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ことしの終戦の日には、ミュージカル「葉っぱのフレディ・いのちの旅」初のニューヨーク公演を観ました。日本からのちいさな「いのちの大使」たちの熱演。セントラルパークにほど近い劇場だったので、行き帰りにパークを散策された方も多かったと思います。主人公の小さな葉っぱ=フレディのモデルになったカナディアン・メープルの葉も鬱蒼と茂っていて、この季節のパークは人間たちを含めて、まさに生命の謳歌するもうひとつの壮大なライヴ劇場です。舞台のうえでの若い日本のいのちが歌い上げる「いのちの歌」に、パークに茂る無数の葉っぱたちもめいっぱい共鳴し、共演している風情でした。 この公演の2日前まえ、日米合同教会で日野原重明先生(聖路加国際病院理事長)の講演がありました。どう見ても99歳とは思えません。お話の内容もその幼い表情も、9歳のまちがいではないかと思ってしまうほど無垢で明瞭な世界のお話でした。 アメリカの哲学家レオ・バスカーリアの原作を、日野原先生が企画し原案の脚本を書かれたミュージカル「葉っぱのフレディ」のことにふれ、バスカーリアはアメリカ人だけれども東洋に住むわれわれの思想=仏教のおける輪廻転生のことを書かれている、と語られました。 僕の観た公演でも、日野原先生はフィナーレの子どもたちの踊りの輪のなかに、実に楽しそうにいっしょに踊られていました。なんという99歳児でしょうか。子どもたちと踊るだけで、いのちをいただいているような楽しさがある、と言われます。「今夜も踊りの練習をせねば!」と夢み心地で話されている先生をみているだけでこちらが楽しくなってきます。 日本では十年前から始まったミュージカルですから、いまさら僕が説明するのはまことに僭越な話ですが、日野原先生の文章をなぞって少しだけ。 新緑に生まれたフレディという葉っぱが、夏には仲間たちと木陰をつくり、秋には色とりどりにその身を染めて森に集うひとびとの目を楽しませ、やがて冬に散りゆくまでの四季の移りをたどったお話です。「いのちの尊さ」を描き、その散り消えた葉の腐葉土からまた新しい葉が生まれる。いのちは輪廻の輪となって永遠にくりかえす、という「いのちの循環」の物語です。 「散っていくって、死ぬこと?」と恐れるフレディに、兄貴分の葉っぱのダニエルは「すべてが変化していくのは自然なことだよ」と、いのちの終わる姿を教えるのです。 耐えて待つことについても、僕のアタマを通り抜けたあとの先生の言葉をたどたどしく説明するよりも、ご著書の言葉から直接引用させていただきます。 四季折々の美しさがこれほど深く心にしみ入る自分にこうしていま出会えるようになるとは、私はかって想像もしていませんでした。いまの私は、自然が織りなす美しさを見飽きてしまうどころか、そのどんな小さな営みにも目がとまり思わず感嘆の声をあげてしまうほど、私の心は日に日に敏感に繊細になっていくのを驚きをもって感じています。 世界には戦争や飢餓や貧困で今日明日のいのちの行方もしれない暮らしがあるなかで、こうして季節の移り変わりに思いを馳せることができるのは、なんと大きな恵みでしょう。 思えば日本人は古きより、暑い盛りに立秋をおいて秋風を思い、雪積む冬に立春をおいて水ぬるむ春の到来を待ちました。そのときどきの実感よりも、期待を込めて季節を呼ぶこの感性は、日本人の美しい情動の一つと言えましょう。 夏の暑さ、冬の厳しさ、そして生活のきわめて質素であったことから、日本人は「耐えて待つ」ことを生きていくうえで大事にしてきた民族であるようにおもいます。待つからにはいまを静かに耐え忍ぶことをよいあきらめをもって受け入れ、また、ただ辛抱するのではなく、待つという契機をひそませつつ忍んでいくわざを日本人は身につけてきました。「待つ」ことのなかに「耐える」があり、「耐える」ことのなかに「待つ」があることを、私たちはだれに教わるでもなく、からだのどこかで知っています。 その強みを生来もちながら、私たちはあまりにも短いあいだに豊かになりすぎたためか、いつの間にか「待つ」ことのなかから「耐える」ことが消えて、少しの時間の経過を待つことにさえいらだちを覚えるようになってしまいました。