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![]() あけましておめでとうございます。 ![]() 人間全体の社会や宇宙は、必ず個人の意識から変わっていく、というしごくあたり前のことにとり憑かれて、このブログを書きはじめたわけですが、その極大(大我)と極小(小我)の世界がおそろしいほど似かよっている、近づいている、と感じています。この僻地に住む一日本人の小さなたましいが語ることですが、ときに、はずれっぱなしの僕の考えを、皆さまとディスカスしながら、部分を共有できれば、と思っています。 ことしも「NY多層金魚」をどうぞよろしくお願いいたします。 初春 ニューヨークの元日の朝は、厚い雪雲に覆われて、初日の出は拝めなかった。太陽が雲のなかでも、その隙間からのご来光だけでも、という手があるが、大西洋からの元旦ではなんだかご利益が薄そうで、いつも年の瀬にロングアイランドの東端まで足をのばす気にはなかなかならない。まぁ大西洋もどこか遠くで、母なる太平洋(勝手な個人的解釈)とつながっていて、かれらはトータルに地球における唯一の「海」なのだから、そんなに部分的差別をしてはいけない。そうさね、いっそキャッツキル山頂からの元旦を、とも考えたが、どうもうまくご来光見学場所が見つからない。 ![]() 日本の日立市に住む友人からは美しいご来光の写真(左)がとどき、おまけに年が変わった瞬間にはなんと美しい満月が光輝いていたという。おまけのおまけにその満月の部分月食までが観られたという。まことに羨ましいかぎりというか、やはり天はその土地に住む人びとの所業をちゃんと見とどけて、天候をお決めになっているとしか考えられない。 ほとんど八つ当たり的に、いったいだれがこの太陽暦の元日というものを定めたのだろうか、という次なるとんちんかんな文句が噴出する。夜のいちばん長い冬至の数日後、世界がまだ闇と氷につつまれっぱなしの朝に、新年を祝わねばならぬことにどこかで抵抗感がある。もともとクリスマスは北欧の冬至祭が転化したという説があり、極北の闇だけの世界に陽のひかりが灯り、その特殊な場所としての意味はあるのだろうが、中緯度地方に住むわれわれにはかなり納得がいかない。 ![]() ![]() いずれにせよ春のかけらも感じない初春では情緒がない。日本も太陰暦に戻らないかなぁ。 想念を具現化する ![]() ![]() 日本語には「想念」ということばもある。このことばをどのように英訳していいのかノーアイディアだが、和英にはただアイディアと記されている。いずれにせよ人間のこころが意志をもって想う、あるいはこころに浮かぶものの総称だが、それが当人にとって実現してほしい想念と、実現すればこまる想念の二種類に分かれる。 初詣で祈念する思いの丈は、本人にとってはなんとしても実現してほしいことではある。入学祈願や子供を授かりますようになどというのは、他人の僕もシンプルに同調して想念し、応援してあげたいと思うが、たとえば「あのひとを恋人にしたい、結婚したい」などという祈願は、相手の気持ちがまったく正反対の「あなたとだけは絶対いっしょになりたくない」場合もあるので、急にむずかしくなる。祈願のなかでいちばん多いと思われる「金銭」をめぐる想念もおなじで、そのひとに対してお金を払うひとをも具現化する必要があるので、やはり一筋縄ではいかない。想念の相対性理論である。 ![]() それでは「戦争をなくし、平和な社会でありつづけたい」という全人類のほとんどが感じている想念はどうなのか。今回もまたこれが最大のテーマとなるが、金魚もいつまでもバカではないから、くり返しているうちになんとなく、センソーとヘイワの仕組みが詳しくわかってきた。(とはいうものの、暮れのオバマさんのノーベル平和賞受諾演説には裏切られましたね。やっぱり金魚はこんなにも見事に騙されちゃうバカなのかしら?とも思ってしまいましたね。 このことはそのうちアフガンの稿に追記します。) それはそれとして、今回は一段と進歩したその普遍的テーマである「地球の平和」という想念を具現化する新しいアイディアを連載長編で述べてみたく、とまあ年明けにつき、金魚も大きく出たモンだ。 ソラリス ![]() ご存知のように、ポーランドのスタニスワフ・レムの原作「ソラリス」は、それまでのSF小説の概念をとてつもなく拡大したことで、そのまま文章における人類の想像世界の勝利ということができる。