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ニューヨークの秋、アメリカの秋、グローバリズムの秋からつづく NYC市警による強制排除から半日がたった11月15日夕、リバティ・スクエア(ズコッティー広場)の様子を見に行った。広場のテント村は完全に撤去され、信じられないほどの数の警官隊に包囲されていた。 この夜の連想としては、17世紀にはじめてこの街の南にヨーロッパ人が入植しニュー・アムステルダムを拓いたとき、北からのインディアンの襲撃に備えて、木材で築いた防護壁(Wall)ができた。高い柵を張り巡らせ、それがウォール・ストリートと呼ばれた語源の時代を彷彿とさせる。その後イギリスの統治になってからも、インディアンからの攻撃などは皆無だったにも拘らず、管理官はある夜インディアンの酋長をディナーに招き、無心の酋長父子は手土産を持参して歓待を受けるのだが、無抵抗のかれらはだまし討ちにされる。翌朝酋長父子の首がこのウォールに掲げられ、北のネイティヴの全種族はこのことを深く哀れみ、かつ白人たちのこのひどい残虐行為にすくみ上がったともいう。当時の柵のまわりには、膨大な数の騎兵隊の前身が囲み、少数の白人入植者たちを守った。そして1792年、材木の取引のために商人や投資家が集まり非公式に取引所を開設した。これがニューヨーク証券取引所のはじまりである。このエリアは歴史的な「差別の砦」だったわけだ。 傷心の面持ちで広場に近づくと、意外にも新たなる奇跡が起こっていることを感じはじめた。抗議者たちの気勢はまったく削がれていない。完全にフェンスで囲まれた広場だが、一カ所からだけ出入りが自由とされていた。さらに巨大な柵のような数十人の警官の検閲を受けさえすれば、広場のなかに入ることができる。なかでプラカードをもって歩くことはOK。隊列を組みデモで騒いだりドラミングや音楽はフェンスの外、ひとであふれかえった狭い道路でしかできない。それでも外と内が強調しあい盛り上がる。 ガス抜きの意味もあるのだろうが、市民たちを広場の中で自由に泳がせている。檻の中の鳥か金魚のようで違和感は大きいのだが、まわりにいるデモ隊の気勢に押されて、エネルギーがわいてくる。そのまた外には多数の警官隊。異様ではあるが、ふしぎな安定感のなかで悠々散歩している風情である。権力にやられてしまったという焦燥感を押し殺し、アメリカ人にはめずらしく感じる「忍耐」という概念をみんなが噛みしめているようにも思える。いちばん外側を囲んでいる警官以外の全員が仲間だ。数日前までのデモでは、警官に向かって「あんたも99%の仲間なんだから、こっちへ来い」という呼びかけをしていたが、さすがにそれを言うひとはもういない。あちこちでデモ隊とのにらみ合いがあり、緊迫する。 NYC株式会社ブルームバーグ社長の指示による弾圧で、ニューヨーカーの冷たい怒りに火がついた。むろんその背後には大統領、政府に代表される1%の意志が明快に観えている。が、真冬に向かうこの時期の弾圧は、人びとの心の中にかえって大きな意識改革を定着させてしまった感がある。テントも、寝袋も、自転車発電機も、OWS図書館の数千冊の本もすべてを捨てられてしまった。おまけに広場からも追い出されてしまったが、それぐらいでながいあいだ我慢してきた堅牢な抵抗意識が揺らぐことなどあり得ない。地方から来ている若者には、この町に住む者が最大限に助ける。いままでことあるごとに感じていたニューヨーカー仲間の強い意志を、これほど頼もしいと思ったことはない。 TVニュースやさまざまなメディアで、このNYCダウンタウンでなにが起こっているか、地球の裏まで瞬時に知らせようとするが、この広場の空気はほとんど伝わっていない。多数の人の心に芽生えた変革の芽はここでしか感じられない。このグローバリズムのマスコミによる発信が、政府、市警と根本的におなじ1%側のインチキ人間で固められているからだ。