 加藤ご夫妻と談笑していると、ふと小さな菩薩が口から飛び込んでくる。そのときの僕はといえば、まさに馬鹿話をつぶやこうとした直前だったから、その小さな馬鹿は飲み込まれた菩薩とともにわが体内に戻る。ふと気がつくとご夫妻もけっこう馬鹿話を連発されている。気づいて僕も更なる馬鹿話を放つ(話す)。小さな菩薩はご夫妻の口から、僕の口からまたあふれ出して天女のように中空を舞う。六波羅蜜寺の空也上人の立像は、念仏を唱える口から六体の阿弥陀様を現出させているが、そんなたいそうな上人の口からでなくても、小さな菩薩はいつも人びとの談笑のまわりを飛びまわっているのだ。もちろん小さな鬼や悪魔のほうもたくさん飛び交っている。数は菩薩よりも鬼のほうが多いようだが、なに当方に菩提心が残っていればけっこう鬼だけを無視して菩薩のみと会話することもできる。 国連のことである。入口手前スタッフ用ゲートの奥には、巨大な聖ジョージがやはり巨大で醜悪な「核の腕」をもつドラゴンを、退治しておられるというありがたい彫像があった。聖者が踏みつけていまや息も絶え絶えのドラゴンは、アメリカ製のパーシングllとロシアのSS20という核搭載ミサイルの象徴で、セイントは巨大な十字架のついた槍でいまやトドメの一撃を喰らわせんとされております。「核廃絶」のために核の怪獣を「殺す」という発想がどこかついていけない感じもあるが、まあ最初からモンクばかり言わずおとなしく入りましょう。 ビルのなかでは厳重なボディチェックのあとにベルトをつけ直していると、目に飛びこんできたのはボロボロの国連旗。2003年イラク戦争時、バグダッドの国連事務局が爆破された時の記念品。後刻のツアーの解説員によると、イラク戦争はアメリカとイギリスが勝手にはじめた戦争で、国連は平和活動に専念していたのにその事務所をテロ爆破するとは言語道断、というわけである。「それでは湾岸戦争のときの国連多国籍軍というのはどういうことですか?」 と質問すると「あの時はイラクが一方的にクエートに侵寇してきたからやむを得ず、唯一多国籍軍を出した例です」という答え。 それまで仏教的菩提心の夢にひたり込んでいた僕たちが、平和の象徴であるはずの国連にとびこんだとたん、いきなり血なまぐさい「敵」の存在に目覚めさせられる。西洋二元論の片割れが明解に現出する。それもどうやら世界共通の平和の敵ではなくただアメリカの敵(あるいはアメリカが敵と決めた組織)なのではないか、と勘ぐりたくなるほど不思議な説明による敵であった。 人類の理念を集結し、地球国家に集結し、菩提心を集結し、真のグローバリゼーションを、核廃絶を。国連の趣旨はまことにけっこうけっこうなのだが、そのヘッドクオーターがこのバベルのような混迷の都市ニューヨークなんぞに存在するから、こんな混迷ぇことになるんじゃないのか。 たとえば西アフリカのマリの首都バマコ村のような場所に本部を置いてはどうだろう。アブデラマン・シサコ監督の映画「バマコ」のなかでは、村の集会所の土の中庭でマリの民謡に乗せて国際借款を討議している。すぐ横で村民の離婚調停もしている。マリは底抜けに貧乏だから国連になんかお金をゼーンゼン返せませーんよ、んだんだ。ここに国連本部をもってくれば地球中の最貧民たちの意識が手に取るようにわかる。何十億と蔓延したかれらの人類以前の生活を、どうやって救い上げるのか。ブルースの原典といわれるマリ民謡の魂の叫びが、そのことのみが現人類のするべきすべてではないか、と気づかせる。「ところでカク(核兵器)ちゅうモンがいまだに蔓延(はびこ)っとんじゃが、なんとかならんかのぅ」ひとりのブルース老人が歌う。「そんな馬鹿なもん造っとるヨユーがどこにあるんだべ? もう何日も何も食べとらんのに。」ブルース老婆が歌で答える。「カクなどやめるべぃ。捨てるべぃ。」そこでとなりの垣根を越えてウシさんがモーーゥと泣く。ここに必要なのはモーゥ菩提心ばかりで鬼とか悪魔とか、変なものが出てくるスキすらありませんのだ。 