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井筒・意識と本質学 (1) よりつづく イスラーム教徒の多く住むニュージャージーの下町に暮らしていた頃は、日に何度もところかまわずに跪いてメッカのある東を向いて敬虔なる祈りを捧げる人びとに出くわしました。たとえば駅ビルのロビーに屋台を出して小間物を売っている呑気なとーさんが、その時間帯だけはうって変わった真剣な姿勢で長いこと地に頭を着けておられるのです。かれが深く拝礼している姿を見つめているだけで、そのこころの中にはアッラーの神の実在が強く伝わってきます。それは祈っているかれという人間の存在やそのすぐ横に生えている草花や樹木の存在とともにそのイスラームの「神」という具現化した存在を感じたということです。 もちろんその頃の僕には、アッラーの神など縁遠い存在でしたからそれ以上の現実感は膨らみませんでしたが、一切の偶像を否定しているその神は姿かたちとしてはまったく捉えられなくても、かれのなかで明らかに「存在」していることが理解できました。かれの祈る行為の故に、その神の存在とともにその「本質」もそこに観えていた、ということができます。 このようなことから、かたちが目に見えたり、音に聞こえたり、肌で触れたりという五感での作業は、その存在をわかりやすく実証することではあるけれど、ものごとの本質を観つめることとはそういった感覚作用だけではないことを確信しはじめました。 井筒俊彦先生の「意識と本質」(岩波文庫)は、初期のフッサール現象学に影響されていた時代のサルトルの言述からはじまります。パリの公園で「マロニエの根」を観つめていたサルトルが、その根がベンチの下で深く大地に突き刺さっていることに文字通り「ことばを無くした」ことを記述しています。その時のかれにはそれが「根」だという意識はまったくなく、その節くれ立った、恐ろしい塊に面と向かって座っていました。その奇怪な存在を「マロニエの根」ということばで呼ぶ「意識」はまったく出て来ず、ひたすら無秩序の塊が怖ろしい淫らな(存在の)裸身のまま怪物のように現れてくる「それ」が「嘔吐」を惹き起こすのだ、と語ります。 井筒先生は、この「存在」啓示の直前の状態として彼の意識に「言語脱落」が起こり、指向性を本性とする意識は「本質脱落」に途方に暮れてしまい、「嘔吐」体験につながっていく、と説明されています。己の外(そと)に本質的なものを観なければ、サルトル自身のことばでいう「意識の絶対的な脱走」はありえず、意識としての自らを否定するほかない、と。 井筒先生自身も中学時代にはじめてキリスト教会に行かれたときに、十字架のキリスト像に激しい嫌悪感を抱き、礼拝の最中に嘔吐したこともある、という話が安岡章太郎氏との対談のなかにあります。神の子であるキリストを極刑にしてそのアガペーを濃厚に放出させるそのヨーロッパからの宗教との出逢いに、吐くまでにはいたらなかったけれど僕の少年時代にも同様の感覚があったことを憶えています。前回登場した中沢新一氏と河合隼雄氏の対談「仏教が好き」でも、両氏ともに聖書やキリストの教えはとてもいいと思うが、十字架のキリスト像だけは嫌いだ、と言われています。外傷性神経症から発生する宗教はどうしても受け入れられない、と中沢氏。これにくらべてブッダは普通の人間として、普通に亡くなった、お腹こわして死んじゃったんですものね、大衆の期待にはまったくそわない、そこが好きです、と気楽に語られています。 十字架の上の神の子像を見た時のわれわれ東洋人の感覚には、まるで神そのものが生け贄にされたように映り(実際は復活という奇蹟が起こって、そうではないと言われても)サルトルの言う「意識の脱走」ができなかったのではないでしょうか。 もちろんそのことに代表される極端な二律背反性が、両極の意見を戦わせて切磋琢磨し、ある意味でその後の西欧文明、科学技術文化を発達させ、近代社会の基盤を創ったことは事実です。 膨大な数の敬虔なキリスト教信者の方々と論争するつもりなどありませんが、少なくともわれわれに共感できる人びとの感覚では、その残虐な姿にキリスト教の神というものの「本質」が意識の中から脱落した状態のまま精神が分裂してしまうことがあるのです。