いわく「衛生状態や治安の悪化のため、強硬姿勢は仕方がない」「いわれのない漠然した不満を社会にぶつけるな」「OWSはもうおしまいだ」。 ただ人びとの内面=心のなかのことは、電波以上に早く、この星に住むすべてに伝わる。1%の側の濾過をうけない、ツイッターやFaceBookという新しい武器がそれを加速する。共通の根底部分をもち、共通の問題ををかかえた人びとに、瞬時に伝播する。日本の人びとがかかえている大きな問題 — 脱原発も、脱TPPも、根底で脱資本主義、脱新自由主義という大きな筋道にマージされていく。問題を複雑多岐に拡散しようとしているのは、あきらかに1%の側なのである。 上述の「ウォール街」の語源を調べなおすために古い数冊を紐解いたが、久しぶりに司馬遼太郎「アメリカ素描」も開いてみた。ウォール街の語源に関しては「放牧している家畜が南端の居住区にしばしば迷い込んできたので丸木の塀(wall)をつくった」とさらりと書かれているだけだが、この界隈に関する四半世紀前の興味深い話を見つけた。 金融の専門家に「ウォール街参加者のほとんどは、先物売買の「投機家」であり、かれらは決してソンをしないシステムを専門家に作ってもらい、コンピューターで運用している」という話を聞いたあとの文章。 投機。むろん投資ではない。三者(銀行・証券会社・保険会社)とも投機をするためにこそウォール街にオフィスを置いているのである。バクチでありつつもソンをしないシステムを開発しては、それへカネを賭け、カネによってカネを生む。(アメリカは大丈夫だろうか)という不安を持った。 資本主義というのは、モノを作ってそれをカネにするための制度であるのに、農業と高度技術産業は別として、モノをしだいに作らなくなっているアメリカが、カネという数理化されたものだけで(いまは「だけ」とはいえないが)将来それだけで儲けてゆくことになると、どうなるのだろう。亡びるのではないか、という不安がつきまとった。(司馬遼太郎「アメリカ素描」新潮文庫 p377) くり返すが、この文章は司馬氏の最初の渡米時、いまから四半世紀前の80年代に書かれたものである。当時僕はアメリカと同根の病症が出はじめた日本を脱出し、西海岸ベイエリアに住んでいたが、アタマの上を飛びこえて日本の泡立つマネーがニューヨーク方向に進撃しはじめていた。村上春樹「1Q84」で青豆と天吾が月がふたつある、もうひとつの世界に紛れ込んだという時代である。アメリカも、戦後マネをしつづけてきた日本も、そのなかの1%の異様な意志が、経済だけでなくこの星の行く末を異様な方向にひん曲げてしまったのだ。司馬氏のウォール街に対しての単純な疑問は、現在にいたって実に明快に具現化しつつある。アメリカはこの不況を日本のバブル崩壊の後になぞらえ、出口がないなどとほざいているが、問題の本質は、歴史のずいぶん以前に自らが創作したもののしわ寄せなのである。 さて、テント村の強制排除から2日がたった11月17日(木)、Occupy Wall Street がはじまってちょうど2ヵ月目の日に、大規模な抗議行動があった。今回の市警の弾圧は、この日ウォール街を占拠する直接行動に出ることに対抗したものだった。朝7時、数百人がつめかけ、ウォール街のサラリーマンが出勤するまえから、サブウエイの駅とブロードウエイを占拠した。ウォール街は広場以前から継続的に警官隊がブロックしつづけていて入ることはできないが、ひとの流れを充分に混乱させることができた。ただこの計画の直前にあった市警の広場強制排除の影響で、この朝のデモ参加人数が激減したことは否めない。 午後からは、リバティ・スクエアのフェンスを外したデモ隊と警官隊が激突し、多数の逮捕者と負傷者が出た。主催者OWSは、NY市警の暴力に対して、徹底した非暴力を呼びかけているが、流れから仕方がないのだろうか。