国連を訪れたのは五月末、核拡散防止条約(NPT)再検討会議がつづいていた時期だったので、広い一階ロビーでは広島・長崎からの原爆展の展示があった。ボロボロに焼けただれた被爆した子供服や、熱線でとけ出し変形したガラス、悲惨極まる多数の写真パネルなど、65年前の悪魔の所業の証拠物件が並んでいる。一瞬にして十数万人のいのちを消し去り、その後65年にわたって生き残った被爆者たちの苦しみはつづいている。まるでどこかの地方都市の公民館のように、だだっ広いロビーに置かれた歴史の負の遺産。隣には巨大なベニヤ板(一部はすでに剥がれている)に張られた安っぽいオバマの写真が、この11月にある中間選挙のためといわんばかりにのさばっている。 つい先ほどまで菩薩だけが飛び交い、鬼と悪魔はすべて無視し、幸せなフィーリングだった僕たちの会話に、いつのまにかまたたくさんのイーヴェル Evil(悪性・悪魔)が忍び込んでいる。僕たちの意識のなかに、かれらを無視できないほどの大きな憎しみがあふれ出したのだ。「お前たちはどこからきたのだ! 何者だ!」その叫びとはそこにあふれ出しはじめた原爆鬼が、僕たち人間に問いかけたように聴こえるが、実は僕たち自身のなかから出てきた鬼が声高に叫ぶことにより、相手の原爆鬼たちをも増幅させてしまうのではないのか。あの原爆を日本に落とした鬼に向かって「お前たちは鬼だ、悪魔だ!」と非難した瞬間、一瞬のできことなのに、もう僕たちのまわりからは菩薩の姿はなく、菩提心もきれいさっぱり消え去っている。 「5年前の前回再検討会議のときより観客の大きい反応がありました。」原爆展の係の女性はきれいな日本語で僕たちにほお笑みながら話してくれた。そのこと自身はそのまま好意的に捉えればいいはずなのだが、2002年にこの国連で同じ原爆展を企画したときに、当時の米国核政策の趣旨とあわない、残虐なシーンを子供の目にふれさせたくない、などという理由で断られたことを知っている僕の頭脳はどこかでひねくれる。ひねくれればまたちがう種類の鬼までが増殖する。 ほぼひと月の再検討会議が終わり、核廃絶の目標期限を削除した最終文書を採択しただけで、2014年まで、また無為の時間が過ぎることとなった。長崎の被爆者、谷口稜曄氏と下平作江さんも帰国された。このおふたりはカナダ在住のユキ・ナカムラ監督の映画 のなかでも出会い、僕にとっては二重のインパクトがあった。おふたりとも市内の各地で体験を語りつづけられたが、肝心の国連の公聴会ではアメリカ代表は欠席したという。アメリカではほとんど最後になるだろうかれらの叫びは、今回も若い人を中心にごく限られた人びとの胸にしか残っていないだろう。だがかれらの声をはじめて聴いたひとは必ず大きなショックを受ける。「人間と核兵器は決して共存できません」という下平さんの真摯な声は、だれのこころのなかにもある菩提心を揺り動かす。 下平作江さんはいう「今回が最後だった。私の話がどれだけのひとに伝わったかわからない。ただひとりでもふたりでものアメリカ人のこころにそれが伝われば、その方が必ず私たちの代弁者になって、核廃絶に向かって動いてくれるでしょう。」 だれだっていままでいなかった鬼や悪魔の姿など見たくない。ましてそれが自分たちのこころのなかに潜んでいたのだといわれれば、決していい気はしないどころか、反撥するしかない。原爆を日本に落とした国の民は、この話を聴くことすら逃げ腰になる。 南京の近郊から移民してきた中国人青年と、TVで大虐殺のフィルムを観たとき — まさに鬼のような日本兵が銃剣で生きている中国人の赤ん坊を串刺しにし、カメラに向かってニンマリ笑ったとき。フィリピン移民の老人がまだ幼少のころ、日本軍の少尉に父を惨殺されたと罵られたとき。僕の答え — いや、それは僕の父母の世代の、つまり、僕がまだ生まれていないずーっとむかしの、えーっと、あの、その。 この街に多くすむユダヤ人のなかには、マンハッタンのチェーン書店 Burn & Norble には、そこがドイツ系だという理由だけで、絶対に店内に入らないという(本好きの)おばあさんがいた。