タルコフスキーの映画は、原作者レムの強い反撥を受けたことで有名だが、僕を含めて、作品として原作小説をうんと越えているのではないか、という評価も多い。 ![]() ![]() そしてベッドに倒れ込んだクリスの前に、突然10年前に地球で自殺した妻ハリーが現われる。 かの女は「ソラリスの海」が送ってよこした幻なのだが、それが現実のかの女であるはずがないということを、クリスがどれほど探ってもわからないほど完璧な「かの女」そのものであった。「海」が人間の深層意識を探り出してそれを実体化したというわけである。妻の自殺に悔恨の思いを抱いていたクリスは、その幻のハリーを愛する努力をするが、大きな矛盾の塊のなか、ひどい葛藤がくり返されることになる。 「想念」が生み出すかずかず ![]() ![]() ![]() ![]() ソラリス体験のある元宇宙飛行士が乗ったクルマが、当時の東京首都高速を延々と走るシーン。迷路トンネル状の出入りをくりかえすその未来都市を象徴するような風景は、当時の日本人にはもちろん日常であったのだが、それはまさに戦後復興期からのわれわれの想念が具現化したそのものでもある。タルコフスキーには最初70年の大阪万博をロケする計画があったようだが、許可が下りずに断念し、当時から親交のあった黒澤明監督の事務所に向かう首都高速の風景を撮ったといわれている。いつの間にか元宇宙飛行士のいる後部座席に、かれの死んだ息子とおぼしきかわいい子供の幻が観えている。赤坂見附の夜景が輝く。すべてがわれわれの想念の「たまもの」である。 画面右下のYouTubeのロゴをクリックして、YouTubeでご覧ください。 首都高速ということばで連想するのが、昨年ベストセラーになった村上春樹の「1Q84」の冒頭ストーリー。主人公の青豆が停滞した高速の三軒茶屋あたりの非常階段から脱出するシーンだが、この小説のあちこちにタルコフスキーの映画の(あるいはレムの小説の)影響を観てとるのは、金魚のただの深読みだろうか。ことし「1Q84」が完結した時点で、別稿でこの関係を論じてみたいと思っている。 ![]() 映画「惑星ソラリス」は長過ぎるというひとがいるが、私はそうは思わない。とくに導入部の自然の描写が長過ぎるように見えるが、この地球の自然との別離とでもいうベきシーンの積み重ねが、この映画の主人公が宇宙基地に打ち上げられてからの物語の底に沈潜していて、それがホームシックに似た、たまらない「地球の自然」に対する郷愁ともいうベき気持で観客の胸をしめつけてくる。この長い導入部がなければ、衛星基地のなかに閉じ込められた人達の切羽つまった気持にじかにふれる思いを観客に抱かせることはできない。 私はこの作品を夜遅く、モスクワの試写室で見たのだが、見ているうちに、地球へ早く帰りたい、という気持で胸苦しくなった。科学の進歩は、人間をいったいどこへ連れて行ってしまうのだろう。その、空恐ろしい気持をこの映画は見事に掴んで見せている。SFに、これがなくては、たんなる絵空事になってしまう。(黒澤明・地球の自然への郷愁 イメージフォーラム 1987年3月増刊に掲載) ![]() 画面右下のYouTubeのロゴをクリックして、YouTubeでご覧ください。 ひとの発する「想念」とは、それを「邪念」としか呼ぶことのできないようなひどいものを含めたどろどろの複合体であり、このことはソラリス物語にも繰り返し登場する。レムの小説には、クリスがやってくるまえのステーション乗組員たちの想念の複合体である数々の「怪獣」が登場する。これは「ソラリスの海」がひとの重要な想念をすべて具現化するものであればしごく当然で、その意味では人間の想念を部分的にしか具現化してくれない、われわれの天=あるいは「地球の海」の方が実に理にかなっている。 ![]() ![]() 惑星ソラリスの海に泳ぐイカ(2) につづく ![]() ![]() 重いロシア映画にのめり込んだ僕の想念が具現化したのでなければいいのですが。 新年早々厳しいお言葉ではなく、ココロのあたたまるお雑煮のような「あけ/おめ」のコメントなどいただければ、凍てついた金魚も生き返るのですが。
by nyckingyo
| 2010-01-02 09:14
| ソラリスの海に泳ぐイカ
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