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物語を、遠くからつむぐ&あやなす (1)よりつづく そこはまだ行ったことがない土地だが、まちがいなく地球の表皮の一部分での物語だ、ということで映画館にでかけたのだが、どこからどこまで、すべてがまるで火星の風景のように思えた。 最寄り駅に着くまで、地下鉄のなかで、ブラッドベリ「火星年代記」を読み耽っていたせいでもあるのだが、たとえ火星そのものではないにしろ、この星とはまったく違った異星での状景を切り撮った映画だと錯覚をした。登場する人びとはまさしく地球人なのだが、登場人物の心象風景、それを取り囲む自然の風景も、まさに異星としか言い様がない。 その異星のなかにあるアフリカ大陸、マリという国の物語だという。ここではグローバリゼーションも、アメリカン・スタンダードも、言葉としての意味をもたず、ただ太古からほとんど変わっていない人びとの生きざまがあるのみである。 そのとき、このマリという国名から唯一連想できたのは、かってそこから奴隷としてこの新大陸につれて来られた者たちの子孫が「ブルース」と呼ばれる音楽を創ったという話だった。「マリからメンフィスへ」 Mali to Memphis (putumayo presents)というアルバムを聴けば、マリの伝承音楽が、新大陸の民衆たちの叫び「ブルース」の成立に大きく影響していることが明解に感じられる。この映画に登場する若い女性歌手 Christy Azuma の歌声を聴くだけで、その音楽に至る経路まで簡単に察しつく。 この映画、アブデラマン・シサコ監督 Abderrahmane Sissako の作品「バマコ」Bamako の物語そのものも、地球星での通常の展開とはいいづらいが、音楽におけるブルースの原点のような「魂の叫び」だけは濃厚にもっている。この作品は、日本でも既に部分的に公開されたという。 メレはバーの歌手で、職をもたない夫のチャカとの離婚訴訟のため、家庭裁判所に行く。ところがそのコート(まさに中庭と呼ぶにふさわしい、土のうえの椅子に数十人が無造作に座っている場所)ではこの国の市民団体と、なんと世界銀行/国際通貨基金とのあいだで、借款返済の審理がはじまっていた。フランス語と現地語が入り混ざった口頭弁論は、インテリジェンスの高いものではあるが、この国がいかに貧困で、借款返済などというものの不可能性のみが浮き彫りになる。とある老人が証言台に上がり、フランス語ではなく、マリの現地語で伝承の民謡を叫ぶように歌い上げる。それが何よりそこにいた全員の魂をつんざくような「証言」となる。 われわれは生きてきた、ただ生きてきた、ただ生きる以外にどんな道があるというのか。虐げられ、見下され、痛めつけられ、食べることすら、生きることすら、大きく制限され、いったい、なにをどのようにいつどうすればいいのか。 町のあちこちでは、住民たちが電線でつながれた拡声器でこの審理の様子を聴いている。ここバマコは、マリの田舎町のひとつのように見えるが、実はマリ共和国の首都で、人口160万以上を擁している。おなじコートで行なわれるはずのメレたちの離婚訴訟は、この国家を左右する重要議題に追いやられてしまっているが、あるいは観る方向を変えれば、その国家と個人の両方の審理が、同じ重さで語られているともいえる。そんな意味でもここバマコはますます異星の土地のように思えてくる。 この映画でのシサコ監督の幻想は、砂漠のなかで、マリの男が主演するマカロニ・ウエスタン風の悲劇にも象徴される。旧ソ連邦のモスクワ映画学院で映画を学び、その後パリに移住して映画を創ったシサコ監督は、遠くからこのマリや、生まれ故郷の隣国モーリタニアを、客観的に観ることができた。 しかし、それ以外のこの首都に住むほとんどの人たちは、この砂漠の町で、ただ拡声器からの声で裁判を傍聴し、世界全体のかけらを感じるのみで、死んでいく。そこにはグローバルもコンピューターも自国語のTVすらもない「自然なるアフリカ」のまま。そしてそこは、われわれ現代文明に犯された者たちには、耐え切れないほどに退屈で、貧しい日常があり、それ以外のすべては、他の土地に移動しないかぎり、かけらも見当たらない。 映画館を出て、現代文明の側に立ち戻ることができたわれわれは、もう一度そこ—東京やニューヨークでのわれわれの日常を振り返る。おなじ職場でおなじように働き、食事を作り、掃除/洗濯をし、その退屈な日常の姿は、マリの砂漠になかでの生活と、何もちがわないことに気づく。そして、もう一歩深く根源的に観つめれば、もっと大きくちがうものがある。「その土地に住む人間としての自覚」は、確実にわれわれの方に欠けているということである。 あふれかえるメディアというものに囲まれ、世界のニュースを観、地球を丸ごと食した感覚で、飽食し、食べ散らかした残飯を低開発国にぶん投げる。