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最近、四季がはっきりと別れている地球上でも特別な場所、そして慄然とした宇宙でもあるあの列島に住みつづけている自分を夢見ることが多い。その夢の中で、日本はまったき美しき世界であり、数えるほどではあるが短い帰郷旅行でのイメージが積み重なったユートピアとして存在する。
春は市ヶ谷で外濠の夜桜を眺めつつ、名も知らぬ同民族の若人と酒を酌み交わす。翌朝目覚めると胸のポケットに名刺が一杯詰まっている。自分の名刺もほとんど無くなっていることから察するに多分「近々ニューヨークに遊びにきてください」などと調子のいいことを言ってタダ酒に溺れつづけていたのだ。それでも白い無数の花びらが牡丹雪のように舞う風情を、日本酒の幻覚からか自分が宇宙に遊泳する姿になぞらえ、ほとんど外濠に飛び込みそうになった昨夜のうっすらとした記憶。初対面の輪になった若者グループのなかで、ニューヨークに住んでいると言っただけで待遇がかわり、見知らぬかわいい女の子が数人酌をしてくれる。夢の中で、金魚の頬の筋肉は緩みっぱなしである。 秋は銀閣の縁に座し、ひたすら臨済の教義に浸っている。実際に見た境内は修学旅行生の黄色い声で埋まり座禅どころではないのだが、地球の裏側から義政を想い日本文化の原点を想う夢の中では、静寂の庭園風景がある。紅葉も視界いっぱいの錦というわけではなく、他の寺院と比較してもすべてに控えめの朱色の表現が、かえってこころのなかの日本をより強烈によみがえらせる。そのむかし、義政公のほかは入ることもできなかった東求堂の草庵茶室にて御点前をふるまわれる。ここには後の利休が創案した茶室の原型がある。 ああ帰りたいなぁ、と思う。もうこれはホームシックなどという生やさしいものではない。仕事のスケジュール表を横目で睨み、日本行きが当分不可能だと悟ったとき、膨れっ面で今朝ヴィデオにとったフジTVの日本語ニュースを見る。 今日も安藤キャスターが悲惨な一家無理心中事件を淡々と語る。列島のなかのほんの小さな一角で起きた例外的な事件だから、そのことで日本全体に対するイメージを下げる必要はないと自分に言い聞かせるのだが、さきほどまでの日本の夢の映像が急速に影を増し、ポジティヴな連想がたちまち消えていく。 みにくい老獪政治家のニュースはいっさい飛ばし、とある若手議員の選挙公約のところでリモコンの早送りを止める。かれは「シベリア鉄道を北海道まで延長」という公約を起てたらしい。夢はないよりもあった方がいいと思うが、なんだか自分が党公認を取り消されることに必死で対抗し、一夜で考えついた夢のような感がある。それでもこの夢は陳腐ではあるが、あの狭い列島を飛び出し遠い欧州と自分の世界を結びつける雰囲気を持っていることは確かだ。センスはよくないがかれの世界観のようなものが垣間見える。 現代の日本にいつも大きな世界観でものを考えている政治家がいない。激動の世界のなかにあって、列島だけは平和でありたい。その信念は結構だが、なんだか内政の世界だけは鎖国をつづけていきたい、と言っているようにも聞こえる。まるでいまだにアメリカにお金さえ払いつづければ国内の平和は維持できる、と考えているようにも思える。そんなことはない、と反論するひともいると思うが詭弁である。言葉で自分の小ささを隠しているだけだ。それを証明するのに説明はいらない。大きな世界観のあるアイデアが皆無だからだ。いまの日本の政界でそんなものを持っただけでたちまち放り出される。それほど狭く遅れた世界だと思う この技術最先端国の政治に携わっている人間のアタマのてっぺんには、この国の中世からのヘアスタイルである「ちょんまげ」がいまだにのっかっている。おまけに広く剃りあげたおでこの月代の部分に貼ってあるのはどうやら慶長小判らしい。「ひかえい、ひかえぇい」嗄れた叫び声とともに国民との格差は開いていき、論旨の相違点がはてしなく開いていく。おでこの小判はどんどん数を増し厚みを増し、かの人物はもはや前のめりに転倒する寸前である。 「世襲」という悪しき伝統が残るこの現代の封建主義国家の議事堂は、決してさほど偉くはなかったその祖父や父をすら越えられない名跡だけの人物が集積する場所である。こんなところからクリエイティヴな国家づくりは決してありえない。 アメリカという資本主義大国に居座っているだけの一日本人が、列島に住むひとより世界観があるなどとおこがましいことを言うつもりはない。ただここから列島を見つめると、その小ささ狭さ古さ醜さがやたらアタマにこびりついて放れないのだ。 もちろん大きな世界観を持って飛び回る日本人も幾人か数えることができる。 たとえば先週ジャパンソサエティで講演された建築家の安藤忠雄氏は毅然とした世界人のひとりである。残念ながら今回の講演は聞き逃したが、若いときに世界を放浪されて見聞きしたこと、見えにくいものを観たことが、その後のかれの作品に大きく光を投げかける。結局そういうことなのだ。自分の観た世界の視点からもう一度ものを観返せば、精神の原点はいつも太極にある。そして安藤氏の作品もしかり、最終的には氏の生まれた原点である日本文化の探求に帰結している印象がある。後述する司馬遼太郎氏の記念館も安藤氏の設計になる。 昨日、チェルシーのギャラリーで“Red”と題されたバレンタインデイのオークションのための、安藤氏の小品を見た。小さな堂に鎮座するRed Buddhaのスケッチとその堂の展開図であったが、その小さな紙片の中に日本の歴史、文化、現代、そして未来が超然と象徴されていた。 司馬遼太郎氏がはじめてアメリカに旅立たれる前の記述が『アメリカ素描』の巻頭にでている。