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湿度が飽和状態にとどまったままのうだるように暑い森である。植物たちがその飽和のなかでのひとつの結界の先まで相手を押しのけて伸びようとする。そこはまるであらゆる植生がひしめきあって存在を主張し、あらゆる空間を埋め尽くすべく緑の絵の具をたらし込みあうせめぎあいのさまである。風で大樹が大きく揺れていることが、かえってさらなる密生を象徴しているようだ。その奈良にある森は、生命体にあふれかえっている。 その森の深い奥へとふたりの人間が入り込んでくる。ふたりとも自分の身近の生命に先立たれ、そのこころの隙間を埋めようと、あえてこの生命のあふれる森にやってきたようにもみうけられる。映画「殯(もがり)の森」の1シーンである。 ブライアン・W・オールディスの古典SF「地球の長い午後」(英国原題・Hothouse)の冒頭シーンを思い起こす。永遠に太陽に片側を向けて巡るようになった地球の大地が、植物の謳歌する王国と化す物語である。人類はかっての威勢を失い、巨大化した食肉植物がヒトを責める。冒頭を引用する。 —断ちきることのできない法則に従いながら、成長の衝動だけで、やみくもに、異様にひろがっていく。熱、光、湿(しとり)—変わることのないもの、決して変わることのなかったもの…しかし、それがどれぐらい続いているか誰も知らない。もはや「どれぐらい」とか「なぜ」ではじまるおおきな疑問に気をとめるものはない。もうそこは思考の場ではないのだ。成長が、植物が、それにとってかわっている。そこはまるで温室であった。 このオールディス描く未来の地球では、植物が地球という星の片側いっぱいに生命を「謳歌」しているが、映画「殯の森」に出てくる現代の奈良の森では「謳歌する」という自動詞ではなく、植物はただひたすら深く「生かされている」のみである。映画の冒頭シーンで大樹は人間に切り倒され、竹は削られ、コウゾは和紙となって人間の葬儀の象徴としても使われる。千三百年のむかしから森はひとと共生し、そのカルマをも共有してきた。それでも森は、主人公の人間ふたりを抑圧するように、自然というすがたの圧倒的な生命力で覆い込む。 この映画をどのように形容すればいいのだろう。いままでの映画というもののもつ範疇に入らない要素があふれている。上映後、河瀬監督と少しお話しする機会があり、僭越ながら僕の感想としてこんな風にお話ししたと記憶する。「ドキュメンタリーとフィクションのあいだというより、真実とフィクションのあいだにある作品のような気がします」。 監督のもうひとつのドキュメンタリー「垂乳女Tarachime」と同時上映だったということが影響しているのかもしれない。こちらの短編は「真実と事実のあいだ」で、ほとんどが「真実」あたりをうろついている、ということになるのだろうか。監督の90歳になられた養母の映像とご自身が子供を出産する映像を繋げたものである。僕自身は妻の出産に立ち会ったことがあるからまだしも、となりの独身男性は上映のあとで卒倒しそうになったと話していた。 一週間のちに観た2001年のドキュメンタリー「きゃからばあ」には監督自身に施される刺青のシーンがある。その針先の痛みはもちろん画面のこちら側にも直接伝わってくるのだが、どうして刺青に到ったかの監督の真摯なまなざしを捉える画像、かの女のこころの痛みのほうが先に強烈にとどき、そのことが刺青シーンよりも以前にまず「真実」を運んで来ていることに気がついた。 たとえばイランの映像作家、アッバス・キアロスタミ監督の作風は、まさにドキュメンタリーとフィクションとのギリギリの隙間を奔りぬける。彼の故国の状況がそうさせるのか、真実と事実は違う、事実もフィクションも真実を超えることがある、と言いつづけているようにもみえる。映画の撮影された映像はいくらフィクションとはいえ多少の修正事項をのぞいて現実に起こったことであり、少なくとも現実を模倣したり、反発したり、超越したり、さまざまな試みはすべて現実を基盤としてはじまっている。 河瀬監督の方法は、いまその撮影現場に起こった事実のことがらが、そのままかの女の信じる真実の世界に繋がっている。