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上のタイトル写真は、まるで大津波による「瓦礫博物館」の様相だが、実は昨年末、チェルシー最大の展示スペース、ガゴシアン・ギャラリーでのアンゼルム・キーファーの個展「来年、エルサレムで」の広大な館内風景を撮ったものである。キーファーは現在、フランスで制作をつづけるドイツ人現代美術家。 第二次大戦でのすざましい大量殺戮の状況を、霊界からの実況中継(そこには過去などという時制はないと言わんばかり)という雰囲気で具現化し、かっての自分の民族が選んだナチスドイツの犯した異常な戦争犯罪を告発しつづけている。 Anselm Kiefer: Next Year in Jerusalem @ Gagosian Gallery, West 24th Street, November 6 - December 18, 2010 「来年、エルサレムで」というこの個展の謎めいたタイトルは、本来は二千年間世界中を放浪していたユダヤの民が、来年こそ聖地エルサレムでユダヤ暦の過越(すぎこし)の祭り Passover(新暦4月ごろ)を迎えようと祈りつづけたことからきている。 しかしながら、その広大なギャラリーにたたずみ、かれの荒涼たる作品群を見渡しているかぎり、われわれ人類の諸悪を弾劾する霊界からの強いメッセージが、いよいよ三大一神教の「聖地」に集まる時間帯に入りつつある、というように受け取ってしまうのだ。あるいはこの2011年中に中東大戦争が起こるのではないか、というネガティヴな憶測も湧き出る。折しも重なるように昨年暮れからはじまった、チュニジア・エジプトそして現在はリビア・シリアなどに移行しつある中東の民主化革命が、この地球星にすむわれわれの精神のなかの磁場が大きく移動しはじめたことを感じさせている。 3-11の被害の大きさに精神がかきまわされ、ほとんどそのことだけに意識が集中している日々がつづいたが、そのあいだにこの地球星では実にさまざまなことが起こっていた。むろんこの数ヵ月にはじまった問題ではないのだが、大震災を含めたすべてのうしろ側で、われわれのこの星を形而上的な世界からなにかが大きく動かしているように感じる。もう少しだけ自分の深層心理に深入りすれば、すべての大事件が東日本大震災と相似形に観え、われわれにひとつの大きなメッセージを伝えているように思ってしまうのだ。 先週5月20日、オバマ大統領はイスラエルにパレスチナとの国境について1967年の時点にまで戻るように、一大転換を表明した。エジプトではツイッターによる革命で親米独裁のムバラクを退陣に追いやったものの、新しい指導者の不在からか新政権による民主化はまったく不透明のままである。5月26日、エジプトはガザ地区との唯一の出入り口、ラファ検問所を常時解放した。実質的にパレスチナの後見人に戻るということである。いずれにせよイスラエルにとっても大きな転機である。聖地エルサレムははたしてどのように動くのだろう。 今月の初めには、オバマ大統領の命を受けた特殊部隊がウサマ・ビンラディンを殺害した、という報道がされた。本当だろうか。故ブット・パキスタン首相が語っていたように、オサマはとっくの昔に病死したのではなかったのか。潜伏先はそれまで噂されていたアフガニスタン山岳地帯の洞窟などではなく、イスラマバード郊外にあったかれの邸宅に家族とともに住んでいたという。大統領は衛星放送でかれの死を直接自分の眼で確認したあと、すぐにそれが「正義の執行」であると自賛した。驚いたことに数時間後の東部時間の真夜中から明け方まで、グラウンド・ゼロとホワイトハウス前に数千人が集まりはしゃいでいた。一夜明ければ、そのはしゃいでいた連中を含めて、報復テロの恐怖におののきはじめる。 その数日前の4月27日、アラバマ州を中心に竜巻が猛威をふるい、死者238人、原発3基が停止した。この大陸の大竜巻街道は有名で、昨年はこの NYCまでが被害 にあったが、このアラバマ大竜巻からひと月が経たない5月22日に、こんどはミズーリの竜巻でやはり百人以上の死者を数えている。竜巻は日々現在進行形で多数が発生している。これと並行した大雨でミシシッピ河が氾濫、水位は18mに達し、カジノ街が水没、南部の製油所が操業を停止した。