表層意識にとらわれ、絶対無文節の「存在」のまえに立たされ、狼狽し嘔吐する。サルトルにおける「マロニエの根」ととても似ています。 ただ井筒先生はここでサルトル氏の嘔吐に至る表層/深層意識の概念に最大の敬意を払いつつも、東洋の精神的伝統から辿っていけば、われわれ東洋人の仲間はその「マロニエの根」を見て嘔吐する者はいないのではないか、とも言われています。 井筒先生のご意見では、ご専門のイスラーム文化も、ときにはその源流のユダヤ教の文化すらも、「非西洋」という観点から「東洋」ではないか、とされています。現代の世界を席巻してしまった「西洋」のなかにも、もともと大きく存在していたはずの、そして世界の檜舞台からいつの間にか隠れてしまったさまざまな「東洋」。 21世紀に入って確実に行き詰まりつつある西洋主導世界の打開のために、いまこそその考え方をさまざまな角度から受け入れないとまずい事態になってきました。 以前の稿「意味の深みへ」にも書きましたが、同名のご著作のなかの83年の講演記録には、来たるべき「地球社会化」社会に対しての大きな危惧感を語られています。西欧という地球上のほんの小さな地域文化が、アメリカを触媒にして全世界に広がった。その結果、異常な一様化と異常な多様化が、外見上まったく相反する方向に向かっている、と。似非グローバリゼーションがひき起こす社会の矛盾・表面融合・一様化・不調和・不一致・逃走・激突。そしてこれらを打開し、真の文化的地平融合のためには、お互いの文化的枠組みを理解すること。それぞれの個人がすべき具体策はまず、この地球に暮らすそれぞれの持つ「意識」を理解し、「本質」の意味を追求することだと言われています。 この本「意識と本質」には実に多彩な人物がぞくぞく登場しますが、冒頭に登場したこのサルトル氏の後は、溢れんばかりの東洋の哲人・文学者・宗教家たちが、「東洋哲学」の存在論を展開します。慣れ親んだ名前も多いのですが、それまでわれわれがもっていたそれらの人物のイメージとはまるでちがう新鮮さでそれらの東洋人たちが深く語りかけてきます。 サルトル氏の次に、より普遍的な、やはりことばの不在と実存を語るのは、このブログにもときどき登場する「老子」です。 井筒先生の解説が難解なので、そのエッセンスだけを述べるに留めますが、老子のことばには、前述したキリスト教の二律背反性とはまったく逆と言ってもいい、宇宙の「統合性」(ユニティー)があります。 その簡潔にまとめられた道徳経の冒頭の章からはじまります。 道の道う可き(いうベき)は、常の道に非ず。名の名づく可きは、常の名に非ず。 名無きは、天地の始めにして、名あるは、万物の母なり。 故(まこと)に「常に欲無きもの.以て其の妙(みょう)を観、常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る」。此の両つ(ふたつ)の者は、同じきより出でたるも而(しか)も名を異にす。同じきものは之を玄(げん)と謂う(いう)。玄の又(また)玄、衆妙の門なり。 —小川環樹・訳 名無きは、天地の始めにして、名あるは、万物の母なり。 この2行目の「天地の始め」、一切の存在者がものとして現れてくる以前の「道」即ち「根源的存在」には名前がありません。それは言語以前であり、老子はこれを天地分離以前と言っています。ところが「名」の出現とともに天と地は互いに分かれて「道」は「万物の母」となるわけです。言語によって「存在」が分節されて、存在者の世界が経験的に成立するとき、言語以前から言語以後へ、「無名」から「有名」へ、この転換点に「本質」が出現すると井筒先生は言われます。言葉というもので呼ばれた瞬間、同時にそのものの本質が生まれるということですね。 ここではじめて存在が意識によって「名前」で呼ばれることになり、それは「万物の母」だというわけです。その存在が「花」という名を得ることによって、一定のものとして固定されるためには、それを「花」として他の一切から識別させ、花は「花でないもの(非花)ではない」というかたちで、対立させるような何か、つまり花の「本質」の認知、あるいは本質の了解がなければいけないのです。 この文章につづく、故(まこと)に「常に欲無きもの.以て其の妙(みょう)を観、常に欲有るもの、以て其の徼(きょう)を観る」。 