多分監督はそこで「起こるべくして起こってしまった」真実を、横でまわっているカメラとともに傍観しているだけなのかもしれない。 この映画「殯の森」のカンヌでの受賞を契機にネットでもさまざまな批評を読むことができるが、的を射たことばをもつものがたいへん少ないように思う。この映画のもつメッセージの新しさを、あるいは日本に住んでいるひとには、住んでいるそのことのゆえに気づいていない、もしくは理解しづらいのではないだろうか。 河瀬監督がその真摯な眼で、見つづけ、それをフィルムに定着する。劇場でその深いカルマが再現されても、そのもの言いのあまりの深さに、あるいは逃げ出したくなることはある。フィルムが上映され、その光と影があやなす光景に対し、どの部分までとけ込みたいかが問われる。いちばん表層的に、たとえば娯楽作品といわれるような媒体として捉えることは観客にとってはとても気楽である。だがその捉え方で見たこの映画の感想といえば、ストーリーがおもしろくなかった、脚本が完成されていない、もっと演技を、などというくだらないコメントとなる。それらはすべて、その言葉を発した主がこの映画の持ついちばん重要なメッセージを読みとれなかった証しとしてのみ存在する。 エディソンが映画という媒体をこの世界にはじめてもち込んでからしばらく、その改良映写機をもって、たとえばアマゾンの未開地の部落の原住民に見せても、その光の乱舞にただただ驚き、それが人間の像であり、その像が動いているものであることなどを認知などできないまま、逃げ回る住民が多かったという。 近代人のほうから言えば、その映像の理解度に落差がある、というわけだ。差別的発言のようにとられるかもしれないが、実際そんなことがあったということは想像の範疇にある。あるいはその原住民の現実に生きている文化と映画のなかの近代文明の画像が、あまりにもかけ離れていたともいえる。文化人類学者のクロード・レヴィストロースは、近代人がかれらの文化に接触した時点で、原住民の持っていた双方にとってもっとも貴重なものがすべてを台無しにされたというように、これとはまったく逆の見方をしているが、このことばの方がうんと説得力がある。 いずれにせよ近代人が映画をみるためには最低基本的なルールを理解し、それを守らなくてはならない。映画館に入ったとたん、われわれは無意識にそのルールを守っている。でないとそのリアリズムを解読できなくなるからだ。いちばん単純な例が、疲れて居眠りをしてしまうと、起きたあとストーリーのつじつまが合わなくなる。寝ることは映画を観ることにとっての重大なルール違反である。日本に住む何千万人もの評論家諸氏もそのルールにこだわる。そしてそのルールもその映画のもつ新しさの度合いにより、幾重にも複合したルールとなり、映画鑑賞のまえに新しいルールを憶えるのにやっきになったりする。昨今のアップテンポの娯楽作品など、自分で新しいルールをつくりながら観ないとかえって混乱して疲れてしまう。いやはやまったく忙しいかぎり、ごくろうさんなことである。 ただそのルールをまったく知らない未開人が現代の劇場にやって来たとしても、それがもし「魂」を封じ込めた映画というものであったなら、即座にすべてを理解できるだろう。魂の真実という次元ではルールなどいらない。そこではあるいはルールにしばられた近代人のほうが、理解できないことが多いのではないだろうか。「殯の森」はそんな種類の映画である。 この場合の魂とは、主人公たちの魂であり、湿気のあふれ返る奈良の森の魂であり、もっと端的に言えば、われわれ生かされているものと、かって生かされていたものの魂のふれあいである。 河瀬監督が幼い日に、近所のおじいさんが死んだときに感じた「人は死んだらどこにいくのだろう?」という素朴な疑問が、その後の熟成期間を経てこの映画になった。そのように考えればこんなにわかりやすい映画はない。 もう少し憎まれ口をたたくならば、古来からの日本文化がひどくたいせつにしてきた「魂」というものの真実がわかっていないひとがふえている、ということだ。むかしアマゾンの原住民が理解できなかった映像の意味とおなじような退行が、軽薄な文化で上塗りされた現代日本で起こっている。