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過去からみた化石燃料の未来 (1)よりつづく
七色の虹が、消えてしまったのー。 とつぜん引用がシェイクスピアからロス・プリモスの唄になった。暑さでアタマが多少ウニ状態になってはいるが、北極の氷山のように完全に融けてしまったわけではない。 むかし少しだけかじったことのある浅利式色彩診断の分析によると、七色の虹色すべてを使って絵が描かれているとき、それはそのひとの「過去」の思い出を物語っているという。それまでの人生というものが、長かろうと短かろうと、過去の体験というのは実にさまざまな彩りに染まっている。思いだすときは、僕などはそれらをいちどきに噴出させようとするので、総天然色/極彩色の虹となり、われながら実に美しい。だがこれに気をよくして、過去にあったことがらをひとつずつ追っかけて、もっと美しい思い出に浸ろうとするのはやめたほうがよい。とくに過去にフラれたかの女のことなどは、美しかった時代の映像まではとてもよいものだが、もう一度逢いたいなどという野暮な欲望にエスカレートすると、ひどいことになりますよ。これ以上はいわずもがな。僕の場合は幸い地球の果てまで来てしまっているので、日本の遠いむかしの元カノとかは逢いたくとも逢えない。ああよかった、けど少しだけなんだかものたりないことも事実です。 クラーク先生の「未来のプロフィル」をテキストにした過去の授業の思い出は、氏のさまざまなアイデアが宝石箱のなかで虹の七色に輝いている。もちろんかれに直接習ったわけではないのだが、SF狂いのデザイン科教授のもと、われわれ学生もさまざまな色の未来予測に狂っていた。 サー・クラークの50年以上前の予測はこのようにつづいている。 —ガソリン・エンジンの時代は、比較的太っ腹な石油地質学者ならだれでも保証してくれるように、今や終息を告げようとしている。遠からずして私たちは、絶対の必要にせまられて、まったく新しいなにかの動力源を—おそらく、今日のあの不格好な化けものの少なくとも100倍は強力な、発達したかたちの電池を、発明しなければならないだろう。その答えがどうあろうと、ここ2−30年を出ないうちに、何らかのかたちの、軽量で長持ちするエンジンが開発され、油井(油井)が干上がったとき、いつでもあとを引き受ける態勢がととのえられるだろう。そしてそれらが、かってガソリン・エンジンが地面にしばられた自動車を走らせたように、未来の自家用エアカーに動力を提供することになるだろう。 この項目でのクラークの石油に関する未来予測は、現在と照らし合わせて、あきらかにまちがっている。だがこの1960年代には、かれやここに登場する石油の専門家だけでなく、ほとんどのひとがこの時点から2-30年後(1980-90年)に、この限られた地球の遺産である貴重な燃料=石油は、完全に枯渇すると確信していた。あるいはその「不格好な化けもの」を人類の文化から排除したい、という潜在意識がその思い入れを加速し、みんながこのころから既に新しくクリーンな代替え燃料を夢見ていたのかもしれない。この連載稿でいちばん書きたかったことは、このクラークの予測のまちがい=化石燃料の枯渇=終息、そのことである。過去のわれわれの認識から歴然と導かれる結論、未来社会に対する提案、それは人類自身が化石燃料にはもう未来がない、と宣言することではないだろうか。 とても重宝な資源ではあるのだが、すでに当時からそれほど嫌われていた石油が、21世紀の現代、未来までにも生き残ってしまったのは、ひとえに採掘方法の進歩と新しい石油源の発見である。その後の人類は、この本の時代には考えられなかったほどの「執念」で、このどす黒い化けものを地中から吸い上げつづけた。燃料としてだけでなくそこからの加工品を含めると、もし石油が完全になくなってしまったら、われわれの生活は原始時代に戻った錯覚をいだくかもしれない。 