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「生きものの記録」は記録されたか(中) よりつづく 「世界の終わり」意識の変遷 ここに「核」に恐れおののき、自分の率いる大家族全員を連れてブラジルに移住しようと強く思い込んでしまった男がいた。黒澤明の1955年作品「生きものの記録」(英語タイトル: I Live in Fear)の主人公、当時35歳だった三船敏郎が70代の頑固にすぎる老人、中島喜一を見事に演じている。 かれの核に対する被害妄想的な精神状況は、当時の日本人の「正常」感覚から見ればやはり異常ということになるのだろうか。21世紀の現代日本では、体制によって脅えの方向を「原発」と「北朝鮮の核弾頭」に制限されているわけだが、冷戦がはじまったばかりの半世紀前のこの映画が創られた当時は、それはあきらかに全地球人類の脅威=核戦争であった。現代でも脅威の範囲が狭まる理由はまったくない。「核抑止力」という奇妙な名前で、さも核の脅威が縮小されているような錯覚に陥れられているにすぎない。 終戦から10年、祖国復興の猛烈なエネジーのなかで、核による全人類滅亡の危惧はまさに一触即発の状況がつづいていたが、当時のほとんどの人類はそれをまるで他の惑星での出来ごとのように、自分たちの意識の奥底に封じ込めていた。全員が声を潜めて、言うことすらもためらっていたこの負の隠し財産は、ある出来ごとを契機に地球の表皮に、意識の外側に、多数の小さな爆発を起こしはじめる。それはあきらかにこの問題の元凶である水素爆弾実験という途方もない規模の爆発と呼応したものであった。 当時の状況をもう少しくわしく書く。1953年、人類滅亡時計2分前、アメリカとソ連が水爆実験に成功する。1954年南太平洋ビキニ環礁でのアメリカ水爆実験による「死の灰」が日本の漁船第五福竜丸に降下し、乗組員は大量の放射能を浴びた。9月にはそのひとり久保山愛吉氏が死亡。地元焼津市からの原水爆禁止運動が急速に全国に広がっていく。太平洋戦争では二都市で核被爆があり、おまけに朝鮮動乱からはじまるこの冷戦初期に、水爆実験による被爆者までも出してしまった日本の使命である、とだれもが感じはじめていた。この恐怖を、屈辱を、世界に発信し、すべての己のうちにある正直な人間性を最低限度だけでも復権させようとしはじめていた。 当時はものごころもついていなかった幼児の僕がこの映画「生きものの記録」を観るのは、20数年後に海を渡ってから、カリフォルニアの場末の映画館でのことになる。同じ時期の映画で、やはり公開時に観たわけではないのだが、夢のなかのような当時の映像の記憶をたどれば、この時代の背景がひどくおぼろげにだが垣間見える。 1958年公開のWhite Wilderness(白い荒野)というディズニー映画で、カナダ北部で大発生したレミング鼠が海へ向かって暴走し、次から次へと崖から海に飛び込み、大量に溺死するという「集団自殺」の映像を観た記憶がある。当時のアカデミー賞を受賞したこの映像は、のちにほとんどが捏造だったことがわかるのだが、冷戦時代のムードとともに幼い頭に焼き付いたイメージは強力だった。レミングがこぞって崖から飛び降りる理由はまったくわからなかったが、やがては人類も自ら造った原水爆というもので全員が集団自殺してしまうのではないか。核爆弾とは、当時の日曜学校の牧師様の言われるように、愚かしい人類に神がもたせたソドムとゴモラの街の崩壊のことではないのか、と。 そして1959年には、スタンリー・クレイマー監督がやはり人類滅亡テーマの映画「渚にて」を製作した。 北半球が核によって滅亡し、最後に残った都市メルボルンの市民にも自殺用の薬が配られる。最後の人類は日本の二都市の被爆者のような長時間の苦痛と屈辱の道を選ばず、自殺による安楽死を選ぶということに、子供ごころにもなぜか納得できないものを感じた。