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今吾妻橋を渡りに掛ると、空は一面に曇って雪模様、風は少し北風(ならい)が強く、ドブンドブンと橋間へ打ち附ける浪の音、真っ暗でございます。
明治期の名人、三遊亭円朝の叙景である。この吾妻橋はどういうわけか身投げに似合っていて、落語のなかで身投げとなると、この橋がでてくるという。 橋の上にお店者風の若い男が立っていて、川にとびこもうとしている。問屋の奉公人で名を文七。文七は水戸屋敷に売掛金の五十両をうけとりに行っての帰りだった。ところが枕橋まできたとき、あやしい男に突きあたられ、はっと思ってふところを見ると、金がなくなっていた。悲嘆にくれたが詮もないまま吾妻橋まできて、足が動かなくなり、そのまま身を投げて死のうとした。 ニューヨークから明治期の人気古典落語を紹介するというのもなんだか妙に僭越な話だが、成り行きゆえに我慢してほしい。円朝作の人情噺『文七元結』。ストーリーの詳細までよっくご存知のみなさまに対してあえて繰り返させていただく。昨年秋には勘三郎も平成中村座の演目にいれたと聞く。さて当方には底本がもうひとつある、司馬遼太郎著『街道をゆく 36・本所深川散歩』。すぐに手に入る方は直接そちらを読まれた方がいいかもしれない。このブログ亭寄席で我慢される方は、NY亭金魚の要約とつたない『下げ』もお聞きくだされたく。テテンテン。 いましも身投げしようとしている文七の立つ吾妻橋の欄干。そこへ通りかかったのが左官職人の長兵衛。名人級の腕を持ってはいるのだが、根っからの江戸っ子。「宵越しの金は持たねえ」どころか怠けて仕事に行かず、あちこちの賭場をうろついては裸にされている破滅型の御仁でございます。いやはや古今東西、アルティザンという人種はやりにくうござりまするな。長兵衛さんには娘が一人いて、器量がよくて親孝行なのだが、ある日出奔してしまった。やがて行き先がわかった。彼女は親に内緒で吉原の大籬『角海老』にゆき、女将に会って、親の借金五十両を返すために身を売りたい、と申し出た。女将は驚き、長兵衛をよんで説諭し、とりあえず五十両という大金を長兵衛に貸した。無利子・無証文である。 ただし女将に抜け目はなく,証文がないかわりにこの娘の身柄はうちに預かっておく、期限までに五十両の金を返さなければ、長兵衛さん、お気の毒だけれどこの娘を店に出しますよ、という条件なのである。女郎にするという。長兵衛は恐縮やら狼狽やらで、五十両の金をふところに入れ、酒代までもらったから途中で一杯ひっかけ、夜になって吾妻橋にさしかかった。わたれば本所である。 長兵衛はいまにも身を投げようとしていた文七を、力ずくでひとまず欄干からおろして止め、その事情をきいてしまった。文七が店の売掛金をすられて身を投げようとしていることである。ふところに五十両がある。男伊達の稼業ではないが江戸っ子である。「俺にも無くっちゃァならねえ金だが、おめえにでっくわしたのがこっちの災難(せぇなん)だから、これをお前に」くれてやる、といいかけてはひるむうち、当の文七はすきをみて下手へ走り、欄干を乗りこえようとする。長兵衛はそれを追っかけて抱きとめ、自分の人体には不相応な金をとりだし、事情をかいつまんで話し、ことわる文七に腹をたて、ついには財布ぐるみ投げつけて行ってしまうのである。 ところが、文七が白銀町の店に帰ってみると、水戸屋敷から五十両がとどいていた。御用人と囲碁をしたあと辞しぎわに碁盤の下に置き忘れ、そのことも忘れてすられたと思ったのだが、水戸家のほうでは家来ふたりに提灯を持たせて店まで届けてくれたという。 店では大騒ぎになり、翌日主人は文七をつれて長兵衛のもとを訪ねるべく吾妻橋をわたることになる。 その間長兵衛の家では、前夜から女房お兼とのあらそいがつづいており、長兵衛はから威張りして、「人の命にけえられるけえ」と毒づいたりしている。お兼はふんと笑って、「人を助けるなんてえのは立派な大家の旦那のすることだよ」などとかみつく。 司馬遼太郎師匠は、この円朝の人情噺を映画 “男はつらいよ”と絡めて語られている。このときのお兼は“寅さんシリーズ”では“社長”となる、というわけだ。 昨年秋の平成中村座の歌舞伎公演『文七元結』では山田洋次監督がシネマ歌舞伎としての監督をされていると聞いた。監督にとってもこれは大好きな噺、いつか映画にしたかったと話されている。絡んでいるひとびとの思いはいつも近く、それがきっかけでよりイメージが近づいて行く。シネマ歌舞伎のほうの上映は今年秋ということ、ぜひとも観てみたいと思っている。 長兵衛夫婦の喧嘩のまっただ中に店のご主人と文七が入ってきて、いっさいがわかるという筋である。 が、長兵衛は金子をうけとらない。 これを私(わっち)が貰うのは極りが悪いや、一旦この人(文七)に遣っちまったんだからこの人に遣っちまおう。