しかしよくご存知のように、たとえばこの加工品の筆頭に上げられるプラスティックスというものがゴミとなり燃やされた場合の毒性は、人間の想像を絶するものでもある。電子レンジなどで大活躍のポリ塩化ビニリデン製の家庭用ラップ一巻きが不完全燃焼したときに出る猛毒ダイオキシンの量は、東京ドーム一杯分だという。 この「未来のプロフィル」が書かれた約25年後の1986年、このときにはすでに石油の採掘方法の格段の進歩はすでに既成事実となっていたのだが、クラークは「2019年7月20日」というやはり未来予測本を書いている。このなかでは、かれはこの石油という化けものにかなり屈服した表現をしている。 —この時点での彼の2019年の生活予測は、人びとはいまだにガソリンを燃料とする小さな高性能ターボチャージャーで動く自動車に乗っている。ガソリン・エンジンは「今後も主流」になるだろうが、進歩したディーゼル・エンジンに追い上げられるだろう、という文章がある。さすがのクラーク氏も石油に対する人類の執念を目の当たりにして、しょうがないなあ、まいったなあ、とでもいうようなコメントである。 だれが思いついたのか、化石燃料の「無機起源説」というものがある。古代の動植物、つまり有機物の化石が地中に埋もれているのではなく、この燃料は元来地球の組成の一部である無機物であるという説である。地球深部(上部マントルや地殻深所)で無機的な反応により炭化水素を形成し続けているのだから、ガスや石油はほとんど無限に存在している、というわけだ。 これは「石油にまだまだ依存したい派」がつくりあげたデマだと思いたいところだが、もし事実なら人類の未来は、この無機燃料なるものの安定供給に甘んじて確実に環境を破壊していき、滅亡に至るだろう。しかしまあ、考えるだにおそろしいことですわい。 まだある。土星の衛星・タイタンには地球の石油資源の埋蔵量を上回る液化炭化水素が存在することが専門誌 Geophysical Research Letters に掲載された論文で明らかとなったという。ここまでくるとあいた口がふさがらない。宇宙のかなたの石油を、地球まで運んで、このご近所でどんどん燃焼させれば、美しかった地球は、一瞬にしていままでの数倍の毒雲に包まれるでありましょう。ええ? ここまでもち込まないで宇宙で燃焼させるんだと! まあ勝手にやってくれたまえ。貪欲にすぎる人類の欲望は、延ばせば無限の宇宙のかなたにまで簡単に延びるだろう。地球という星の汚染だけではあき足らず、宇宙汚染にまで手をのばすおつもりか。土星人よ、人類の無謀をこれ以上許すな。立ちあがれ! いくら考えても「天」は人類をそのようなイメージ欠如生物にお創りになったとは考えにくい。 「天」のご登場になったところで、天候のことにふれたい。この地球号のどこに住んでいるひとでも、すでに温暖化によるさまざまな異常気象の実感を持たれていると思う。前回に書いた極地の氷河の縮小/消滅、そして洪水や干ばつ、集中豪雨、予想できぬ経路の台風とその被害。地球は荒れに荒れている。 3年前の秋、NYCも2週間以上の集中豪雨におそわれた。集中といってもステイトを越えたかなり広範囲に雨雲がピタリと腰を据え、2週間の永きにわたりそこにお留まりあそばされた。猛烈な豪雨と落雷が昼夜はてしなくつづいた。あるいは日本の山岳地帯にお住まいの方などは、なんのこれしきのことでは驚かれないのかもしれないが、この近辺ではそれまでありえない気候である。水に弱い当地の地下鉄はたちまち不通になり、最後にはとうとうこのアパートの天井にも穴があいた。 井上靖氏の小説「孔子」には、豪雨と落雷の印象的なシーンが登場する。十数人の弟子とともに戦乱の中原を放浪していた孔子は、そこにあった農家にこもる。農家と言っても屋根と土間があるだけで、まったく吹きさらしのあばら屋で、孔子たちは、日ごとの落雷と嵐にひたすら耐え忍ぶ。雷鳴が轟き、雷光が奔ると、そのたびに子の座られている姿が明るく浮かびあがる。