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監獄に座りこんで Sitting Here in Limbo セントラルパークに夏が来た。レゲエの夏が来た。 昨年のサマーステージは、象牙海岸からやってきたアフリカのラスタファ、アルファ・ブロンディ Alpha Blondy だったが、今年はレゲエの創始者のひとりと言ってもいい、あのジミー・クリフ師 Jimmy Cliffが、ジャマイカからやって来た。 炎天のつづくニューヨークだが、若さを吸収するための金魚の予算ゼロ作戦の夏休みはつづく。(なんだか老いた吸血鬼のようですねぇ。) 芝生にできた長い列に並んでいるあいだ、若きジミーがあの映画「ハーダー・ゼイ・カム The Harder They Come」のなかで歌った名曲「Sitting Here in Limbo 監獄に座りこんで」を、はやばやと口ずさんでる。 Sitting here in limbo, like a bird without a song Well they're putting up resistance But I know that my faith will lead me on 「レジスタンスで入れられたんだぜ! they're putting up resistance! テロなんかじゃねえぜ! 奴隷解放だぜ!」と、ちょっと不良ことば風につぶやいてみると、不思議なことにこの世の過酷な状況が少しだけスンナリして見える。お天道さまはあいかわらず南中しきっていてギンギンだが、喉もとを涼しい風が吹いていくでねえの。 マンハッタンのアパートなんて、トーキョーから来たアニさんはマンションだとか、やれコンドだとかお城だとか呼んでくれるが、こりゃまぎれもねえ監獄だぜ、牢屋だぜ。ガキが落っこちねえように鉄格子も張ってあるし、家賃さえはずめばごていねいなことに制服を着た看守が玄関でいちいちチェックしてやがる。スーパーと呼ばれてるがゼンゼンすごくねえ管理人がちょこっと水道管を治すかわりに、毎月厳しく法外な家賃を取り立てる。その法外な家賃のために、来る日も来る日も日がな一日、過酷なロードーをくり返す。 まだ独房外労働のサラリーマンというクラスになれば、シャバの空気を嗅げて気分転換もできるが、俺のようなフリーランスのデザイナーなんちゅうのは最悪だぜ。仕事が忙しくなると独房の隅にあるトイレにもろくろく行けゃしねえ。PCというネットのビッグマザーに直結した機械に四六時中へばりついていなくちゃなんねえ。セコき悲しきリンボ暮らし。 辞書によるとLimboは、監獄/古聖所/天国と地獄の中間の場所、とある。あのリンボダンスの格好も、地面のほうにひっくり返って地獄の底に堕ちないように、かといって立ちあがって天国にまで飛んでいきすぎないように、ちょうどその真ン中のビミョーなる位置を彷徨う人類の普遍的すがた、ちゅうわけだ。 やっぱ、そのビッグマザーのまだ先にいる鬼のようなクライアントからお許しが出て、自由時間というものをもらい、このようにパークの緑に寄り添ったときの幸福感ったらないぜ。この不自由な総リンボ都市から脱走しない唯一の理由は、このパークがあるからかもしれない。独房だらけの摩天楼の人間たちをまわって疲れたあと、パークの緑と憩う。だがそこも決して樹木や鳥やリスだけの自然じゃなく、うようよと人間どもがかたまってやがる。ときには樹々の数より多いぐらいにね。所詮監獄の外にある「庭」でしかない。オレゴンの森をトレイルしているように一日歩いてもだれにも会わない、などという本格的自然などどこにもない。でも、その中途半端さが得も言われずいいんだね。どこにいても人間臭い。人間万歳! 俺みたいにリンボ暮らしが長くなると、そんな人間動物園すべてを「カインド・オヴ・自然」と呼んじゃえるもんな。うようよ人間がいねえとこに行くと、かえって落ちつかねぇや。ここはやはり、巨大リンボ都市=天国と地獄の隙間にある煉獄、なのさ。 わけのわからない前座バンドがふたつもやったあと、大歓声とともにジミーがでてきたのは5時を過ぎていた。日本だと夕方という時刻だが、夏時間でおまけに緯度の高いニューヨークの太陽は、あいかわらず激しく燃えっぱなし。当時の不良レジスタンス少年もさすがにルックス老けたね、と感じたとき、太陽はそのままに天から恵みのお湿りがほんの少し。あぁやれやれ、主は水滴を天国にもリンボにも平等に降らせたまう。