東日本大震災にくらべれば被害は小規模だが、多くのいのちが失われたことにはちがいがない。 おおぜいのひとが自然災害によって殺される、あるいは人災によって、あるいは不特定の者が不特定な人びとを、あるいは特定の者が特定の人を殺す。乱暴な話だが、ここ数ヵ月の状況のすべてになぜか異常なほどの共通点を感じてしまうのだ。 話をドイツのアーティスト、キーファーに戻す。この話題は、昨年末から連載していた「天使の絵画と霊界事情」シリーズのトリとして温存しておいた美術評論のつもりだったが、東日本大震災の余波(aftermath)が続くいま、これほどわれわれ地球星の心象風景をトータルに象徴している画像はないと思い、絡めて書くことにした。とりわけフクシマに過敏に反応し脱原発を宣言したドイツ人と、日本人の意識の差のようなもの、それがいったいどのようにずれて、ちがったものとなっているのかを検証できれば、と思っている。 僕が最初に大量のキーファーの地獄絵図を観たのは1988年暮れ、北カリフォルニアからニューヨークへの移住を考えていた寒い冬に、MoMAでかれの大回顧展に遭遇したときである。 その冬は手に持った紙カップのコーヒーが分単位で凍っていくような極寒のNYCだったが、その膨大な作品群のあまりのすさましさに圧倒され、そのせいでまさに歯の根が合わなかった、というのが正直な感想である。 当時の「季刊みずゑ」に四方田犬彦によるこの大回顧展の評論が残っているのを見つけた。かれが当地で出くわした小林恭二の次の言葉とともに、僕が感じたものとまったく同種の強い衝撃を受けた、と書かれている。「あの不気味さは思い出しただけでも魘(うな)されそうだ」と。 泥に塗れた、読むことのできない書物。水に歪み、罅(ひび)割れた頁を捲るたびごとに、ばらばらと乾いた土砂の粒が零れ落ちる、汚れた書物。貶(おとし)められ、踏みにじられ、放り出されたままの書物。キーファーが提示するあの巨大な書物の残骸を眼のあたりにするとき、想いはヘブライズムの原初に置かれた<神聖なるエクリチュール>の観念に遡行することとなる。 モーゼの五書、あるいはかれが神との契約を示したタブレットを手に、山上より降りきたったという挿話。出エジプト。紅海の渡航。書物が泥に汚れ,そこに描かれた文字と絵柄をわれわれが読み解くことがかなわないのは、それが流浪と逃亡のさなかに置かれたためである。(中略)記憶せよ。だがいったいなにを読みとればよいのか。砂と泥で汚れた頁から、いったいいかなる意味を組みとればよいのか。(四方田犬彦「キーファと神話」季刊みずゑ・’91年春号 美術出版社) 20数年まえのMoMAでの大回顧展に出品されたこの鉛でできた「読むことのできない書物」は、年月とともに巨大化し、今回の「来年、エルサレムで」では、とうとう何十人ものひとが入ることのできる牢獄部屋の大きさにまで成長した。むろん内部は鉛の頁がギッシリと詰まり、虫も入ることを許さない様相である。その鉛の部屋の一辺にある隙間のような扉を塞ぐように、作家自身がハイル・ヒトラーをポーズする写真が張られている(右)。この写真の撮影場所はヒトラー自身が記念写真を撮った歴史的モニュメントの廃墟であるという。 キーファーは、当時のドイツ人すべてが封印した「第三帝国の悪夢」をあえて顕現し、この街に多く住むジューイッシュと同民族のドイツ系移民に嫌悪されつつデヴューした。それは荒廃した故郷への悲嘆と神聖への回帰を思いつづけたひとりの美術家の、ひとつの「戦争責任」のかたちである。初期のこのようなかれのパフォーマンスを観て、ネオ・ナチを画策する者などという醜聞が飛び交ったが、実際のかれの作品に接した者は全員、その戦争犯罪を告発する崇高な意図、歯の根も合わなくなる地獄のための錬金術に、かれに向かっておそるおそる自分の襟を糺しはじめることとなる。 今回の大震災の被害を観て、作家の辺見庸はユダヤ人哲学者テオドール・アドルノの言葉を引用する。「アウシュヴィッツ以降に詩を書くことは野蛮である。」 行き場を失った辺見の絶望が、その戦争による大量殺戮と大震災をおなじ次元に引きずり込む。アメリカでふたつの事象を傍観している僕も、いのちに敏感な世界中のアーティストたちも、まったく同じ感情で動きはじめる。 すべての表現行為を越えたかなたにある残虐を、人間が人間に加えてしまったホロコーストの所業が、どこかで自然がわれわれに与えた大災害のイメージと測り知れず結びついている。