かの女の親族のおおぜいがナチによるホロコーストの犠牲になられたという。被害にあった側の民族の記憶とは、未来永劫というほどに怨念を抱きつづけるものなのだ。 そしてそれら怨念の鬼や悪魔を残し、生かしつづけなければ「核廃絶」などはたしてありえないのだろうか。映画「生きものの記録」のなかの喜一老人のように、核兵器を真摯に恐怖することは大切だが、その架空の敵からの核攻撃の恐怖を、強い想念できっぱりと押しのける精神力も必要なのだ。そのふたつが揃ったときはじめて、真の菩提心と呼べるわれわれの精神から、核廃絶の実行が可能となる。 悪魔をも救う菩薩心 1948年、まだ日本が原爆投下と敗戦のショックから立ちあがれなかったころ、湯川秀樹がノーベル物理学賞を受賞する前年のことである。湯川はマンハッタン計画の推進者オッペンハイマー博士からNJにあるプリンストンの客員教授として招かれた。オッペンハイマーはそのむかし、湯川が投稿した「中間子論」を一笑に付し、論文掲載を拒否したことがあった。また、自身が開発を指揮した原爆が3年前に日本へ投下されたことへの自責の念もあり、湯川をその世界トップクラスの研究所へ招いたといわれている。 湯川がプリンストンに到着すると、すぐに予期しなかった人物が訪ねて来た。やはりその研究所の終身研究員だったアインシュタインである。当時70歳に近かったアインシュタインは、湯川の両手を握りしめながら、その皺に囲まれた大きな目から大粒の涙をこぼして泣き出した。そして何度もこう繰り返した「原爆でなんの罪もない日本人を傷つけてしまった、どうか許してください。」 原爆はアインシュタインが1905年に発表した特殊相対性理論を基にした兵器、ということができる。E = mc2の公式(質量とエネルギーの等価性:質量が消失するならばそれに対応するエネルギーが発生する。エネルギーが発生する時にはそれに対応する質量が消失する。)は原子核に限らないのだが、原子核反応の観測ではじめて実証された。アインシュタインはナチスの迫害を受けてアメリカに亡命したユダヤ人であった。知り合いのひとりのユダヤ人物理学者が、ヒトラーが原爆の開発に着手したことを知って危機感を持ち、ルーズベルト米大統領に対して「絶対にドイツより先に核兵器を製造しなければならない」と進言した。アインシュタインは熟慮しながらもその上申書に最終的にサインをしてしまう。 1954年、死の前年にアインシュタインは「もし私があのヒロシマとナガサキのことを予見していたなら、1905年の公式を破棄していただろう」とくり返し語っている。 その後、湯川秀樹が情熱を傾けた活動に、現在の国連とはまったくちがう意味をもった「世界連邦運動」がある。これはかれがアインシュタインとともにプリンストン時代に話し合ってはじめた平和運動である。地球上を戦争の起こらない仕組みにするため、世界を連邦にする以外に道はないというのが、二人の結論であった。真の地球共同体のヴィジョン、それは悲惨な世界戦争体験をした湯川の世代全員の夢でもあった。 最後に「原爆の父」という称号で呼ばれる技術的開発者、オッペンハイマー博士の話に戻る。1945年7月、かれはニューメキシコで史上初のトリニティーの核実験に成功した。その後完成させた実戦用の2個の原子爆弾は、広島に投下されたリトルボーイと長崎へのファットマンである。トリニティーの実験結果に対してかれはたいへん満足げだったが、それらが現実に広島と長崎に投下されその惨状が伝えられたあと、心境が複雑に変化していく。やがて、核兵器開発に否定的になり、ロビー活動を行い、かつソ連との核兵器競争を防ぐために働きはじめた。ときすでに朝鮮動乱、米ソ冷戦期を迎え、核は核融合反応による水素爆弾の舞台へと進化していたが「水爆の父」ことエドワード・テラーとも対立することになる。冷戦を背景に、マッカーシーが赤狩りを強行したとき、妻・弟夫妻・大学時代の恋人がアメリカ共産党員であり、オッペンハイマー自身も集会に参加したことが暴露され、危険人物と認定され、公職追放になった。