ここニューヨークは、ここトーキョーは(いくら不景気でも)世界中の人間があこがれて集まってくる、世界中が手に取るようにわかる、いわば地球を丸ごとで食べられる厨房か食堂に住んでいるのだ、などと増長も甚だしい。 もう一度新聞という紙切れや、TVや、モニターの映像から離れて、庭の一握りの土を握ってみるがいい。そのことすらも難しい状況だということもわかるが、自分の肉体に繋がったその一握りの、汚染された土こそが地球なのだ。住んでいる場所そのものなのだ。 シサコ監督のもうひとつの代表作、「幸福を待ちながら」Waiting for Happiness にも不思議な物語しか存在していない。広大なモーリタニア砂漠の端にある海沿いの町ヌアディブ Nouadhibou に、17歳の若者アブダラがヨーロッパに移民するまえに、母親に逢うために戻ってきた。かれは小さい頃に大都会に移り住み、ずっと生まれ故郷を離れていたが、久しぶりの故郷では、自分がすっかり異邦人になっていることに気づく。フランス語以外の、地元の言語・ハッサニア語、ベルベル語、クレオール言語などはほとんど分からないし、村の祭りや慣習にもついていけない、伝統衣装にも関心が持てず、もっていたヨーロッパナイズされた衣服で過ごすことになる。 それでも村人との関わりから、ひとつづつ、幼いときに感じた物語を憶い出す。悲しい過去をもつ娼婦、年老いた電気工事人、極端に貧しいがいつも楽天的な孤児。底抜けに明るいモーリタニアの海岸の村の光景と対照的に、アブダラは周囲に溶け込めない部分を多く抱えたまま、やはり孤独である。この主人公の心象は、すなわちシサコ監督のそのものでもある。愛すべき古きよきアフリカの田舎町。そのすばらしい自然のある異星生まれの監督が、もはやその異星に還ることができないという孤独感である。 不思議な国の不思議な作家。いや多分かれらの住む世界が、本来の地球という星であり、われわれの方がどこかあまり関係のない異星の文化を背負ってしまったのかもしれない。 監督がモスクワ留学中に制作したモノクロ短編映画などは、恋人の女性と話すときはヘブライ語、主人公はアラビア語とモーリタニアの言語、ソ連の人たちとの基調はもちろんロシア語、そして後半舞台はパリに移り、公開されたフランス語の字幕付きの画面を、アメリカ女性が口答で英語に訳してくれる、というなんとも複雑な行程で鑑賞する羽目になった。不思議にわかり易かったのだが、ここまでくると物語の理解よりもまえに、その言語的に複雑なプロセスが楽しくなってしまう。故井筒俊彦先生のような言語の達人なら、すべてを原語で理解されるから便利だとは思うが、僕が感じたこの不思議な複合言語が醸し出すエキゾティックな雰囲気も、なにものにも変えがたい。 ほぼ同じ時期に、いまや世界第3位の映画製作量を誇るナイジェリア最大の都市、ラゴスでの映画産業を描いたドキュメンタリーを観たが、ここには、ひとつの国を隔てた隣国と言ってもいいはずの、マリやモーリタニアののんびりした砂漠のイメージはまったくない。人口1000万以上の巨大スラム都市で、映画冒頭の航空写真で見ると、林立した高層ビル群のなかに食い込むスラムの映像が、まるで現代の悪性伝染病の大病巣のごとく根深く巣食っている。インドのボンベイの映画産業がボリウッドなら、ここナイジェリアのものはノリウッドと呼ばれている。この映画のタイトルは、Nollywood Babylon。TVの普及率も悪く、低予算映画を大量生産するこの大都市は、ITもグローバリゼーションもなんでもありの現代文明の一角だが、真摯なアフリカ人の眼で観た「物語」は皆無である。 毎年、NYCに居残った低所得者層の夏休みは(休んでいる実感はないのだが、言葉としてだけ存在している)アフリカやブラジルのイメージが多く具現化されている。 7月末の土曜の午後、セントラルパークのラムゼイ・フィールドでレゲエのフリーコンサートがあった。 前座に登場したのは、ジャマイカからのリー・スクラッチ・ペリー Lee "Scratch" Perry。あのボブ・マーレーをもプロモーションし、育てたという大御所である。飄々とした風貌でPeaceを唄う風格に、それまで大音響だったレゲエバンドがトーンダウンし、いっせいに「平和」路線に切り替えた(立ち戻った)感があった。若者の熱狂エナジ—はいつもすばらしいのだが、ときとしてその本質的なメッセージを忘れて暴走する。御年74歳のリー・ペリーはかれらに平和の本質、ラスタファの本質を諭すグルの風貌であった。 なんといっても78年、カリフォルニア・オークランドでのコンサートで遭遇したボブ・マーリー Bob Marley は、僕のなかで飛び抜けて輝いている。かれの両眼はグリ—ンのサーチライトのように、観客の全員を隅から隅まで総なめに点検し、みんなのなかのラスタファ精神をひとりづつに問いかける。いまの僕にとっても、すでに30年まえに過ぎ去ったこととはまったく思えない。ボブのライヴ・アルバムを聴きはじめると、つい今しがたの出来ごとのように、脳裏に焼き付いていたすべてのディテールが再現される。