さて舞台では、いきなり激しいレゲエのリズムとともに、出ました!まさにその「監獄に座りこんで Sitting Here In Limbo」だぜ。 Jimmy Cliff - Sitting In Limbo 72年の映画「The Harder They Come」のなかでは、同時代に出てきた若きマイケル・ジャクソンもマッツァオの澄んだ高音ヴォーカルだったが、目の前のジミーの声にはその何倍ものエネジーがある。さらにハリのある高音に導かれ、われわれは全員このリンボ都市の外へと瞬間移動する。音楽のちからによる合法的脱獄。やったぜ、われらが英雄ジミー! おりしも三日あとの7月14日はパリ祭。パリの民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し、なかの囚人を解放したというめでてぇ記念日だ。このタイムマシンは20代の若きジミーを超越し、ここセントラルパークのレジスタンスの旗のもと、世界中の永遠の青年たちのこころによみがえる。イェィ! 地球星を救え! Save Our Planet Earth 「わがふるさとジャマイカ島の自然をイマジンしてほしい」「イェィ」「そこにはブルーマウンテン山脈の豊かな森があり、太陽が常に燦々と輝き、そしてあのみごとに美しい海岸線!」「イェィ」「ルイジアナから来たヤツはいるか?」「イェィ」「俺もマイアミに寄ってきたが、その海岸がいまどんなになってしまったか、見たか。一面どろどろの原油の海なんだぜ。」一同突然「シーン」「なんということだ、この星はあんなに美しかったのに」。 そして次の曲が、おごそかにはじまった。 Jimmy Cliff Live - Save Our Planet Earth コンサート会場の大観衆を西と東のふたつに分け、それぞれに「Save Our Planet Earth —」をリフレインさせる。ジミーの大先輩にあたるジャマイカ系アメリカ人歌手、50年代のハリー・ベラフォンテの用いた古典的手法である。 「Save Our Planet Earth —」シンプルなスロー・メロディーをくり返し口ずさむ観客は、腕を大きく振ってそれぞれ西からの潮(Tide)、東からの潮、に分かれてこの地球の大洋(セントラルパーク)を揺れ動く。われわれはこの地球星の一分子にすぎない。われわれの欲望で海を汚してしまったのなら、一刻も早くわれわれがきれいにもどさねば。そしてそのような欲望をReduceできる方法を早く考えねば。 「Save Our Planet Earth —」それは決して科学のちからからは生まれない。われわれが、あるいはイカのように、あるいは海水の一滴のように、たゆたいながら動き、この星の一員にすぎないことを自覚しつづけることだ。 ヴェトナム、そしてアフガ二スタン Vietnam, and Afganistan now 次の曲はマーチ風レゲエ「ヴェトナム」。この曲はジミーが「ハーダー・ゼイ・カム」に主演するまえにイギリスにいたころ70年の作品。この悲惨な30年戦争のピークを迎えた時期で、悲劇の舞台ヴェトナムは最大幅、最悪の地獄と化していく。世界中でこのアメリカの理不尽で矛盾に満ちた長期攻撃に対して大きな反戦運動が広がっていった、ちょうどその時期である。 ジミーはヴェトナムに侵寇した海兵隊員よろしく、舞台いっぱいに軍隊式歩行をくり返しながら「ヴェトナム!ヴェトナム!」を叫ぶ。 そしてセカンドコーラスは、オリジナルにはない「アフガニスタン!アフガニスタン!」の連呼に変わる。9-11のあとアメリカがアフガン領土に介入してからもはや9年になる。それよりうんと以前、1979年にソ連軍が侵入して以来、反ソ連ゲリラ(ムジャーヒディーン)、そしてターリバーンによる支配、とアフガニスタンは何十年も国土全体が戦場でありつづけた。30年戦争のヴェトナムとほぼおなじ様相を呈している。 Jimmy Cliff – Vietnam 会場にいる全員が、ジミー大隊長の歩き方(踊り方)を真似て激しく行進する。「アフガニスタン!アフガニスタン!アフガニスタン!アフガニスタン!」。その行進のさまはヘルマンド州に駐屯する米海兵隊の一個師団を連想させるが、実はとんでもない。ひとりづつの表情をよっく見てごらん。全米軍をアフガニスタンから撤退させるためのMake Luv, No War!!! 部隊なんだよ。