わっちは貧乏人で金が性にあわねぇんだ。という江戸っ子の型なのである。 やがて長兵衛はやむなく五十両をうけとり、「どうも旦那ァ、きまりが悪いけれど」としおれてしまう。何がきまり悪いものか、と思うのは田舎者のことであって、このやりとりの型にゆるぎがあっては江戸風ではない。 「文七元結」は寅さん映画のようによく構成されている。 実はあらかじめ文七の店の旦那が吉原の角海老に番頭を走らせて、長兵衛の娘にとびきりの衣装を着せ、このとき、四ツ手駕篭にのせて本所にむかわせつつあった。 その間旦那は長兵衛に親類つきあいをしてほしい、という。その上、文七の後見人になってもらいたい、文七は両親に早く先立たれたから、子にしてやってもらえますまいか。 やがてろじ口に駕篭がおろされ、かごやがあふりをあげる。娘のお久が出てくる。 「昨日に変わる今日のいでたち、立派になって」という晴れ姿である。 さて是から文七とお久を夫婦(めおと)に致し、主人が暖簾を分けて、麹町六丁目へ文七元結の店をひらいたというお芽出度いお話でございます。 元結、なまってモットイ。髪のもとどりを結びたばねる糸・ひものことで、江戸期にはこよりをのりで固くひねったものが用いられた。文七とお久が出したその元結をあつかう店だが、おそらく“文七元結”ということばがひろまるほどに、文七はいい品物を売ったにちがいない。 * とうとう最後まで円朝/遼太郎師匠の高座をなぞってしまった。 すばらしい語り口にことばを打ち込んでいるキーボードの隙間に、ホロリと涙が落ちてとまらない。ああよかった!と芯から登場人物全員を祝福する。しょせん人情噺だからフィクションだからと片付けて、忘れてしまわないようにしたい。高座が終わって寄席の外に出ても、ホロリと出たほんの少しの涙の結晶を捨てないで、ひとりひとりが懐に溜めていれば、その結晶は膨大な量となって世の中を明るく照らすのではないか、などと考えてしまう。 人の命は地球より重い、などということばもめっきり聞くことが少なくなった。もちろんひとりの命と地球の重量を測る天秤など最初からありようもないが、なにかの拍子に軽くなったりまた重くなったりするのも気にいらない。こんな人情噺に感動するとそんなに重い人の命を助けるのも、人情さえあれば意外と簡単じゃないのか、とか思ってしまう。 江戸時代まで下らなくとも、人の情は日本が持っている大きな世界文化遺産だったと思っている。長兵衛さんのような存在は現実にはありえなくても、この噺を聞いて自分の行動にも他者に対して小さな一善を加えようと試みる。それほどまでにやさしい人情の国ではなかったのか。その国は。 そしていま一家無理心中の多発する日本社会の余裕のなさはいったいどうだ。報道によると、被害者の隣人は一家には相当な経済的問題があったようだといっています、みたいなコメントでおしまいだ。なぜもっと話してやろうとしないんだ。そんなひどいことになるとは思わなかったのか。それとも臭いものは蓋をしてそれでおしまいか。 新自由主義とやらで格差をつけられてしまったから、たいへんだ! もっと稼がねば、と叫んで、自分たちの会社だけにせっせと貢いでいる御仁は、そうやって自分よりもっと貧しい者に対してますます格差をつけている張本人ではないのか。もちろん資本主義社会で一生懸命稼ぐのは結構だ。むかしの日本人も同じようによく働いていた。ちがうのはかれらが稼ぐことと同時に、他者に対して小さな約束ごとをしていたように思う。ひとの悲しみ、ひとの苦しみ、ひとの痛みを聞く努力をみんなが暗黙のうちに了解していた。そこに寄席があり歌舞伎や人形浄瑠璃もあり、それらがそんな感情をより強く共有させた。 それは長兵衛さんのようなひとが、もし自分が文七の立場だったらどんなに辛いだろうと感じたことからはじまる。かれは江戸っ子だからひとの気持を汲むのが異常に早い。ときどき早すぎてトチるのも愛嬌だ。金魚は江戸っ子じゃないが、10年も東京にお世話になっていたからかれらのキップのよさは気持がよくて大好きだ。世のなかに理由のない厭世観が蔓延してるから、ここいらで江戸っ子が率先して、きっちり人情てぇものを教えてやってはくれまいか。 イージス艦の艦長だって、艦長じゃなくても船にいる誰かが、ふだんからその人情てぇもののかけらでも胸に秘めていたら、事故の直後すぐに救助艇を降ろして、命を救えたんじゃねえのか。人情がないからたるんでたんじゃねえのか? てめえよりかわいそうな人間に善意をくれてやって何が悪い。そうだ、善意は風呂敷っごと全部くれちめえ。家族が身を売って借金をした五十両を投げつけるなどありえない噺だが、大金を投げつけなくとも、人情だけでも、ことばだけでも、投げつければ人の命はけっこう救えるんじゃないのか。それをするのが日本人の心意気っていうもんじゃないのか。