かいつまんで書けば氏は、アメリカには文明だけがあり文化がない、といわれている。ここでの定義は、「文明とは『たれもが参加できる普遍的なもの、合理的なもの、機能的なもの』をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい」と述べられている。 ゆえに『文化』はすばらしい芸術性などを内包するとともに、精神の安らぎのための不合理な習慣で詰まっていて、それが累積すると物優く、うっとうしくもある。しかしひとはこの文化なくしては暮らすことはできず、氏はこの時点で、文明だけででき上がっているアメリカという社会をのぞくことに躊躇されている。 結局司馬氏は、ひとりの在日韓国人の言葉に動かされてアメリカ行きを決意する。 かれの口からでた言葉とは「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息苦しいのではないでしょうか」 — いまもむかしも、地球上のほとんどの国のひとびとは、文化で自家中毒するほどに重い気圧のなかで生きている。そういう状況のなかで、大きく風穴をあけたのが、15世紀末の“新大陸発見”だった。“発見”されるとヨーロッパから、ほうぼうの国のひとびとがきて、合衆国をつくった。 — いまはアメリカの市民権をとることが容易でないにせよ、そのように、『文明』のみであなたOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへは移住せぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか。この人のみじかいことばは、そういった意味のようであった。 『竜馬がゆく』をよむと、大政奉還という無血革命を成し遂げた坂本龍馬は、日本という国の概念をはっきり持っていた最初の日本人として書かれているが、同時にいつもまだ見ぬ世界全体のことを考えていた。海援隊を率い、五大陸を駆け巡る夢を抱きつづけていた。その世界に対しての大きな夢がかれを革命に奔らせる原動力になったと信じている。 龍馬は心底アメリカに行ってみたかったのだと思う。ワシントンみたいなフツーのひと、近所の八百屋のようなひとが大統領になり、その息子は大統領をつぐことがなく、もとの八百屋にもどる。そんなアメリカが一度見てみたかった。が、遂にかれの夢は果たせず、夭逝した。 おなじくあこがれてアメリカに来たはずの自分が、この文明のみの国に住みつづけることに諦観に似た感情を持ったとき、いつもこの龍馬の夢を思い出して自分を鞭打する。とは言え、現代のアメリカは古きよきワシントン時代とはかなりちがった複雑な事情を抱えているので、すんなりとというわけにはいかない。 『竜馬がゆく』巻一のあとがきに取材の際の逸話を見つけた。若き竜馬が千葉家からもらった北辰一刀流の免許皆伝の伝書が、海を渡ってアメリカまで旅行し、また高知県庁に帰ったと言う話である。この伝書は大正時代の最後の所有者が渡米したため、竜馬のかわりにアメリカにやって来たというわけだ。 以下司馬氏の結び。— 太平洋を越えたいという竜馬の魂魄が一巻の伝書に宿って海を渡ったのかと思える。いや、伝書などはいい。竜馬は、生きている。われわれの歴史があるかぎり、竜馬は生きつづけるだろう。私はそれを感じている自分の気持を書く。冥利というべきである。 そしてこの司馬先生のことばのように「竜馬は(われわれの心のなかに)生きている」という響きは、日本人全員にすばらしい勇気を与えてくれる。まったく世界を見ることなく、日本国内をわらじと靴で歩きつづけた龍馬が、大きな世界観を持っていたことは、いまさらながらの驚きである。そして龍馬は司馬先生のこの長編小説によって、見事に『復活』を遂げた。 ずいぶん昔だが仕事で高知に飛んだことがある。推察だが『世に倦む日日』さんは土佐っぽとお見受けしたので、この一泊旅行だけで土佐のことを書くのは僭越だと思うのだが、当時のクライアントに桂浜を案内してもらった。浜の竜頭岬に龍馬の像が建っていて、あの斜に構えた独特のポーズで太平洋を眺めていた。詳しい地図を調べたわけではないので少し粗雑なイメージだが、この桂浜のかたちは太平洋に向かって大きな弧を描いていて、アタマのなかでそのかたちがこの浜を中央に包括する土佐湾と相似形=扇形のように思えた。その土佐湾が描いているかたちは大扇を飛び出し、またもうひとつ大きく太平洋を包もうとしているような気がする。そしてその大洋の先にはアメリカがある。ジョン万次郎もこの土佐湾から出発し難破しアメリカにたどり着いた。この大洋を抱える風景は、この大列島の玄関口のような感がある。龍馬という日本の近代革命の先駆者がこの土佐湾から大洋を見つづけて育ったことに大きな必然を感じる。 いまは龍馬や松蔭の時代とはちがい、海を渡ることはいたって容易である。ネットのヴァーチャル体験だと一歩も動かず、世界をまわることもできる。だが自分の世界観を養うためにはこんな安易な方法では駄目なのだろう。観光旅行でもいい。自分の力で他国の地を踏み、そこで育てた感情や思考は何ものにも変えがたい。いま百万以上の日本人が海外で暮らし、故郷を離れたそのひとびとのすべてが、だれよりも真剣に日本のことを考えているはずだ。列島を離れ、外へ出る力。そこから新しい日本を考える若いエネジーがかならず生まれてくると確信する。
by nyckingyo
| 2008-02-15 03:49
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