私生活も常にFBIの監視下におかれるなど生涯にわたって抑圧されつづけることになる。 弟のフランクが後日ドキュメンタリー The day after Trinity のなかで語っているのは、かれは世界中どこにも使うことのできない超強力な新兵器を見せることで、人類の戦争というものをすべて無意味にできるのではないかと考えていたということである。人々が原子の破壊力を目の当たりにしてもなお、いままでの通常兵器と同じように扱ってしまった、とオッペンハイマーは絶望していたという。 湯川博士やそれにつづく日本の学者をアメリカに招聘したころから、オッペンハイマーの容貌は実年齢よりはるかに老けて見えたという。被爆国日本、その多数の被爆者への贖罪意識がより強くなっていくのが目に見えるようだ。 オッペンハイマーは、自らが開発した核兵器の廃絶を訴えながら、この世を去った。 晩年のTV番組での実に悲しげな告白がある。かれのその表情には、核の脅威に最後には気が狂ってしまった映画「生きものの記録」での三船敏郎演じる喜一老人の表情とまったくおなじものを感じてしまう。 http://www.youtube.com/watch?v=n8H7Jibx-c0 オッペンハイマー:もはや世界はいままでと同じではなくなった。ほんの少数のひとはそれを笑う。ほんの少数のひとはそれを泣く。そしてほとんどのひとはそのことに沈黙する。 私はいま、ヒンドゥーの聖典「バガヴァッド・ギーター」の一節を思い起す。ヴィシュヌ神は馬車のなか、敬愛する叔父一族の軍隊と対峙しているアルジェナ王子に向かって、啓示する。 Were to burst at once into the sky, that would be like the splendour of the Mighty One. もし天空に千の太陽の輝きが同時に発生したとしたら、 それはこの偉大なお方(ヴィシュヌ神=クリシュナ)の輝きに等しいかもしれない (バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳 岩波文庫 第11章12節) そしてオッペンハイマーはほとんど涙ぐみ、放心の表情のまま、最後の部分をやはりバガバッド・ギーターの他の節から引用し「世界の終わり」が近づいていることと、かれの奥深い心情を語る。 The shatter of worlds… 私は世界を滅亡させる強大なカーラ(時間・死)である 諸世界を回収する(帰滅させる)ためにここに活動を開始した。 たといあなたがいないでも、敵軍にいるすべての戦士たちは生存しないであろう (バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳 同32節) * 金魚註:ここで英語のDeathと訳された単語は、サンスクリット原典ではKala カーラ = 時間・運命・死、を意味する語。ギーターには一見矛盾する能動受動の融合した記述が多くあり、英訳されたものだけで判断すると誤解を招くことがある。オッペンハイマーは、この節の冒頭の行を読み、Deathという単語から自身のネガティヴな心境を聖典に託したと思われる。 オッペンハイマーはこの文の途中で口を閉ざしてしまうが、このあとの原典のこの節は、ヴィシュヌ神がアルジェナ王子に戦闘を鼓舞する実に過激に攻撃的な文章となる。 「かれらはまさに私によって前もって殺されているのだ。あなたは単なる機会*(道具)となれ。(*機会=nimitta: 敵たちはすでに死ぬ運命であるが、直接的に手を下す者が必要である。アルジェナにその役割を果たせと命じているのである。—上村 訳注)アルジェナよ。かれらはすでに殺されているのだが、あなたは(さらに)かれらを殺せ。おののいてはいけない。戦え。戦闘においてあなたは対抗者たちに勝利するであろう。」とつづいている。 