仲間だろうが、ええ! * さて噺家にあるまじき行ない、興奮し叫んでしまって、おさまりがつかなくなってしまって、えーっと、NY亭金魚が高座を下りるまえの「下げ」がなかなか決まらない。 知り合いのクイーンズに住む日系人の女性に聞いたこんな話はどうだろうか。その方の娘さんがi-podを聞きながら大通りを歩いていて、突然左折してきたクルマにはねられた。幸い軽傷で済んだのだが、まわりにいた大勢のひとびとが大騒ぎして、クルマの運転手をギュウギュウ締め上げた。それ救急車だ、パトカーだ。あるひとは娘さんのケータイからお母さんの番号を探しあてた。 お母さんが駆けつけてみると救急車に寝かされた娘は少しはにかんで笑っている。クルマの運転手はポリスメンに事情聴取されている。まわりにいたインド人、ラティーノ、イラーニア、エイジアン、ジューイッシュ、白人、黒人、みんなが口々に事故がどうだったか、どちらが悪かったかを話しはじめる。総勢40人はいた。みんなが一斉に話すので聖徳太子じゃあるまいし、うまく聴き取れなかったが、お母さんはとてもうれしかったという。別れ際にみんながみんな、裁判になったら電話してきてくれ、自分が目撃者だから証言してやる、と残してくれた名刺と電話番号簿は分厚いたばとなった。民族を越えて、ことばを越えて、ひとびとの善意が伝わってきた。帰り道、クイーンズも人種のるつぼだけど捨てたもんじゃないねと娘と話しあった。大勢いすぎていったいだれが親だかわからないほどだったけどね。 他者への思いやりがすぎると「おせっかい」と受け取られることもある。「やじ馬」というのはかなり無責任な状態である。アイドルの「追っかけ」となるとほとんど迷惑なだけだが、他者が気になってしかたがないことにはかわりがない。まあ善意も「おせっかい」までならけっこう、上出来だ。多民族の町クイーンズには、世界中からそれぞれ持ち寄った文化がひしめいている。独自の文化というものをもたない合衆国で、ただ自分たちの運んできた文化が含んでいる善意を、競争して表現したいということだけかもしれない。 それでも自分に似た顔の同民族の他者が落ちて行くのを見ることがいやで、寡黙になりすぎてしまったどこかの国の民よりはマシだと思うのだが。如何。 本日の金魚のフン&FUN:おあとはわっはっはと笑うお噺のお話。昨年はニューヨークでふたつの上方落語を聞く機会があった。 ひとつは日本語による桂小春團治師匠の英語の字幕入りの寄席。字幕を替えるタイミングが実に精妙で、まわりのアメリカ人とまったく同じタイミングで笑うことができた。ただ、とある笑い上戸のアメリカ人がのべつまくなしに笑いはじめ、これには師匠もびっくり。うしろの字幕を振り向き眺めなおされながら、ああこれは大丈夫だなという確認作業つきの高座だった。 もうひとつは桂かい枝師匠率いる天満天神繁昌亭の面々。こちらは英語による噺で、語学的努力のあとがひしひし伝わってきた。思い切り笑ったことは笑ったが、題材が落語の基本的なテーマにとどまっていて、少しだけ物足りなさを感じた。 それらよりうんと印象的だったのはいまからちょうど20年前にサンフランシスコで聞いた、小春團治やかい枝たち桂一門の大先輩、二代目桂枝雀師匠の英語高座だ。かれは神戸大中退の秀才。大阪弁のイントネーションはもちろんあるが、きれいな発音の英語でその場にいた半数以上の英語圏のひとびとを笑わせつづけていた。このたぐいの実験英語高座の先駆けだったと思う。師匠米朝と並び、上方落語界を代表する人気噺家だった。またぜひ聞いてみたいと思っていたら、1999年に自殺というショッキングなご最期であった。このときの師匠米朝の落胆ぶりはとても見ていられぬほどだったという。サンフランシスコの劇場で引けたとき観客のひとりひとりと握手をし、「ほんとにおもしろかったですか?」と少々不安げに尋ねられていた姿が瞼に焼きついている。そういえばチャーリー・ブラウンといわれたその風貌は別として、ひとたび高座をおりるととてもセンシティヴな立ち振る舞いが印象深かった。 さて今宵のトリはこの日本落語界の気宇壮大な天才、二代目枝雀の「時うどん」にて締めさせていただきます。20年前、僕が西海岸で英語で聞いたものとおなじ演目。司馬師匠の解説によれば、いまや江戸落語の代表ともいうべき「時そば」は、明治期の名人三代目小さんが若いころ大阪へ修業にいき、元来上方のこの「時うどん」を、「らくだ」、「宿屋の富」などとともに持ち帰ったものだそうでございます。 この付録、フン&FUNの稿も本文とともに回を重ねるごと、どんどん長く延びていっておりまする。大向こうから、ええかげんにせえよ!終電がなくなるワイ。という声が聞こえます。残念でした、ニューヨークの地下鉄に終電というものはございません。なにとぞごゆるりと、お楽しみのほどを。
by nyckingyo
| 2008-02-26 05:57
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