ひとの肉体をほぼ完璧にモノ化して扱うナチスの牢獄に残されたものは、キーファーの地獄絵を観るまでもなく、一面の荒野そのものであり、津波の引き波が去ったあとの荒野、モノがモノでなくなった荒野と、限りなく相似形である。なにもなくなった荒野とは、一面のソリッドな瓦礫の集積体でもあるといえる。 アウシュヴィッツで、髪の毛と皮膚のすべてを剥がされ、電気スタンドにされた少女が着るはずだった純白のウェディングドレスは、万が一それが泥に汚れず純白のまま戦争のあとまで残ったとしても、それはもはやドレスですらない。もはや瓦礫ですらもない。それはその所有者の人間としての限界を超えた屈辱と絶望によって、この世から融け出して霊界へとたどり着くしかない、液体でも気体でもない不定形の荒廃そのものなのだ。そしていまの三陸の海岸にも、かって白無垢の花嫁衣装であったものが、絶望と屈辱とともに沖合いにまで融け出していく。 あるいは、キーファーが20年前の大回顧展から引き続き提示しつづけている「紅海」というタイトルの赤い液体の入った錆びた浴槽の作品がある。今回の個展では、それがドイツ軍の戦闘機の瓦礫と並んで、まるで錆びた軍用ボートのようにも見えるのだが、なかに溜まっている赤い液体はまちがいなくユダヤ人の血だと直感した。ヒトラーの誇大妄想的な海戦計画を揶揄したこの作品群は、場所を紅海から東北の海岸に据え付ければ、あきらかに津波によって流された漁船と漁民の血を象徴している。より深いメタファーをさぐれば、ヒトラーによる無謀な海戦計画とは、現代日本で核兵器への容易な転用を考え、原子力発電所に固執しつづけた日本政府の意図と限りなく重複し、ボートの瓦礫に積まれた赤い液体は、放射能に犯されたおおぜいの日本国民の血、と暗喩することができる。 ドイツ第三帝国の暴力と東日本大震災のイメージをこれ以上結びつけるつもりはない。ただ問題なのは、キーファーの作品と相応して、日本国民の戦争責任を問いかける日本人アーティストが皆無だということである。第二次大戦終戦直後に生まれたキーファーが、恐ろしいほどに長く強烈に、かっての自国民の行為を弾劾しつづけているのに、同年代の日本人アーティストの表現たるや、見るも無惨な利己的表現にとどまったものがほとんどで、かっての同民族が経験し、三百万以上の犠牲をはらったあの大戦争のことを、ほとんど忘れ去ったかのごとくである。「南京虐殺などは父母たちの世代のやったことで、僕たちには直接関係がない」「それではヒロシマとナガサキはどう思いますか?」「あれはアメリカが戦勝を確認したあとからの原爆人体実験で、断固許せない」。このようなご都合主義があるだろうか。面識のある「霊界」のことを描きつづける数人の日本人美術家も、戦争のイメージとなると実に漠然として消え入ってしまう風情である。丸木美術館の原爆の図は、核兵器の悲惨さを被害者の立場から表現した意味のあるものだとは思うが、では戦争の加害者としての日本を真摯に描いたものがどこかにあるだろうか。アーティストの意識とは、国民全員の意識そのものの象徴である。 ドイツはふたつの世界大戦に敗北し、ふたつめの終戦がなされた直後にも、復讐の執念に燃えた英軍がドレスデンの大空襲を決行し、一晩で14万人の犠牲者を出し、コテンパンにやられた。おまけにこの第二次大戦のあと、ソ連とアメリカの綱引きのまん中で、国土は東と西にまっぷたつに引き裂かれたまま、戦後の40年間を過ごすこととなる。まさにイタロ・カルヴィーノの「まっぷたつの子爵」の物語そのままである。主人公の子爵は、激戦時に弾丸に当ってまっぷたつに引き裂かれるが、その両方の半分は奇蹟的に半分のまま生きながらえる。片方はまったくの善玉、他の一方はまったくの悪玉という設定のおとぎ話である。当時のドイツの場合は、資本主義と社会主義の超大国によって引き裂かれたわけだから、どちらの国民も自分が住んでいる方が善半で相手が悪半だと思い込んでいる。おまけにかっての首都ベルリンは東ドイツに位置し、米・英・仏・ソの4ヵ国で分割占領されていたが、東から西への逃亡を防ぐため1961年にはソ連と東ドイツによってベルリンの壁が造られ、街そのものが分断されるにいたる。 まさに国家がまっぷたつに切り裂かれたあげく、その心臓部分も「切られの与三」状態で生きながらえる。