そのときボブに問いかけられた記憶が、なんとかそれに答えられたと思った記憶が、それ以来僕を奮い立たせつづけ、ひとの世が生んだすべての弱者、みずからが出逢ったすべての弱者に手をさし延べつづける、という原点となった。かなり口はばったい言い草になってしまったが、そのことは、僕自身が世界で最も哀れな弱者であるときにも、だれかの温かい言葉で必ず救われた、ということと同義でもある。勇気というものの塊のような魂=ボブ・マーリーよ、永遠なれ。 この日のフリーコンサートのトリは象牙海岸(コート・ディヴワール)からのラスタファ、アルファ・ブロンディ Alpha Blondy。 会場のアナウンスが紹介する。—数十年前いまあなたがたの立っているその場所で、あのバーニング・スピアのレゲエ・コンサートに熱狂していたひとりのティーンがいました。いまその人物はアフリカン・レゲエを牽引するラスタファとなって戻ってきました。その名はアルファ・ブロンディ! NYCのレストランで働きながら、コロンビア大学に通った数年がかれを大きく変えた。81年には故郷の象牙海岸アビジャンで、一躍大人気となり、その後ジャマイカに行き、あのウェイラーズとも共演している。 デヴューするまえの若き日のニューヨークでは、過剰労働から病気になり、故郷に帰ったアルファを、かれの両親は精神病院に入れてしまう。 ジャマイカの先輩、友人から学んだラスタファの思想と、幼いときからのユダヤ教と聖書とコーランがかれを混乱させた、と書かれているが僕はそうは思わない。イスラエルではアラビア語を話し、アラブ諸国ではあえてヘブライ語を話す、というかれのなかでは、人類のすべての宗教、すべての文化の真のユニティを渇望しているだけなのだ。 アラビア語、ヘブライ語、フランス語、現地のムサ・フレンチ、スラング・ヌゥシ、そしてジャマイカン・イングリッシュで唄われるかれのひとつづつの歌は、当然だがそれぞれとびきりちがう印象を与える。おなじようなレゲエのリズムに乗ってはいるが、それぞれの環境で、それぞれの場所で、それぞれの暮らし方でラスタファリ運動を実践しているのだ。言葉の意味を解読できなくとも、魂だけは大きく揺さぶられる。 上述のシサコ監督のところでも触れたが、アフリカにもともとあった実に多数の原住民の言語が、ヨーロッパ人の植民政策で統一させられた、というのはまったくの誤りである。もともとひとびとの環境を音声に変換したものが言語であるから、多様なアフリカが多様な言語をあやつり、また新たな言語を生みだすのは当然である。 全世界に蔓延する、これら新たなる方言言語こそが、その土地それぞれの意識を全世界に訴え、真のグローバリゼーションに繋がっていくと確信している。 言語とその意味の重層化、というテーマは、連載「井筒・意識と本質論」でやさしく解読をつづけますので、食わず嫌いしないでぜひお立ち寄りください。 アルファ・ブロンディはさまざまな言語を使い分け、ときに顔をしかめ、ときにはとびきりの笑顔で「平和」を唄う。アフガンに平和を、イラクに平和を、イランに平和を、ミャンマーに平和を、北朝鮮に平和を、象牙海岸に平和を、アフリカに平和を、ニューヨークに平和を。 アンコールの曲は、あのピンクフロイドが、シド・バレットを精神の崖っぷちから呼び戻そうとした Wish You Were Here を、なんとレゲエにしてしまったもの。 そのとき、ここにいない、いるべきなのにいない、もしここにあなたがいてくれたら。そのいちばん最初の人物は多分ボブ・マーリーだと感じたが、それはボブだけではなく、たとえば、チェ・ゲバラ、たとえばマルティン・ルーサー・キングJR、そして松蔭や龍馬までを含めて、世界を変える運動を起こして、非業に倒れていった人びと全員の魂が、真夏のセントラル・パークの宙空に集まってきたように感じた。 http://www.youtube.com/watch?v=bsoiupLME-w http://www.youtube.com/watch?v=bsoiupLME-w そのとき、ここにいない、いるべきなのにいない、あなたに。 遠くから僕の感じた物語の断片を、話せたこと、聴いていただいたことを幸せに思います。 http://www.youtube.com/watch?v=IXdNnw99-Ic 物語を、遠くからつむぐ&あやなす (3)につづく 金魚のFun & Fun 今日でこの稿を終わる予定だったのですが、またまたつづきとなってしまいました。 まずい! ふと気がつけば、もう今日はヒロシマの記念日。 このあと一番肝心なことを書かないと、いけないのに。いやあ。 大至急アップします。 8月5日(日本時間6日朝)のいまから、アップタウンで行なわれるUniversal Peace Dayに出席してきます。 See You Soon!
by nyckingyo
| 2009-08-06 04:26
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