「常に無欲」すなわち絶対に執着するところのない、つまり名を通して対象とされた何ものにも執着しないこと。ここでは意識は「だれそれの意識、何かの意識」ではなく無対象、非指向の、つまり無意識なのです。 東洋思想ではこのような意識ならぬ意識、メタ意識というべきものを体験的事実として認めています。そういうメタ意識によって「其の妙」の幽玄な真相がそのままに観られる。注意すべきは、ここでの「妙」(みょう)とは「無名」であり、名前がないことは「本質」がないということです。その言語脱落、本質脱落の世界を老子は「妙」ということばで表現しています。 これに対して表層意識の観る世界は「存在」がいろいろな名によって、言語的に決められ「本質」によって規定された存在として生起してくる世界「徼」(きょう)の領域です。ここでは明解な輪郭線で区切られた、はっきり目に見える形の存在のあり方を意味します。そのようなわれわれにはいちばんわかり易い世界を見る意識=表層意識を、老子は「常に有欲」と言います。これはものに執着しているこころのあり方、さまざまなものを本質的に措定(そてい)して、どこまでもそれらを「あり」とする意識だといわれています。 「本質」のない世界と、無数の「本質」で形成されたものの世界 − このふたつの「存在」の次元が、ここでは鋭く対立しつつ、しかも存在地平のうちに均衡を保って融和している。「本質」によって区別された事物の充満する世界を、「無本質」の世界を見たひとの目が静かに眺めている。「常に無欲」と「常に有欲」がひとつの意識構造に円成する。互いに根本的に異質でありながら、「常無欲」と「常有欲」の間には致命的な断絶がない。言語が脱落し、本質が脱落して、一切のものの符牒がなくなっても、この哲人の意識にはなんの困惑もなければ、戸惑いもないのだ。(井筒俊彦「意識と本質」岩波文庫 page 19) ここでの老子の「意識と本質」論が、いわば「東洋哲学」の原点、いや東洋そのものではないか、と僕も気がついたので、予定よりかなり長い説明になりました。 深層意識と表層意識をふたつながら同時に機能させることによって、存在の有と無とを、いわば二重写しに観ることができる、ということが、井筒・老子論のひとつの結論です。サルトルやキリストの話にくらべて、実にいい加減というか、でき上がった画像が明解でないと言うか。でもこう言った漠然とした思考がわれわれ東洋人の得意技、ということですね。そして老子がすごいのは、その漠然とした二重写しの集積が道徳経の一節として完結したとき、それは漠然どころか、おそろしく研ぎすまされた鋭利な刃物のように、この世のすべての現象にかかわる本質だけを切り裂いて分析していくのです。 老子のことばはすべてが大きな二律背反を超えて、宇宙はいつもトータルである、と感じさせます。その各章のことばのなかの「全体性」を考えると、この世界は実に美しく(醜く)、優しさ(冷たさ)に溢れ返っているといえます。最終的に人間の意識を深層と表層というように分けることすらも間違いではないかと思ってしまいます。フロイドはわれわれの表層意識を氷山の喫水線上に飛び出たほんの一角で、その海底下には表層の何千何万倍の体積の潜在意識と無意識が眠っている、と例えましたが、特出していようが隠れていようが、氷山には変わりないのですからね。フロイドより2500年も前の言葉ですが、老子の語る意識論の方がうんと自然で、新しい感じがするのは僕だけでしょうか。わかりやすくするために老子も最初は主題のふたつを分けて説明してはいますが、そのすぐあとには、どうしてそれを分けてしまうのだと開き直っているような文章を多く見かけます。 もうひとり、現代インドの叡智であった人物の老子論を並記します。小冊子、老子・道徳経のまさに冒頭のことば、「道可道、非常道」道の道う可き(いうベき)は、常の道に非ず。このことばを、故オショー・ラジネーシ氏は次のように訳します「道(TAO)の語られ得るものは、絶対の道ではない」。 絶対でなく完璧でもなく、ただすべてのものごとには反対の意味があり、その反対のもの同士との間に有機的な「統一(ユニティー)」があると。 ラジネーシ氏も、西洋の宗教はみな奥深いところで分裂症的だ、と言っています。