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大阪で23歳の母親が、1歳と3歳の幼児ふたりを部屋のドアにテープを貼り強制監禁し、ひと月以上放置して殺した。ふたりの幼児は全裸で、遺体の周りにはゴミが散乱。胃や腸のなかには食べものがいっさい残っていない状態で発見され,餓死の可能性が高いという。被疑者の母親は昨年離婚し、名古屋の飲食店で働きながら生活をはじめた。このときは子どもたちを店の託児所に預けていたという。そして、今年1月に大阪の風俗店に転職をした頃から子どもの世話をしなくなり、家を空けて複数のホストと遊び歩く生活にふけっていたという。 実はこの事件のことを、ブログ「世に倦む日日」のコメント欄に書き込みはじめたとき、僕は突然原因不明の高熱に襲われ寝込んでしまった。置き去りにされた幼児たちの長い長い地獄の時間のことを想像して、病んだ精神が、熱病を誘発したのだろう。その後もしばらく高熱のためベッドルームに監禁状態となり、その事件のことがさらに気になりつづけ、寝床での妄想と渾然一体となり、混乱のなかなんとかかんとかできあがったのがこの記事である。 地表を放れたわが同胞たちの霊魂は、その放れた地が日本であろうがアフリカであろうが、瞬時にこの地までたどり着く。はるかむかしトーキョーで、ラヴィ・シャンカール師が僕の質問の答として語られたように「こちらが想念を出したひとや魂は、ときにわがベッドルームを訪ねるリスや小鳥になり、あるいは月や風となってやってくる」。この幼ない姉弟とは、僕が高熱にうなされていた夜明け、けたたましく冴えずりつづけていたあの二羽のかわいい小鳥のヒナたちのことだったのだろうか。 「世に倦む日日」の読者の方には、この(上)稿が、コメント欄での僕の意見と重複している部分がかなりあります、あしからず。 数年前、MoMA NYで、イギリス人監督による、大阪のホストたちを主人公にしたドキュメンタリー映画を見た。 The Great Happiness Space: Tale of an Osaka Love Thief。 大阪のホストクラブ・カフェ「ラッキョ」で荒稼ぎするNo.1ホストボーイ「Issei」とその仲間たちの言動を克明に撮ってるのだが、このホストクラブの常連客は、若い男性にモテないお金持ちのオバさんたちではなく、全員が若く美しい風俗関係の女性たちなのだ。かの女たちもそれぞれの風俗店で荒稼ぎしたカネで、ホストクラブの1ボトル何十万もするピンク・ドンペリの栓をあけ、夜な夜な祝杯をあげつづけ、それぞれお気に入りのホストに貢ぐ。ホストたちもその見返りに常連客のかの女たちに「奉仕」する。僕にはまったく上っ面だけの言葉のように聞こえるのだが、ホストとできてしまった風俗嬢たちには、本業での「客」との嫌な思いを忘れるために、かれらの(やさしい)言葉と肉体だけが生き甲斐になってしまう、と語る。こんなにやさしくて、こんなにすてきな人は世界にいない。 ホストたちも大抵が暴飲と不摂生からほぼ2年前後で内臓を病み、消えていく。せっかくの超高級酒をトイレで吐き出しつづけても、その上に飲む、また飲む、というスザマシさである。Issei君はいまのうちに稼いで、早くやめるんだと、朝方まで店でその風俗嬢たちと騒ぎ、そのあと「寝てあげる」あるいは「なぐさめてあげる」。ガイジンの撮影クルーによるインタヴューに、ホストたちも、客の風俗嬢たちも素直に延々と本音を語っている。それゆえに、と言えばいいのか、なんとも退廃の極みに思えるわが故郷の風景を見て、おおぜいのアメリカ人たちとともに、あいた口が長い時間開きっぱなしになった。 抜粋のYouTubeも、Full Movieも削除されたがこちらからWach Previewをクリックすれば予告編を見ることができる。 海外にいても、たとえばこの映画から今回の幼児遺棄殺人事件の背景が、かなり微妙なところまで読みとれる。この映画の登場人物のひとりのホストに入れこんだ風俗嬢に、もし仮に子供がいたとすれば、かの女はそのかれ(ホスト)にそのことをひた隠すことになる。ホストとの関係はそのまま刹那的につづくことになるが「子連れ」で恋愛するというハンディは、やがてかの女の意識のなかから、アパートに置いてきた子どもたちを意図的に消し去る、という方向に動くのではないか。 一種の性風俗犯罪の変形といえなくもない。世界最悪最強のドラッグ「覚醒剤」の匂いも感じる。なによりも人間の心をここまで荒ませてしまう現代日本社会の(闇の)システムそのものを強く強く弾劾する。 アメリカでも同種の事件は皆無ではないが、早い時期に虐待関係の母子を引き離すシステムが完備している。児童福祉事務所にあたる組織の対応も迅速かつ多層的に強力で、なにより加害者と被害者の人権を認め、博愛をもって接する。