ニンジャなどの格好をしてヤマトダマシイ! と叫ぶことはできても、銭湯のあとコンビニでマンガ本を立ち読みするように、映画をみる。そしてTVドラマなどどくらべて「ストーリーがたいくつだわな」というわけである。この名作映画は劇場公開の前にNHKハイヴィジョンで放映されたそうだが、大きなまちがいである。もしまだご覧でないひと、TVやDVDだけでご覧になったひとにはぜひ劇場まで足を運ばれたい。劇場には価値観の違うおおぜいの人類の仲間がいるし、何よりもこの映画は、その仲間たちが連れてきている「霊」というものに出逢えるチャンスがある。こののち言及するが、魂をよりよく理解するためには霊といっしょにすごすことが最良の方法である。 おなじような例えをもうひとつする。武満徹氏が生前何度も書いていたことだが、エディソンからはじまるレコードやテープやCDに録音された音、そしてフィルムにしまい込まれた映像などは、単なる電気的、電磁波的な信号を音波や映像に変換したにすぎず、そこには魂の入った音楽や演劇というものはありえない、という。タルコフスキーの映画に傾倒し、無類の映画好きで数々の映画音楽の名作を生みだされた氏のことばとも思えないが、ここでの意味はそのこととはかなりずれている。 「魂」の立場からいえば、この言葉は非常によく理解できる。そんなプラスティックスでできたフィルムなどという物質のなかに自身を封じ込めてほしくはないだろう。それでもたまたま魂の「入ってしまった」このような映画をみるとわれわれは驚いてしまうのだ。 過去に日本人のつくった映画のいくつかに、そういった魂が封じ込められていることを発見する。黒澤明監督の初期の名作「生きる」や「羅生門」を劇場でみると「魂」が明解なかたちで再現しはじめる。比較的新しい作家では「魂」の解釈はかなり異なってはいるが、黒沢清監督を含めてもよい。欧米の作家には、この種類の入魂がうかがえる映画はなぜか少ないように思う。 いままでのホラー映画の概念を見事にはずし、理知的な意味で数段高い境地の作品を創りつづけている黒沢清監督は、自分は幽霊というものを見たことはないが、とても邪悪で怖い存在で、本来人間が持っている人格とか感情などが欠落してしまった存在である、とおっしゃる。かれの仕事はある意味で怖さの追求でもあるから、このような見方も致し方ないかもしれない。フィクションの撮影現場でやはりドキュメンタリーごっこを楽しんでいます、というこの監督の、一連の深い心理映画のファンではあるが、霊に対する僕の意見はまったく逆である。 霊とは生かされているわれわれの延長であり、怖くもなんともない。死という一点を超えた時点でそのひとの魂は精霊となり、われわれの視界からは消えたように感じられる。残されたわれわれの側からみれば、亡きひとへの想いはその時点からより募ることとなり、そのひとが生きていた時間帯よりもコミットメントが深まることが多い。勝手な憶測だが「殯の森」の河瀬監督も、霊というものに対して同じような感性をおもちではないだろうか。 このようなつたないブログでも、すでに故人となられた方のことを書くとき、一瞬の戸惑いがある。そのひとが生前に書いた小説、創った音楽、絵画、映画などに感銘を受けて、何かを書き綴ろうとするのだが、突然その人物(霊?)が目の前に現れて「ちょっとまて」というようなことを言われる。当方としてはアタマのなかにあるこんなことが書きたいんです、とかれに一瞬間の説明をし、了承のようなものをもらって書き出す。そのあとのことはまったく記憶にない。書き上がった文章を見ていったいだれが書いたのか、驚いている自分自身を見つける。 こういったことはもちろん毎回起こるわけではないが、その故人の芸術となりに関して、僕の理解度を超えた的確な批評ができあがっていることが多い。いったいだれが書いたのか、少々不安にもなる。自意識過剰なんじゃないとも言われるが、書いているあいだ自意識が消えてしまっているのだからこの意見もちとおかしいと思う。書き上がったあともう一度、その故人の芸術を鑑賞してみる。まったくもってその文章が正しかったという感覚に取り憑かれる。 