恋も家族もすべて消え去ってしまう果てしなく暗い「世界の終わり」の映像に、やり場のない怒りと悲しみだけが残る無責任な映画という印象が残った。 いま話題の村上春樹「1Q84」に、この映画「渚にて」の登場する一節がある。主人公青豆が男性の睾丸を蹴る術に習熟している、という箇所である。女性がより大柄で力の強い男性を一対一で倒すには、睾丸を思いきり蹴り上げる方法しかない、という青豆の信念の記述である。 「あれは、じきに世界が終わるんじゃないかというような痛みだ。ほかにうまくたとえようがない。ただの痛みとはちがう」、ある男は青豆に説明を求められたとき、熟考した後でそう言った。 青豆はその類比についてひとしきり考えを巡らせた。世界の終わり? 「じゃあ逆の言い方をすれば、じきに世界が終わるというのは、睾丸を思いきり蹴られたときのようなものなのかしら」と青豆は尋ねた。 「世界の終わりを体験したことはまだないから、正確なことは言えないけれど、あるいはそうかもしれない」と相手の男は言って漠然とした目つきで宙を睨んだ。「そこにはただ深い無力感しかないんだ。暗くて切なくて、救いがない」。 青豆はそのあとたまたま「渚にて」という映画をテレビの深夜放送で見た。アメリカとソビエトのあいだで全面戦争が勃発し、大量の核ミサイルがトビウオの群れのように大陸間を盛大に飛び交い、地球があっけなく壊滅し、世界のほとんどの部分で人類が死に絶えてしまう。しかし風向きか何かのせいで南半球のオーストラリアだけにはまだ死の灰が到達していない。とはいえそれがやってくるのは時間の問題である。人類の消滅は何をもってしても避けられない。生き残った人々はその地で、来たるべき終末をなすすべもなく待っている。それぞれのやり方で人生の最後の日々を生きている。そんな筋だった。救いのない暗い映画だった(しかし、それにもかかわらず、誰もがこころの奥底では世の終末の到来を待ちうけてもいるのだと、青豆はその映画を見ながらあらためて確信した)。(太文字金魚) いずれにせよ、真夜中に一人でその映画を見ながら、青豆は「なるほど睾丸を思いきり蹴られるというのは、こういう感じの心持ちなのか」と推測し、それなりに納得した。(1Q84 Book l , p-233 新潮社 ) 男性ならば一度は経験のある睾丸への攻撃と、人類滅亡テーマの映画を類比させるところに春樹文学の天才性が垣間見える。体内に鉛を埋め込まれたような持続的な痛みを精神のほうに転化すれば、それは限りなく全体性をもった死のイメージに近づく。スポーツクラブの女性会員にひたすら睾丸を蹴る練習をさせるインストラクターだった青豆には、相手の男性を「無力感」のかたまりに陥れることしか頭にない。「私を襲ってくるような無謀な奴らがいたら、そのときは世界の終わりをまざまざと見せてやる。王国の到来をしっかりと直視させてやる。まっすぐ南半球に送り込んで、カンガルーやらワラビーと一緒に、死の灰をたっぷりとあびせかけてやる。」 小説「1Q84」のこの章「肉体こそが人間にとっての神殿である」のテーマは、この攻撃の被害者=男性に世界の終わりと感じさせるような「無力感」に落とし入れることである。 そして主人公青豆はのちにパトロンとなる老婦人にこうも語る。「これは生き方そのものの問題です。常に真剣に自分の身を護る姿勢が大事なのです。攻撃を受けることにただ甘んじていては、どこにもいけません。慢性的な無力感は人を蝕み損ないます。」この場合は男性の暴力に屈服してしまうときの女性の無力感を意味している。 映画「渚にて」を観た観客は、人類が滅亡していく姿にただひたすら(睾丸を蹴られたときの男性のように、あるいは男性に屈服したときの女性のように)「無力感」で答えるのみである。