のちになって弟子の顔回はいう「迅雷風列とは、天がお怒りになっているのだ、ひとの『信』を問うておられるのだ」。 ほぼ2500年前のこのとき以前から、政(まつりごと)は天の声に背きつづけている。ここには関連づけて書かれてはいないが、古代中国では武器や農具としての青銅器/鉄器を造る原始的な鋳造法に厖大な薪=森林資源を費やし、復元力の遅い中国の森林は、この時代にはすでに丸裸の様相であったという。環境破壊は紀元前にすでにはじまっていたのだ。それ以外にもたとえば黄河の上流に位置する国が堤防を曲ぐれば、下流の敵国の田畑/集落が流され、戦さが環境を破壊することになる。戦争がひき起す環境破壊は時代を経るにつれ激しさを増し、近代にはいってからはますます異様なものとなった。このことはあとの稿に譲る。 異常気象を天の声として聞きとり、それを媒体にして反省することは人の道の正論ではないか。孔子は天に対して比較的好意的だが、僕はこう思う。「天」とは非常にセンシティヴで、ほとんどの時間機嫌が悪く、なにかが起こるとすぐ本気で怒る存在である。おたがい気をつけましょう。 カリフォルニアの山火事は例年ドライアップした秋の季節の年中行事だが、ことしは6月に5000カ所以上の落雷があり、それが原因でこのまま秋まで燃えつづけるだろうといわれている。シュワルツネッガー知事も昨年の山火事は、映画監督そこのけでうまく対処したが、今年の相手はなにせ「風神雷神」である。 ここまで書いたとき、このNYCのアパートにも西の積乱雲が崩壊し、暗雲が立ちこめ、かなり近いアパート避雷針への大量の落雷がはじまり、あわててコンピューターの電源を抜いてしまった。この季節の夕立は日常茶飯事で、異常気象でもなんでもないのだが、書いていることとの符合に一瞬、雷神の怒りの声を聞く厳粛な気分がよみがえった。おへそだけはとっさに隠してからの話である。 話があちこちに飛んで申しわけないが、「未来のプロフィル」をはじめて読んだころに、雑誌COMの連載がはじまった手塚治虫先生の「火の鳥/未来編」のなかの1シーンを思い起こした。 核戦争によって滅亡した人類の最後のひとり、山之辺マサトは、火の鳥によって不死の存在となる。何千年以上のときが流れ、マサトの肉体はとっくに風化しているのだが、マサトの意識が、新しい生命体を創造する試みをはじめる。海の水に炭水酸素を化合した有機物を投げ入れ、また何十億年という気の狂いそうな長い時間をマサトはひたすらに待つ。やがて有機物は分裂をはじめ、生命体に変化し、植物と動物がたがいに進化し、恐竜の世代を経て、かって人類が誕生したように、新しい高等生物が誕生する。 それはなんと突然変異で生まれた直立歩行するナメクジだった。マサトはその最初の二匹のナメクジにアダムとイヴという命名をする。 ナメクジたちは、泥とフンをこねまぜて家をつくり、その家はつみかさなり、とうとうビルのようになった。法律や道徳もでき、ナメクジ文明は進歩に進歩をかさねた。 ナメクジの都会には奇妙なのりものが現れはじめた。それは一種の腐敗ガスの力で動くのだった。腐敗ガスの噴出力で空を飛ぶのりものまでつくられた! マサトはぞっとした、それはまるで、マンガ化された人類の歴史をみるような気がしたからだ。 この部分の記述はまさにガソリンを使った人類ののりもの以下の存在を見せて、人類社会そのものを風刺している、この物語はよくご存知だと思うが、この後ナメクジたちも戦争で自滅し、次の世代の人類、ホモ・サピエンスがもう一度地球に登場して歴史を繰り返すこととなる。マサトは火の鳥と合体してひとつの宇宙生命体となり、続編へとつづく。 手塚治虫先生と書いたのは、幼少期のちょっとした、しかし僕自身にとってはすごい体験によっている。いまでも忘れようとしておもいだせない(?古いギャグ)クリアに浮かびあがる僕の虹色の過去がある。忘れもしない僕が小学生のとき、クラスメイトの悪ガキ、バツケン(仮名)とふたりで、ワラ半紙に鉛筆で自分たちが描いた「マンガ」を片手に、近所の宝塚の山の手にある「手塚医院」を訪ねたのだ。