結局そのときに故人の精霊が僕のまわりにやって来て、書け書けもっと書け、ここはこんなふうに書いたほうがいいのでは、などとそそのかしているのではないかと思うことにした。そう思い込むと「取り憑かれる」などというより、ずいぶん気が楽になる。 黒沢清監督がいう幽霊という名のものは、あるいは出てきてほしくない種類の霊のことをいうのかもしれない。ゆえにかれの映画には定番のようにしょっちゅう登場する(恐怖を演出するため実に曖昧な存在としてではある)が、実際のものとなるとけっこう影が薄い。ちなみに僕もそのたぐいのものはまだ観たことがない。 問題はすべて生かされているわれわれの側にあるのではないか。死んでしまった近所のおじいちゃんはどこに行ったのか。こちらの気分がある程度すぐれていれば、かれはいつもすぐそこにいて、こちらが呼べば、別にお盆でなくてもスンナリやって来てくれる気がするのだ。 アメリカに移住して、北カリフォルニアにかなり長く滞在したが、最初のころは夜になると、「土地のもつカルマ」の軽さに眠りづらい日がつづいた。 土地そのものにカルマが貼り付いている、ということを考えるようになったのもカリフォルニアに住み、いままでいた日本の土地、とくに生まれ育った関西地方にただよう深いカルマとの差異を大きく感じたからだ。東京にいたころは新幹線で3時間という身軽さからか、先祖の土地から離れてしまったという実感はもてなかった。 そのカルマの深い土地と広大な太平洋に阻まれてしまったことが、それまで意識していなかった肉親や親戚、祖先への思いをかき立てる。かき立ててもどうすることもできない。いま住んでいるここニューヨークとはちがい、日本人の農業移民が多かったその土地のカルマとは、そこカリフォルニアの土とともに働き、そこに骨を埋める移民の覚悟が問われるようだ。こんなことを書くと、飛行機にさえ乗ればたった10時間で帰れるのに、と吹き出される方もいるかもしれない。そうではない、その10年あとに、ここNYCに移住したときには、日本ととても似たカルマの深さを感じて、なぜか「安心」した。そして故郷の関西までも、たったの15時間ほどで帰ることができるから、というように意識が変化している。 関西には1000年以上、NYCには400年、カリフォルニアには300年という、それぞれのもつ歴史の差のことか、と訊ねられても、そうです、とは答えられない。これら地球上の3地点を比較して、明解な差はカリフォルニアだけがカラカラにドライアップしきった気候で、湿度というものが極端に少ない。単純に考えて、このことが意識というものにいちばん作用しているのかもしれない。 昨年次兄が身罷ったときにもすぐには帰国できなかった。旧友の幾人かも長い間逢えぬままに逝かれた。むかし帰国したあのときに逢っておけば、という無念さが、故人との関係をより深くする。よく考えれば日本に住んでいたとしても、状況はあまり変わっていないのだろう。ただ遠く離れているというセンチメンタリズムが感情を際立たせているだけなのかもしれない。どこにいても物理的に逢うことのむずかしさが、彼岸に去ってしまったひとへの想いをより強くする。 最後に奈良を訪れたのは、30数年まえ、渡米する直前だったろうか。西ノ京あたりまで散策したと憶うのだが、いつ行っても最後にはその土地のもつ深いカルマに朦朧とし、黄昏どきになってやっと自分が迷子になったことに気づく。そこに見かけるひとの数は、すぐに数えきることができるほどなのだが、かって生かされていて、いまは観えにくくなった多くの人びとの数を数えはじめている自分にも気がつきはじめている。 映画のなか、主人公のひとりは33年前に愛する妻に先立たれ、軽度の認知症になり、奈良にある施設にいるしげき。もうひとりの若い女性は、事故で自分の子供を死なせてしまって、その施設に介護福祉士としてやってきた真千子。ふたりのこころのなかでは、あるいは生きているひとびとよりも、その想いのさきにいる、先立って逝ってしまったひとをいまだに激しく想っている。 それでもお茶畑で鬼ごっこをしてしまうシーンでは、ふたりは子供にかえって生きていることを謳歌している。