滅亡時計の針をむりやり逆回転し、核戦争の起こる前まで戻してやり直せばいい、などというSF的発想も、この無力感のまえには幻のごとく消え去ってしまう。 映画「生きものの記録」 この人類を根こそぎ消滅させてしまった映画に、数年先立って公開された黒澤明「生きものの記録」を、20数年あとにはじめて観たときの高揚感はまったくちがっていた。この映画には、本物の核戦争も被爆者も人類全体が滅亡することも、一切描かれていない。ただ当時まだ青年といってもいい三船敏郎が演じる老人、中島喜一の核に対する個人的な恐怖が、思いきり誇張されて語られるのみである。 が、それを観ている観客には、核戦争に対する無力感など微塵だに生まれてこず、ひたすら主人公喜一と、そのまわりにいる核の恐怖を意識の奥にしまい込み、何もできないでいる無力の人間たちの感覚的落差を見つめはじめることとなる。 全面的核戦争が起こればもうしかたがない、個人の自分がいかにあがこうがなにもできることはない、「渚にて」のようにみんなとともに死んでいくしかないという無力感は、主人公喜一の異常な恐怖感と同調して変化しはじめ、感情のなかになにか能動的な運動体としての自己をもつことになる。いわば平常態における恐怖ではなく、エロティシズム態としての恐怖が出現しはじめるのだ。 都内に鋳物工場を経営し、かなりの財産を持つ中島喜一は妻とのあいだに、二男二女、ふたりの妾とその子供、それにもう一人の妾腹の子の月々の面倒までみている。その喜一は原水爆弾とその放射能に対して異常な被害妾想に陥り、地球上で安全な土地はもはや南米しかないと思い込み、近親者全員のブラジル移住を計画、全財産を抛ってもそれを断行しようとしていた。 家族やまわりの人間は、喜一の意志を通せば鋳物工場を中心にした全員の生活が破壊されるとして、家庭裁判所に喜一を準禁治産者とする申立てをした。次男(千秋実)は「人間だれだっていつかは死ぬのだから…」と説得するが、強靭な意志をもつ喜一は「死ぬのはやむをえん、だがあんなもので殺されるのはいやだ」といいながらひたすら怯えおののいている。 家庭裁判所参与員を引き受けた歯科医原田(志村喬)は喜一のこの言葉に強くこころをうたれる。この時点で映画を観ていた観客も、原田と同じように、世間の見方の方が気が狂っていて、喜一の意志のほうが正常な感覚のではないか、という意識が生まれはじめることになる。 「七人の侍」をやってた時だな、早坂(文雄・作曲家)のところへ行ったら急に「こう生命をおびやかされちゃ、仕事はできないね」と言い出したんだ。早坂は、実はたいへんな病弱でいつも死に直面しているような体だったし、気持のほうもたえず死をじっとみつめてるような人だったんだよ。その彼がビキニの爆発のニュースを聞いて、こういうことを言う。僕はドキッとしたね。次に会った時、僕が「おい、あれをやるぜ」と言ったら、早坂は「たいへんなことだよ」と驚いていた。「生きものの記録」はその時にはじまったんです。(黒澤明全自作を語る、より) 黒澤映画の音楽監督・早坂文雄はこの映画のために「星になる音楽」の冒頭メロディー四小節の五線譜を残し、撮影中に黄泉の国へと旅立たれる。音楽は弟子の佐藤勝が延ばして完成するのだが、この映画の発案者であるかれの死は黒澤にとって大きな衝撃であり、その落胆ぶりには多くの証言がある。タイトルには「音楽・早坂文雄(遺作)」と書かれている。 当時の平均寿命を越えていたと思われる老人喜一の核に対する被害妄想は、一見利己的な生命保持の発想のように見えるが、一族の全員を核から救いたいという集団救命ともいえるような意志に通じている。それでは一族以外の命はどうなるのか、という矛盾も表現しながら、物語は更なる悲劇へと進行する。 戦後の混乱期の余韻を残したまま、惑星日本は船出した。鋳物工場を軌道にのせた喜一は復興の旗印のような人物である。