いまだに攻撃をくり返しているその国の民が「恥ずかしい、実に恥ずかしい!」と嘆きながら、涙を流しながら、海兵隊の歩兵部隊の正面から「やめろ、人を殺すな!殺されるな!アメリカに戻って来い!」と叫びつづける。むかしこの曲が歌いつづけられたあと、米軍がヴェトナムから撤退したように、いまアフガニスタンからも即刻撤退するという確信を込めて。 宇宙的共感覚 Cosmology Music のっけからの3曲のメッセージが強烈だったので、それぞれに紙数を割いてしまった。コンサートはジミーの数々の名曲がつづき、佳境に入っている。 ジミーの音楽は、実にわかりやすいメロディーラインとともに、語れども語れどもつきない物語として、セントラルパークの全体にひろがる。会場のメインステージそのものは決して広すぎるわけではないのだが、かれが踊っている舞台を中心に、歌声はそれぞれの色に変化し、パーク全体が輝いていく。そしてそのパークが輝いているまわりのこの街、この街のまわりのこの大陸、この大陸のまわりのこの星全体が、極彩色に輝いていく。 今年のはじめに書いた島びとの感性のお話。生物学者ライアル・ワトソンが描いた、ジャワ島東の地図にないヌス・タリアン(踊る島)。その島に住む超能力少女ティアには、すべての「音」についている「色」が見えるという。 海岸で「キュー」と鳴く緑サギと出逢ったとき、あの鳥は「緑色の歌」を唄う、とティアはいった。ところがその鳥の名前を緑サギだと知っているのはライアル自身だけで、実はその鳥の姿は緑色などどこにもはいっていない。どうして緑色と思うのかと訊くと、その鳥の声は新しい葉っぱやトゲのようにとがっているからだ、という。ガマガエルの声は茶色。黒い音を出すのは水牛や雷、白は砂にふれるあたりの海の音、だとティアはいう。 ライアルがすべての音に色がついているのかと訊くと、「色がなくてどうやって人の話や音楽を聴くことができるの」と哀れみに充ちた目で見たという。 「ドラムが話をするとき、やわらかい砂のような茶色の絨毯を地面に敷く。踊り手はその上に立つ。次に銅鑼が緑や黄色を呼び、私たちが動いたりまわったりして通る「森」をつくる。もし森の中で道に迷っても、フリュートや歌の白い糸が家に導いてくれるわ」。ティアだけでなく、島の子供たちの多くがみな言葉や音に色を感じ、それを当然のこととしている。 「われわれのような感覚的片輪者が幻覚剤の助けを借りて垣間見ることしかできない、視覚と聴覚が統合されたバラ色の世界にティアは永住している。」ライアルはこのことを「共感覚」と呼び、ティアの持つ予知能力も、この感覚融合に関係があるとではないかと考えはじめる。 突然ライアルのことばをくり返したのは、ジミーの住んでいるジャマイカ島にも、音を色としてみることができる「共感覚」の持ち主が多いのではないかと感じたからだ。地球上の島のほとんどがかっての海底火山の頂上にある噴火口であった。ひとの精神の高みは美しい自然を再生産する。少なくともむかしはそうだった。 ジャマイカ島は120にも及ぶ川が流れ、島は緑豊かな熱帯雨林に覆われた自然豊かな島である。あふれかえる自然の「色」が、ジミーの創るレゲエのような際立った「音」を育てる。「音」を発するものたちにとっては、それぞれがもつ楽器や声がそのまま、この地球をキャンバスにしてその上に流される「絵の具」となる。やがて出てきたジミーのメロディーは、さまざまな色の絵の具をこの地球キャンバスに塗り、あるいは流し込む。 「共感覚」などというむずかしいことばを知らなくても、ジミーの音楽はそのまま色と音の複合体として、目と耳の両方から、あるいは全身の筋肉から感じることができる。セントラルパークにいるわれわれは、かれの吹く魔法の笛の音につられて、ひたすらに踊る、踊る、踊る、踊る。踊る、踊る、踊る、踊る。 かれの音のマジックにたゆたいながら、われわれの精神はジミーの精神とのあいだにたくさんの共通項をみつける。ジミーがそれをわかりやすく語りつづけているから、みんながそれを感じることができる。それを感じながら踊っている。「それ」とはひとりの目と耳が体験するイデオロギーとしての「共感覚」だけではなく、ここに踊っている全員の目と耳を使って感じることのできる「コスモロジー(宇宙的)共感覚」である。 幾多の河を越えて Many Rivers to Cross そして、幾多の河を越えて、また越えて、行く手にはさらに越えねばならない大河が広がっている風景を極彩色で観ることになる。