「神は善なり」と言ったとたん、悪は一体どこにやればいいのだ、と。最近のキリスト教では父と子と精霊に、「悪魔」を加えた四位一体論も存在すると聞きましたが、その宗教の聖典である聖書、そしてその解釈からはじまった西欧合理主義では、いまだに悪魔の居座る場所はどこにも存在してはいません。老子はときとして神と悪魔の両方の存在を明確にしますが、決してどちらがいいとか悪いとは言わない、ただそのふたつで宇宙が成り立っている、というのです。 ほとんどが男性原理で進行するキリスト教文明に対し、老子は女性原理を大きく組み入れています。このように書いていくと「古くゆるい思想」のように受け取られそうですが、まったくちがいます。若い時代、はじめてラジネーシの老子解読に触れたときは、冷水をあびたように強烈で新鮮でした。特にこの女性原理というものの本質に触れたことがショックでした。アメリカの若者にも大人気の高橋留美子氏のManga「らんま1/2」は、主人公早乙女乱馬が冷水をかぶると女の子に変身し、温水をかけると男の子に戻るという設定です。大袈裟にいうとそのときの僕は冷水をあびせられて女性が何たるかを理解できたという、そういう感覚でしたね。女性原理については、のちの項でもう一度追求します。 むずかしい話が多かったので、少し肩ほぐしにラジネーシ氏の語る老子の逸話を。 老子は毎朝散歩をしたといわれていますが、とある近所の人がいつもそれについて行きました。かれは老子が絶対の沈黙の人だということをよくわきまえていて、いつも沈黙を守っていました。「こんにちは」も「いい天気ですね」も、すぎたおしゃべりとなって許されない。何年もの間、何里と言う長い散歩を老子はする、お隣さんが黙ってついてくる。 あるときそのお隣さんのところにお客さんがきて、老子の散歩について行きたがりました。その客人は老子のことも沈黙の流儀も知らないままに、かれの散歩について行きました。 沈黙というものを知らなければ、それは重たくなるものだ、とラジネーシ氏は言います。ことばを放つことによって他人とコミュニケートする、というのは嘘で、いろいろしゃべることによって、あなたは自分自身を楽にしているだけだというわけです。 実際のところ、ことばを通してのコミュニケーションは不可能だが、ちょうどその反対のことが可能になる。あなたはコミュニケーションを回避できるのだ。あなたは話をすることで、自分のまわりに言葉のスクリーンを張りめぐらすことができる。そしてあなたは本当の状態を人に知られずに済む。あなたは言葉を通して自分に衣を着せている、といいます。 その客人は老子の沈黙の散歩につきあって、身ぐるみをはがされたような息苦しさを感じました。長い沈黙に客人はきまりが悪くなり、とうとう太陽が昇ってきたとき、かれはひょいと「なんてきれいな太陽だろう、ごらんなさい、なんてきれいなお日さまが生まれて、昇っているんだろう、なんて素敵な朝だろう」と口に出してしまったのです。かれが言ったのはそれだけだったのですが、そのときの散歩仲間の老子もそのお隣さんもだれもが何の反応もしない。 帰ってくると、老子はそのお隣さんに「明日からはあの人を連れてきなさるな。かれはおしゃべり箱だ」と話しました。 客人の言ったことはその長い散歩のあいだに「きれいな太陽だ」とか「なんて素敵な朝だろう」だけだったのですが、それを老子はこう言いました。 「二度とあのおしゃべり箱をつれてくるんじゃない。かれはしゃべりすぎる。それも不必要にしゃべる。私だって目はあるのだからそんなことはわかる。太陽が生まれていてその上それはビューティフルだ、どこにそれをいう必要がある?」 言語学の大天才で、生涯30ヵ国語以上を完璧に操られた井筒俊彦先生も、決して饒舌ではなかったといいます。ご著作も講演記録もたくさんありますが、そこにはどれもほとんど無駄を感じません。無駄口と言えばこのブログのように「易しいことをわざとむずかしく書いている」(友人評)というようなことを言うのでしょうか。この老子という古代の実にナイーヴな頑固じじいの意見も尊重して、なんとか最小限に短く、完結に易しくことばを操りたいものです。最近の稿は多少はましになってきているでしょうか。易しく書こうとするとずるずると長く饒舌になり、簡潔を求めると難解になる、兎角にこの世は住みにくい。 