玄関に恰幅のいい、実に福々しい女性、手塚先生の母堂が出てこられ「オサムさんはあいにく留守でございますの」と満面の笑みで言われた。僕がだまって描いたマンガを差し出すと、あまり見もしないうちに突然吹き出された。僕はてっきりあまり下手だから笑われたのだと思って、ほとんど泣き出しそうになった。それを察知してか母堂には「お上手だこと!」と言っていただき僕のキゲンは直った。そのあと診察所の奥にあったオフィスに案内されたが、そこでは詰め襟の学生服のお兄さん=横山光輝氏がひとり神戸から出勤されて、鉄腕アトムのベタ塗りをされていた。 その後3度目の訪問で、あこがれの手塚先生に会うことができた。当時先生はマンガの仕事が急増し、医院の方は開店休業。東京ではすでに例のトキワ荘のメンバー(藤子、石の森、赤塚氏など)が活躍されていたころだと思うのだが、宝塚のご実家には月に一度しかご在宅ではなかった。先生はマンガのなかとまったくおなじ顔で、やさしく僕に言われた。鉛筆ではなく、Gペンとケント紙を使うこと、そして本をよく読むこと、とくに歴史の本をよく読んで、まちがったことを描かないこと、というお言葉をいただいた。最後のひと言は、僕の描いたチャンバラマンガの時代設定がまったくデタラメだったことへの忠告だったので、僕は赤面した。 とにかく「鉄腕アトム」の肉筆画をいただき、意気揚々と帰ったのを明解におぼえている。 今年2008年は「鉄腕アトム」が誕生した年だという。これにかこつけて手塚先生のことはまた別稿で書きたいと思うが、この先生のことばはのちのちまで僕の脳裏にはりついていた。 そして中学生になった頃から僕はその手塚先生のことばを忠実に守り、オヤジが読み古したSF本などを必死に読む子になった。「火の鳥」の連作が描かれはじめたのは僕の大学時代だと思うが、とくにこの「未来編」には感動した。そして多分アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」なども手塚先生自身が読まれていて、それに影響を受けられていることが、この名作マンガのはしばしから実感として伝わってきて、二重の感激をしたことをおぼえている。 この長いブログを読んでいただいている若い世代の読者諸君は、本を手放さないひとばかりだと信じてはいるが、もういちど、手塚先生のことばをくり返して投げかける「ネットだけではなく、もっと本を読みましょう」と。 ネットではワン・クリックで手軽に情報を入手でき、それをブックマークに入れればいつでもおなじ情報が、まるで自分の頭のなかの記憶とおなじようにいつでも引っ張り出すことができる。しかしそれらはあくまでヴァ—チュァル・メモリーであり、その内容の詳細を真に理解していなかったことをいつもずいぶんあとになってから気づく。 長い時間をかけてひとつの小説を読み終えたあとは、そのストーリーだけでなく、小説のなかの印象的なシーンがイメージとして残っていて、その本一冊に書かれている以上の行間にある珠玉のことばたちが、いつのまにか脳に満載されていることを知る。例えるならば、座禅のあいだの経行(きんひん)のときのように、瞑想の時間のうちに起こったことがあとになって頭にあふれ出す。おまけにホントのブックマークを付けておけば、その情報はラップトップや i-phone などを持ち歩かずとも、脳内にすでに大量にあるそれ以上の情報と直結して新しいイメージの生まれる原点ともなる。こんな便利な道具はない。手塚マンガなども含めて自分が気に入った「一冊の本」のことである。 話がまた大きくはずれて、説教臭くなった。温室効果ガスの削減を考える現実の世界に戻る。 次稿 過去からみた化石燃料の未来 (3) につづく
by nyckingyo
| 2008-07-16 08:04
| 過去からみた化石燃料
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