反格差デモはこの街からはじまり、全米と全世界に拡散しているが、ニューヨークでの逮捕者はむろん多いものの、暴力という意味ではかなり節度を保っている印象がある。午後のいっとき、この街いちばんの若者の結集するユニオン・スクエアのOccupy Subwayを覗いてみたが、公園の隅にある歩くガンジー像が、いつも興奮する若者に暴力を禁めている感がある。僕が6年も働いていた職場のあったカリフォルニア州オークランドでは、デモの参加者が警官の発射した催涙弾を頭部に受け重傷を負った。オレゴン州ポートランド、LA、ヨーロッパの諸都市でも流血の事態がエスカレートしている。 夕方5時、NYCシビックセンター・Foley Square(州最高裁前広場)からスタートするデモに参加した。ニューヨークは11月初めから冬時間に戻り、午後5時にはもはや夜のとばりのなかである。こちらは予想をはるかに超えて3万人以上(NY市警発表)が結集。例によってフェンスだらけで、迷路のように仕切られたなかを虫のように動く。そのうち身動きがとれないほどになってきたので、スクエア中央のフェンスに身体をもたれかけていたら、突然若者十数人がそのフェンスを持ち上げて取っ払った。あわてて若者たちとともにその円形舞台に駆けあがった。(写真左)この夕刻から、気温は肌に差し込むように下がり、音楽とチャントにあわせて始終身体を動かしていないと凍りつくようだ。それでもおおぜいの若者たちとふれあっているだけで、猛烈なエネルギーをもらっている自分に気づく。 ネットでおなじみのラップOWSや Reverend Billy Talen とその仲間の歌がつづく。まるで若いころオッカケつづけたデッド・コンサートに行ったように、身体が自然に踊りはじめる。その舞台に突然、子どもたちの一団が乱入(?)し、舞台を占拠した。「Mike Check!」4人の子ども全員が順番に、すばらしくハリのある声で「閉鎖になりそうな自分たちの小学校を救え!」とチャント。小学校の先生の大量解雇につづいて学校そのものを閉鎖しようとする市に抗議する。四人の小学生それぞれが、堂々と長い演説をし、デモ参加者を魅了した。大観衆が思い出したようにその言葉をリフレインする。「Occupy Our School! 」。 この夜の抗議のヴィデオは残念ながらプライベートということで削除されてしまいました。かわりのこの日(11月17日)の午後からのズコッティ—=ウォール街の抗議運動の様子。 ブルックリン・ブリッジに向かって行列が動き出したが、ワンブロックを進むのに30分以上。まえの方で警官隊が制御しているにちがいない。今回ブリッジの車道は占拠できなかったので、横の歩道を歩くことになる。手をこすりあわせ暖めながら、飛び跳ねたりいろいろしてみる。グループごとの観察がいちばんおもしろいと気がついて、まえにうしろに少しづつ移動する。「シネマを占拠せよ」と書かれた白い布スクリーンをもった一団と遭遇した。イミがいまいちわかんないけど、超美人の女優ならぬ映写技師が Occupy Cinema と書かれたスクリーンに携帯映写機で実際にシネマを上映しながら行進している。どんな映画を上映しているか、最後までわからなかったけれど、ぜんぜん進まない行列のヒマつぶしにはなった。よく観てみるとスクリーンのまえで女優の卵たち(いや立派な女優さんなのかもしれません)がなにか演技をしている風情(写真左)。うまく説明できなくてすみませんね。ブリッジにさしかかる手前でバッテリー切れ。が、監督兼映写技師兼プロテスターの美人は実に満足げだった。 さて今夜のイヴェントもいよいよ大詰め。ブルックリン・ブリッジをわたりはじめたら、マンハッタン側のVerizonビルにくっきりとWE ARE 99% の文字。どんどんすてきなメッセージが言葉ごとに入れ替わり、プロテスターたちの半数以上はプロジェクターからの映像を見るために橋のたもとに釘づけ。最後の"LOVE"という大きな文字に全員が拍手喝采。