とはいえ、生涯そこまで寡黙だった老子が、いったいどのように「道徳経」を書き上げたのでしょうか。ラジネーシ氏の逸話のつづき — 老子は沈黙に生きた。 いつもかれの到達した「真実」について語ることを避けた。いつも来たるべき世代のために何かを書き残すという考えを拒んだ。 90歳の年、かれは弟子たちのもとを離れ、お別れにこう言った。 「これから私は山の方、ヒマラヤに向かって行こうと思う、私はそこに死ぬ用意をしに行くのだ。生きているあいだ、人びとといっしょに生きるのはいい。世間のなかにいるのはいい。だが人が死に近づいたときには、世間に汚されることなく自分の絶対の純潔と孤独のうちに「根源」へと向かえるように、全面的な孤立にはいるのがいい」と。 弟子たちはとてもとても悲しがったが、どうしようもない。かれらは数百里のあいだついて行った。その間に老子は少しづつを言いくるめ、やがて弟子たちは帰って行った。 そして老子はひとりで国境を越えようとした。 と、国境の番人がかれを監禁してしまった。その番人も老子の弟子のひとりだったのだ。 そして番人は「あなたが一冊の本をお書きにならないかぎり、私はあなたに国境をまたがせますまい。これぐらい、あなたは人類のためになすべきです。一冊お書きなさい。それがあなたの払うべき借りです。さもなくば私は許可を出しません」と言い渡した。 そこで3日の間、老子は自分の弟子に監禁される羽目になった。 そしてそのときの3日で書かれた小さな書物、それが老子の本「道徳経」(Tao Te Chang) だったというわけです。人類全体にとっての、とても大きな愛に満ちた強制。 そしてその本の最初の一句、 「道可道、非常道」— ラジネーシ氏の訳は:道(TAO)の語られ得るものは、絶対の道ではない。 老子のあと、井筒本質学のテキスト「意識と本質」は、大乗仏教の本質論、シャンカラのヴェ−ダーンタ哲学、本居宣長、芭蕉、マラヌメ、リルケなどを経て、イスラーム神秘主義哲学、シャマニズムが語られます。 これらの多様な題材のなかを、井筒先生のイメージは、まるで花から花へ飛び移るハミング・バードのごとく変幻自在に鳥瞰していきます。そしてその鳥が吸う花の蜜のそれぞれが、得もいわれぬ芳香を放っているのです。 次回は仏教と禅の瞑想などを中心に、できるだけ易しい比喩を盛り込みながら語る予定です。どうかご再訪を。 井筒・意識と本質学 (3) につづく 金魚のFun & Fun: 6月8日、ブルックリン・プロスペクトパークにて元トーキング・ヘッズのデヴィッド・バーン David Byrne のフリー・コンサートがありました。月曜の夜だったのに超長蛇の列で、場外モニターで観る羽目になりましたが、まわりの観客もノリノリ。御年58歳とは思えぬ超元気。80年代後半にUCバークレーで観た御大となんにも変わってないじゃん。いや、より新しい実験も多々感じました。かれの守備範囲はモーレツに広く、世界の島歌などにも強い影響を受けています。いろんな意味で大ファンですが、その日もアンコールのなかの1曲は沖縄民謡のメロディーが濃厚でしたよ。 Talking Heads 時代の名作映画「Stop Making Sense」のなかから、当夜も大合唱になった曲「Take Me To The River」を貼りましたが、今回の稿とはほとんど関係ありません。あえて言えば、冷水をあびたような若き日の老子体験ということで、以下のリリックが老子へのラヴレターのようにも感じますか、ん、感じませんか? I wanna know that you’ll tell me I love to stay Take me to the river, drop me in the water Push me in the river, dip me in the water Washing me down, washing me かれらのいつまでも斬新なロック・リズムに体を揺らせながら、老子の字句を解読するのもこれまた一興、ということで。
by nyckingyo
| 2009-06-12 04:32
| 井筒・意識と本質論
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