が、かれの頑迷な精神は典型的な大家族の不調和を生み出してしまう。封建制ということばが似合うほどに権力を独り占めした孤高の老人は、孤高であるがゆえに領分以外のコンセプトを極端に恐れるようになっていったのかもしれない。自分の想念が生み出した大家族という怪獣に猛烈な反撃を受けることになる。ここはやはり惑星日本ではなく、個人の想念を洗いざらい具現化する惑星ソラリス の海に浮かぶ列島なのかもしれない。 喜一は家庭裁判所で証言する。「わしは原水爆など、避ければ避けられると思っておる。ところが臆病者は震えあがってただただ目を瞑っておる。倅どもがいい例です。」 喜一のブラジル行きの計画が具体化するにつれ、家族全員の反対はひどくなり、すったもんだの末に、裁判所はかれを準禁治産者とする決定を下す。喜一は家族とともに原水爆から逃げるすべを失い、無力感にとり憑かれた亡者の様相となる。物語は更なるエロティシズム態の恐怖を捉えつつ、大きな悲劇に発展していくのだが、日本ではなぜかいまだに不評のこの映画をまだ未鑑賞のひとのために、ストーリーのディテールを追うのはここでやめる。 当時この映画を観た大島渚監督は「鉄棒で思いきり頭をぶん殴られたような衝撃があった」と語っている。二十数年を経て、サンフランシスコの場末の映画館ではじめてこの映画を観た僕も、まさに頭をぶん殴られ、その場ですぐに立ちあがって核廃絶の運動に参加しろ、と急かされているように感じた。感じたと同時に、この映画の「凄まじいおもしろさ」に、それをそのままおもしろいと言いきってはいけない矛盾のようなものまでを感じた、というところが事実である。 この作品での黒澤のモンタージュ手法は、頂点を極めている。ひとのこころの深淵にある核に対する恐怖を、ごく日常的なさまざまな状景を通して、異常に盛り上がる。 「原水爆の脅威を鳥や動物が知ったら、そこから逃げ出すでしょう」と黒澤監督は「生きものの記録」について問われたとき、自然体として答えた。逆説的にいえば、人間だけがその脅威を知りつくしているくせに、そこから逃げださない。逃げられないと思い込んでいる。その自ら造った悪魔の兵器に対する無力感を繋げたまま、捨て去ることを諦めてしまい半世紀が経った。 黒澤明監督にはもうひとつの核テーマ映画「八月の狂詩曲 Rhapsody in August」がある。村瀬幸子演じる長崎の被爆者が、老いて雷雨のなかを「ピカドン」の閃光と誤認して奔りまわる。生き残った数少ない被爆者の証言がどんどん消えていくなか、せめて映画に記録する、という監督の執念が固まったような作品である。 被爆という過去をくり返し世界に問いかける晩年のメッセージとして評価するものだが、まさに監督自身の「生きもの」としてのエネジーに満ちあふれた時期の作品「生きものの記録」の方が現代社会に圧倒的に強いインパクトを残している。 最近のこのブログ記事で、アメリカでの黒澤映画の評価について少し述べたが、この大陸の映画館で、アメリカ人とともに観るKUROSAWAは、実にわかりやすい。ちなみに日本の劇場で観る黒澤は、どこかイメージがちぐはぐで退屈に感じる。カリフォルリニア州ベイエリアでは、年に一度はいまだにどこかの映画館で黒澤映画の大特集がある。Kurosawa Freak 健在である。 ことしは黒澤明生誕から百周年ということもあり、ダウンタウンのフィルム・フォーラムで久々に「黒澤明全作品」が上映された。ニューヨークの観客の反応がおもしろく数点を観なおしたが、この「生きものの記録」のインパクトは観るたびに強くなっている。 イギリスの批評家・ノエル・バーチは、黒澤の「蜘蛛巣城」を例にとり、各ショットの変化を「フレーム内の動き」と「スクリーン外のドラマ」に対照させながら分析している。領主の殺人を予告するような三木と鷲津が森で迷うシーンの馬のギャロップ(駆け足)、動く森を予告する不吉な鳥の侵入などが、画面の外にある異常なストーリーを暗示し象徴している、というわけである。 