橋の真ん中、車道を走るクルマがみんなホーンでエールを送ってくれるので、全員が喚声と手を振って応対。「われわれだけじゃなくこの運動の賛同者がどんどんふえている」という意識が、さらなる弾圧にも耐える強靭な勇気に変わっていく直感。ラップのリズムに乗り、名詞完結のこの文章も終盤。 橋のたもとでプロテスターのみんなとビルの壁面に照らし出された「99%」という文字を観つめながら、僕の連想はまた不思議な方向へ、不可解な方向へと移動しはじめる。少し緑がかった丸い円に包まれたその文字は、まるで村上春樹「1Q84」に登場する「二つめの月」そっくりに観える。重い雲に包まれたこの夜の空に、月などどこにも見えないのだが、僕の心のなかにはくっきり二つの月が輝きはじめていた。 僕の体験した1984年といえば、日本の不可解なマネーが、僕のいる場所 — 当時の北カリフォルニアを飛びこえて、ここニューヨークまでたどり着き、ますます不可解な使われ方をしていることに不愉快な疑念をもちつづけていた。シュタイナーの言う自然の一部である「土地」というものにまで法外な値段をつけ、それを異常につり上げてほくそ笑んでいる醜い1%がいた。いままさに Occupy Wall Street の運動を盛り上げた意識の現況が、四半世紀前を描いたこの小説のなかに内在している。そしてあるいはジョージ・オーウエルの「1984年」の意識のなかにも。 「そしてこの1Q84年にあっては、空に月がふたつ浮かんでいるのですね?」と彼女(青豆)は質問した。 「そのとおり。月は二つ浮かんでいる。それが線路が切り替えられたことの<しるし>なんだ。それによって二つの世界の区別をつけることができる。しかしここにいるすべての人に二つの月が見えるわけではない。いや、むしろほとんどの人はそのことに気がつかない。言い換えれば、いまが1Q84年であることを知る人の数は限られているということだ」 「この世界にいる人の多くは、時間制が切り替わったことに気づいていない?」 「そうだ。おおかたの人々にとってここは何の変哲もない、<いつも>の世界なんだ。『これは本当の世界だ』とわたしがいうのは、そういう意味あいにおいてだよ」 「線路のポイントが切り替えられた」と青豆は言った。「そのポイントが切り替えられなかったら、私とあなたがこうしてここで会うこともなかった。そういうことでしょうか?」(村上春樹「1Q84」新潮社 Book 2 p-272) これ以上口を滑らせることを蛇足と言われるのかもしれない。一万年近くにわたる人類の歴史とは「民主」ということに近づくわれわれの祖先たちの挑戦の歴史であったはずだ。もちろん幾多の後もどり、くり返しを乗り越えて、われわれはここまでたどり着いた。その現在の形はといえば、あまりにもお粗末な、騙しつづけた者のみが強者という名の下に生き残る、不条理な、くそったれの、システムである。「資本主義」という、その言葉の誕生のときから批判言語であった(世に倦む日日氏)ものへの執着から一刻も早く離れなければ、「月」は二度と再びひとつの星として存在はできない。人類分裂のシンボルとして、未来永劫二つの衛星というかたちで地球をまわりつづけることになるだろう。 何から何までつくりもの でも私を信じてくれたなら すべてが本物になる It's a Barnum and Bailey world, Just as phony as it can be, But it wouldn't be make-believe If you believed in me. "It's Only a Paper Moon" (E.Y. Harburg & Harold Arlen 村上春樹・訳) — 「1Q84」BOOK 1・扉 新潮社
by nyckingyo
| 2011-11-20 15:08
| 炉心溶融した資本主義
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