また「耐える」ことのなかから「待つ」が消えて、辛抱の先に喜びがあることをついに知らず、一時の我慢さえも厭うようになってしまいました。 待つことが不得手になってしまったために、私たちのおかれた状況はますます居心地わるくなっていくように思えます。教育の荒廃、景気の低迷、国際的な紛争に、私たちは本来持っていた待つ姿勢をもう一度取り戻して臨むべきではないでしょうか。(「続・生きかた上手」日野原重明著 ユーリーグ刊 p-12-) 病んでいるひととは、耐えて回復を待っている状態です。若いとき結核での長い闘病生活を送られた日野原先生は、日々「今日こそ熱の出ない一日を送れるかもしれない」と祈念しながら待ちつづけられました。このときのつらい経験が、医師として患者(patient=忍耐するひと)とどう接するかを理解することに繋がったといいます。 そのあと渡米され、結核菌保有の可能性からアメリカへの入国を断られ、それでも必死に入国の嘆願をつづけ、やっと留学できたときの喜び。極貧の留学生生活。その不足のなかにも、いやその不足のなかにこそ満ち足りた幸福が埋まっていたのです、と語られました。先生のほぼ一世紀の人生をふり返られて、「待つこと、耐えること」がどんなに大切なことだったかが、実感として伝わってきました。 ひとはいつかかならず死ぬ、いつ死ぬかわからないのだから、そのときに自分の深く生きて来たことに確信の持てるように、と。終わりよければすべてよし、と。ひとは生の最後の瞬間まで、だれかになにかを与えることができるのだから、と。 目に見えるものだけが「いのち」ではない 平和の到来を願ったはずの21世紀が、その幕開けから9-11事件で血塗られ、ときのアメリカ大統領ブッシュは、目には目を、歯には歯を、と報復を世界に宣言しました。以来戦争は現在も世界を巻き込み、われわれはひたすらそれがなくなる世界の到来まで、耐えて待たなければなりません。 ひとを許せるか否かは、人間に与えられた試練だといわざるを得ません。傷つけられたときにこそ、私たちは生きかたを試されているのです。相手を憎んだり、仕返しをしたり、相手が自分の思うとおりに変わることを一方的に望むよりも、まず自分がどれだけ人間らしい行動を選択できるかが試されているのです。それは相手から受けた傷を自分自身の成長の糧に変えられるかどうかということでもあります。(「続・生きかた上手」p-33) そして日野原先生は65年目の太平洋戦争終戦の日をむかえて、当時の310万人ものいのちが、全うされずに失われたことに言及されます。 世界に無二の平和憲法をもつわれわれが、決してそれを手放してはならないこと。軽薄な風潮から憲法九条を改憲しようとする戦争主義者たちを強く弾劾すること。たとえかれら戦争主義の政治家たちが国会で改憲を決めたとしても、そのあと、もう一度きちんと国民全員の投票をして平和憲法を守らねばならないこと。 大多数が戦争というものに怒りつづけ、こころから反対をしているのに、マスコミや政治家たちが扇動して、改憲をし、日本を戦争に巻き込もうとしていることに、日野原先生は強い憤りとともに語りつづけられました。 その戦争のことをほとんど知らずに育ったわれわれこそが、そのいのちが失われた意味を、いまこそ深く考え直し、本当に戦争がない世界の実現を、望み、意識し、イマジンし、そしてひたすらに耐えて、待つべきだと思います。 「戦争なんてなくなるわけがないよ」と軽くうそぶく多くの人たちに、辛抱強い説得(治療)をつづけましょう。本来人間とはたくさんの仲間を殺してしまうようなそのようなおぞましい存在ではなかった、という確信は、耐え忍び待つことによって、ますます強くなっています。 一世紀のあいだ、耐えつづけた人生の重み。日野原先生の祈念は、少し年少のわれわれの平和への思いのなかに、大きな大きな支えとなって、いつまでも残るでしょう。世界に核廃絶が成るまで、戦争というものがなくなる日まで、いつまでも待ち、耐える勇気をいただきました。
by nyckingyo
| 2010-08-17 09:39
| 地球号の光と影
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