人間はかってみな子供だったのだ、という素朴な映像がなぜか身にしみる。 しげきを追いかけて森の奥へと誘い込まれ、突然森のなかの流れが決壊し激流となり、豪雨がふたりを襲う。雨と水は霊が激しく降りてきた象徴であろうか。いつのまにかふたりの立場は微妙に変化している。介護されているのはほんとうはどちらで、いったいなにを介護しているのだろうか。 森のなかで雨にぬれた真千子は冷えきったしげきの肉体を暖めようとする。相手に自分の体温を伝え、こちらの世界に引き戻そうとする強い抱擁である。 次の朝、しげきは、古木の前でかっての妻であった精霊と出逢う。その精霊とダンスをし、もはやこちらの世界に戻る必要はない、いや戻ることなどできないのかもしれない。その先に行くことがかれの生きてきたすべてであったのだから。かれが後生大事に肌身離さず背負っていたリックには妻への想いを綴った33冊の日記がはいっていた。彼岸にいる妻へむけたブログである。上述の僕の論理でいけばそのブログの共同執筆者は、とうにこの世のひとではないかれの妻、その霊だったかもしれない。しげきはみずから森の土を掘り、とりだした日記ととともに、自分の肉体を埋葬しようと試みる。 「映画をつくるって本当に大変なこと。それは人生に似ています」河瀬監督はカンヌでの受賞式のスピーチでこう切り出したという。 「私たちの人生にはたくさんの困難がある。お金とか服とか車とか、形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるのは、ほんの一部。目に見えないもの — 誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とか — 私たちはそういうものに心の支えを見つけたときに、たった一人でも立っていられる、そんな生きものなのだと思います」。 もうひとつ、映画のなかで語られるたいせつなメッセージがある。介護士の主任が真千子に何度もおなじことをくり返していう「こうせなあかん、ということはないのよ」。 どんな風に生きようが、それが自分らしければ、それでいい。世間体など考えて卑屈になるな。ともすれば、生きていくだけでひどく苦しく、息が詰まりそうになる現代、とくに個のちがいの芽をつみとろうとする現代の日本社会、監督のこのメッセージは僕たちすべてに大きな勇気を与えてくれる。「こうせなあかん、ということはない」といいつづけたそのひとの信念ででき上がったこの映画が、真実を伝えるにいちばん近い方法であったという真実である。 NYプレミア上映の夜、ジャパン・ソサエティーで河瀬監督を囲んでパーティーがあった。生かされている人びとがふれあい、新しい出逢いがあり、楽しく酔う。 帰宅してアパートのドアを開ける。 幾百幾千の精霊たちが僕と同時に部屋のなかになだれ込む。 それは多分いつもとかわらない風景なのだろうが、たった2時間の1本のフィルムというものから発した電気信号映像によって、今宵の僕の魂は、かれら精霊団体のほうにうんと近づいていることを感じた。 ここもまた、あの「殯の森」に連なる深い深い森のなかなのではないかと。 本日の金魚のフン&FUN: 河瀬監督に、このエッセイをポストしたので読んでください、というメイルを出したら、ご自分のHPにリンクしたいというご返事をいただきました。 ご厚意にこころから感謝いたします。ありがとうございました。 そのかの女のHPによると、かの女の次回作、タイでロケした長谷川京子主演の「七夜待」はすでに完成していて、この10月公開ということです。すごいですね。長谷川京子さんといえば、先日観たNHKのドラマ「海峡」での渾身の演技がとても印象的でしたが、今度の映画は演技者をこえた、かの女のリアルなご自身の姿だ、というように話されているようです。なんだか恐ろしいような発言ではありますが、いまからワクワクですね。長い文章最後までつき合っていただいて、ありがとうございました。
by nyckingyo
| 2008-07-26 01:26
| NYCで観た映画評論
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