「かれら」という敵は,王子の叔父など具体的な人名をあげて書かれているが、アルジェナ王子のなかにある悪魔(=オッペンハイマーが原爆を製造してしまったことと同義)とも解釈できる。原典の大きな流れは、創造神であるヴィシュヌが、アルジェナ王子の意識を世界を変革する攻撃性に向かわせる主旨なのだ。ただ異常に攻撃的なヴィシュヌ神の言葉の節を、あえて選んだところに,当時のオッペンハイマーの精神状態が、すでに分裂症かひどい被害妄想に陥っていたのではないかとも推測できる。当代随一の科学者の頭脳は、あわれ完璧に崩壊してしまった、というのが僕の正直な感想である。 バガヴァッド・ギーターはわれわれの内部に猛烈なエネジーを吹き込む啓蒙の古典である。僕にとっても長年の座右の書であるが、ニューヨークというこの街にどこか似て、エネジーの足りない時期のひとが挑戦してもはじき飛ばされてしまうようななにかがある。 原爆の製造開発者自身が、核廃絶のために新たな戦いをはじめる、という意志は高く評価してもいい。ただオッペンハイマーの場合はその次なる戦いのための気力がほとんどすべて過去の業(カルマ)のために吸い取られてしまっていた、と書くことは、かれにとってはあるいは過酷にすぎるのだろうか。 ここで僕は、オッペンハイマーやアインシュタインの免責を請うているのではむろんない。ただその悪魔の兵器の開発者たちが異常なほどに感じてしまった贖罪感を認め、それを包括するより大きな「菩提のこころ」が、僕たちのより多くに生まれつづければ「核廃絶」という理想郷によりはやく近づくのではないかと考えるのみである。どの宗教を信じているとかいないとか、イデオロギーが右だとか左だとかはいっさい関係がない。ひたすら異常に増殖した人類のイーヴェルを縮小させるため、正常な道に戻すため、戦えるコスモロジーをもった同志が必要なのだ。 オバマや僕たちの生きているうちに「核廃絶」が実現するという確信をもち、被爆者の方たちとともに祈りつづけたいと思う。それがなったとき、僕たちの意識のなかにはじめて「全生きものの記録が記録された」と胸を張っていうことができる。 ひとが菩提のこころを保ちつづけることにも、忍耐と戦いとそして過酷なる旅がある。最後まで読んでいただいた、その過酷なる旅を歩みつづけている同志のあなたに、あなたのなかの菩提心に、こころからの敬意と感謝を感じています。 金魚のFun & Fun: 核戦争の恐怖をテーマにしたすべての映画のなかで,僕が最高傑作と思っているタルコフスキーの遺作「サクリファイス」のことを書こうとして、なかなかタイミングがあわないでいます。 今年3月に「惑星ソラリス」を含めたタルコフスキーの3部作をダウンタウンのフィルム・アーカイヴ(東京における岩波ホールのような劇場)で観なおすチャンスがありました。次稿はこの半年にわたった長すぎた連載稿「惑星ソラリスの海に泳ぐイカ」のまとめに、20世紀最高の映画作家・タルコフスキーをより深く書いてみるつもりです。 次稿と重複することになるかもしれませんが、この遺作「サクリファイス(犠牲)」についてタルコフスキーが語った次のことばが、この稿のオッペンハイマーやアインシュタイン、そして被爆者の谷口稜曄氏と下平作江さん、そのほか核廃絶の運動をしている方々を結ぶ細い糸のような気がしてなりません。キリスト教的「菩提のこころ」。 この分断された世界でひととひとがいかに理解しあえるか。互いにゆずりあうことでしかない。自らをささげ、犠牲とすることのできない人間には、もはや何もたよるべきものがない。私自身が犠牲をなしうるか? それは答えにくいが、そうなれるように努力したいと思います。それを実現できずに死を迎えるのは実に悲しいことです。 — アンドレイ・タルコフスキー パンドラの蓋が消えたにつづく
by nyckingyo
| 2010-06-20 01:01
| ソラリスの海に泳ぐイカ
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