努力しつづけてもなにもつかめなかった若きジミーの体験の歌。俺たちもまさにそうだった。あんたもあんたもそこにいるあんたも、まさにそうだった。ジャマイカ島にある120の河だけじゃねえ。あるときの河は、ドーヴァー海峡のようにばかでかく思えた。苦しみぬいて泳ぎきったその対岸には、絶望的に切り立ちそびえるあのホワイトクリフが立ちはだかっていた。 Jimmy Cliff - Many rivers to cross それでもなんとか泳ぎきってよかった。サヴァイヴしてよかった。生きていてよかった。だってあんたとこうやってまた出逢えたもんな。あんたも、あんたも、あんたも、おなじように苦しんでそれらの河をひとつまたひとつと渡ってきたんだ。 だからいま、こんなに楽しいんだよな。こんなに踊り狂えるんだ。 ありがとうみんな。 Many rivers to cross But I can't seem to find my way over Wandering I am lost As I travel along the white cliffs of Dover Many rivers to cross And it's only my will that keeps me alive I've been licked, washed up for years And I merely survive because of my pride And this loneliness won't leave me alone It's such a drag to be on your own My woman left me and she didn't say why Well, I guess I'll have to cry Many rivers to cross But just where to begin I'm playing for time There have been times I find myself Thinking of committing some dreadful crime Yes, I've got many rivers to cross But I can't seem to find my way over Wandering, I am lost As I travel along the white cliffs of Dover Yes, I've got many rivers to cross And I merely survive because of my will... 金魚のFun & Fun: 踊り疲れて、でもアタマんなかはモーレツなエネジーが逆巻いたまま、フィフス・アヴェニューのバス停までたどり着くと、日本人の美人お嬢さん軍団が、やはりエネジーをあふれさせ、そのくせ実に壮快にたむろしていました。勇気を出して声を掛けてみると「タノシカッターー!」「スッゴク元気になった!」ということでした。 そういえばここ数年、素直に楽しめるコンサートのなんと少なかったことか。若いひととのジェネレーション・ギャップちゅうやつで、しょーがないのかなぁ、なんてひねくれてましたが、やっぱまちがってた。僕らが若かったころとまったくおなじ、壮快極まる顔、顔、顔。スーパースターはどこまでもスーパーなんですね。 ジョン・レノンもボブ・マーリーもジェリー・ガルシアも、逝っちゃったひとばかりなつかしんでもしょうがない。やはり音楽はライヴですからね。 が、しかし、ひとつだけ金魚のノスタルジー箱から選ばせてください。ジェリー・ガルシア(グレートフル・デッドの頭目)Jerry Garcia がカヴァーした、ジミーの名曲「監獄に座りこんで Sitting Here In Limbo」。フラットマンドリンの名手David Grisman との共演。若き日、ベイエリアに点在するミュージックホールに何度も通いつめ、聴き込んだカントリースタイルの逸品です。ガルシアのジミーの曲(あるいはレジスタンスの闘士)への愛情が、いつも深く伝わってきました。 Jerry Garcia David Grisman -Sitting Here In Limbo
by nyckingyo
| 2010-07-18 00:28
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