この「生きものの記録」にも手法はちがうが、画面からはみ出した物語をいかに観客のイメージのなかに組み入れるかに黒澤が腐心した形跡がある。 この映画撮影時のルポによると、のちの黒澤映画に多用されるマルチカム方式(マルチカメラ)はこの「生きものの記録」が最初である。 撮影二日目、家庭裁判所のなかの狭い廊下で、喜一老人と近親者十数人がひしめき合っているシーンの撮影に、最初は一台のカメラが使われていたが、その狭い空間のゴタゴタをカットづつで繋いでいくのはとても手間がかかるので、廊下のはずれと窓の外に二台のカメラを設置し、後でカット割りに編集する方法がとられた。そのラッシュを観たスタッフは一様に驚きの声を上げたといわれている。その二本のフィルムにはちょうどニュース映画をみるように、登場人物がごっちゃにひしめき合い、ときに俳優たちの背中で画面がさえぎられたり、肘が画面の横に飛び出していたり、およそ劇映画の常識を破る不思議なものだったという。その次の撮影から3台のカメラによる同時撮影となり、ここに黒澤マルチカム方式が完成した。後年この方式は、用心棒や椿三十郎の華麗な殺陣シーンで有名になる。 今年話題のNHK大河ドラマ「龍馬伝」では、この「生きものの記録」からはじまったマルチカム方式をとり入れ、迫力のある黒澤のモンタージュ手法を踏襲しようとしている。大の龍馬ファンである金魚は、龍馬がポピュラーになることにまったくやぶさかではないが、軽いカメラでひどいブレを起こしながらの雑然一色の演出には、迫力の以前に日本の過去の時代に対する「真摯な魂」の不在を感じてしまう。 このマルチカムの原典である黒澤反核映画と比較すること自体に無理があるのだが、ここまで書いて、この映画「生きものの記録」自身が、半世紀前という日本のひとつの恐怖の時代を象徴する「時代劇」ではないか、という思いにかられた。 ただこの時代劇が龍馬などを語るものとがちがう点は、かたや龍馬の死のあと明治維新という人々の意識をまったく変えてしまう事変があった時代のことと、このリアルタイムの反核映画の場合は、そのあと半世紀がすぎても、核に対する人びとの無力感がまったく変わっていないということである。もちろん大家族制は崩壊し、多様な時代の変遷はあったものの、こと核に関していえば、人類滅亡という絶対的な危機がはじまった時代から、その危機を意識/無意識の奥底にしまい込んだまま、時計だけがまわり、危機は一向に去ろうとしていない。やれグローバリゼーションだとはしゃいでいる現代人に必見の反核時代劇である。 映画の終章、完全に気が狂ってしまった喜一が、歯科医原田に最近の地球の様子を訊く。「まだひとはたくさん残っておりますか? はぁ、それはいかんな、早く逃げだしてこの星に来ないといかん。早く!」 そしてそのすぐ後、喜一の想念のなかの地球は燃えはじめる。それは収監所の鉄格子に映る夕陽が燃えているのだが、観客の眼にもまさに核に滅ぼされた地球星のように映る。 「終」の文字のあと、完全な暗転となり、真闇のなかを早坂文雄の遺作「星になる音楽」が流れ出す。 それぞれが核を恐怖すること、その恐怖を持続し、核の前にそれを無力化させないこと。それがすなわち「生きものの記録」を記録し、核の廃絶へと人類を導く唯一の方法である。 映画の説明に文字数をとられ、この「『生きものの記録』は記録されたか」を総括する紙数がなくなってしまいました。「補遺」として次稿に短くまとめるつもりです。 生きものの記録」は記録されたか・補遺につづく
by nyckingyo
| 2010-06-10 04:52
| ソラリスの海に泳ぐイカ
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