アパートの隣人との関係も、むろん閉鎖的なところもあるが、現代日本のように一律に人間関係が完全に閉ざされているということはありえない。子供が餓えと暑さで叫んでいるのを聴いた周囲の住民たちが、かれらのいのちを救済できなかったことに憤りすら感じる。 いずれにせよこの日本の異常な状況が生み出した今回の事件は、世界最強の変態国家の代表的事件として、世界中に大きく発信され、日本国社会のあり方そのものが弾劾されることだろう。 母親による子殺しの事件は、起こるたびにいつもその陰惨を極める背景からから思わず目を背けたくなるが、必ず周囲の社会との孤絶感、が存在している。2年前の4月、青森県八戸市でやはり実の母親が9歳の息子拓海くんを絞殺した。この拓海くんは小二のとき「おかあさん」という詩を書いてコンクールに入賞した。すばらしいおかあさんの肌ざわりが読んでいるこちらの皮膚にまで伝わってくる。それだけすばらしいおかあさん。きっとこのおかあさんは、拓海くんといっぱいいっぱい肌を触れつづけ、ことばで遊び、たくさんの神話的時間をもったにちがいない。拓海くんはそのおかあさんに絞殺されてしまった。この場合の原因は貧困と地域社会でのディスコミュケーションといわれている。 鶴見俊輔氏の言われている、母親と幼児期の子どもとのあいだの「神話的時間」。「ことば」というものを創りつづけながら、その両者は旧約聖書の時代のお話を体験しているのだという。 あるいは、すべてのひとに共通する記憶がある。普段それは深層心理の海の奥底に沈みきっているのだが、なにかをきっかけに(たとえば自分に子どもができたとき)俄然明解に憶い出すこととなる。口に入りきらないほど大きな乳首をくわえながら、母親というこの大きな存在なしでは、自分は到底生きていけないだろう。ことばというものを知らなくても、いまこのひとがここにいる。だから自分は生きていけるんだ。まわりの海がどんなに荒れていても、この母親という大きな船に乗っているかぎり、眠りこけていてもかまわない。眠りなさい。眠れよい子よ。 そしてそうしたほとんどのひとの運命とは逆に、その姉弟の母親はある日突然ガムテープで部屋の仕切りを閉じる。大きな船であったお母さんは自分たちを暗くて狭い牢獄に放り出し、どこかに行ってしまった。「ママ!」「ママ!」とひたすら叫びつづけても、灼熱の地獄のどこからも、なんの返答も帰ってこない。このお母さんは子どもとの対話を断絶し、自分の周囲の大人の社会とだけ交わろうと求めたのだ。むろんそんなことは倫理が逆転しているからだれが考えても不可能なのだ。 だれの記憶にも残っているだろうが、幼児のときの感覚というものは、われわれのようにおとなになってからのものよりうんと強くて鋭い。我々が感じる何百倍という苦しみ。何百倍という痛み。Imagine!!!! 熱にうなされているわがベッドの窓際で、二羽の小鳥のヒナが叫びつづける。苦しいよう。暑いよう。暗いよう。こわいよう。水が飲みたいよう。おかあさーん! 今回の大阪の事件は単純な「貧困問題」ではない。被疑者が名古屋の飲食店で働き始めた頃までは、子供たちを養う充分な収入は得られなかったのだろうが、大阪で風俗嬢になってからは、かなりの収入を得ていたと推測できる。そのうちのたとえ何%か、ホストクラブでのドンペリ酒を月に1本やめただけで、ベビーシッターを雇ったり、保育施設に入所させる金額は充分に捻出できたはずだ。そのホストクラブの映画のなかにも、そのように最低限度の責任を果たしながら(ある意味で少しだけつつましく)ホストと恋愛をする母親風俗嬢が出ていたように記憶している。 が、その変態性風俗世界にはいり込んでしまった被疑者の発想はすでに正常ではなくなっていた。華麗なホストたちの嘘でかためた甘い口説き文句にふりまわされて、体毛の最後の一本まで引き抜かれる。そのホストたちもある意味で被害者で、すべては巨大な闇の組織が二重三重に搾取する。経済的にはまったく貧困でないように見えるが、精神が完全に脱構築的な組織貧困に組み入れられている。酷な言い方だがネットやケータイでその風俗嬢を買いに行く若者たちも同罪ではないか。必要悪とうそぶいて売春をほぼ公然と許している先進国はその列島だけである。 Shame on YOU !!! (下)編では、被疑者の母親だけでなく、精神そのものがプラスティック化してしまった現代日本の若者のサブカルチュアすべて、ネットオタク、コスプレ、などを含めて、60年代の傑作SF小説「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」の物語をメタファーとして、切り刻むつもりです。 パーキー・パット人形はもう動かない(下)につづく
by nyckingyo
| 2010-08-05 09:23
| 悪魔の国からオニの国のあなたへ
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