そんな経験のまったくない日本人には想像すらできない過酷な状況である。そして国民全員がどんなに切断状態を耐えたとしても、歴史の亡霊からは逃れることはできない。長い冷戦のあいだ、西ドイツの国民の目の前には東ドイツという主義のまったくちがう自分の半身がつっ立っていて、そこから膨大な数の核ミサイルが自分たちをたえず狙っている。 消してしまいたい過去の戦争の記憶は、否応なしに日々再現される。 ドイツ文学翻訳家・池田香代子のブログ、5月26日の最近版「 3年前チェルノブイリの日のために書いたある映画エッセイ」のなかに、まっぷたつに分裂していた時代のドイツの風景が描写されている。「見えない雲」というドイツ映画のために書かれたエッセイの一部を引用させていただく。 「高校のロビーに、一瞬ピカソの『ゲルニカ』のレプリカが映ります。これは、日本の高校がたとえば重慶空襲や南京虐殺の絵をかかげるようなもので、ドイツがあの戦争を次世代に伝える姿勢の一端を垣間見る思いです。」 物語の舞台は、ドイツの田舎町。高校の授業中、突如としてサイレンが鳴り響く。 ABC兵器にかかわる緊急警報だ。ABC兵器とは、核兵器、生物兵器、化学兵器のことだ。ドイツはいったいどこからABC兵器で攻撃されると怯えているのだろう。その疑問は、原作が書かれた時期を知れば氷解する。それは1987年、いまだ冷戦体制にあって、旧西ドイツ全土にはアメリカ製のミサイルが、まるでハリネズミの針のようにおびただしく配備されていた。旧東ドイツしかり。米ソの核の応酬が始まれば、まず東西ドイツが、それぞれ相手からいっせいに発射される核ミサイルによって、両大国の身代わりとして差し違え、滅亡すると、広く信じられていた。 そしてまた1987年は、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号炉がメルトダウンしたのち爆発し、旧西ドイツにも達する広い範囲に放射性降下物がふりそそいだ1986年の翌年だ。旧西ドイツでは、若い人びとが子どもを産まないことにするなど、パニックは深甚だった。 物語では、警報は核戦争の勃発ではなく、原発事故を知らせるものだった。原発事故とABC兵器攻撃の警報が同じだったということは、当時、原発事故は核攻撃と同列にとらえられていたということだ。たしかに、いったん事故が起これば、原発は即座に自国の市民を無差別に攻撃する「敵」へと変身する。 長い冷戦時代、ドイツはわれわれ日本人が想像もできなかった国民的分裂の苦難を強いられる。まさに40年以上も分断された国土の半身同士が、おたがいを敵とする一触即発の核戦争の危機を孕みながら生きつづけたわけである。この長い忍耐がたとえばキーファーにおける戦争に対する痛烈な批判となって現われたわけだ。 再度カルヴィーノの「まっぷたつの子爵」の物語を、ドイツの悲劇と重ね合わせれば、半分に切られた子爵の「善半」は恋人に向かってこう叫ぶ。 「いまにしてようやく、わたしは、かって完全な姿のときには知らなかった連帯の感覚を持っている。それはこの世のすべての片端な存在と、すべての欠如した存在とに対する連帯感だ。」 カルヴィーノはわれわれの心のなかに存在する分裂の痛みをはっきりと自覚すれば、そこに治癒の道が開け、新しい目醒めの世界が開かれて行くと主張している。 結局子爵の善半と悪半はひとりの恋人をめぐって決闘をすることになる。 両者は真っ向幹竹割りに、相手をまっぷたつにされたその線にそって切りつけた。 両者の血管という血管は断ちきられ両者を分けていた傷口はひらかれた。そしていまやあお向けに横たわって、かってひとつのものであった、たがいの血がとび散り、草原のうえで混ざりあった。 そして両者はうまく結合し、もとのひとりに戻る。 かくしてメダルド子爵は、善くも悪くもない、悪意と善意の入り混じった、すなわちまっぷたつにされるまえの身体と見かけは同じだが、いまは完全なひとりの人間にもどった。しかもかれにはひとつになる以前の「半分づつの体験」があったから、いまでは充分に思慮深くなっていた。 同じひとつの身体でも、分裂の経験のあるものとないものとでは違っている。分裂の痛みを体験しないひとは、見せかけの完全性のなかに安住しているのだ。その見せかけの安住は、じつはこの世とあの世、外的現実と超越などの、無意識な完全な分裂の上に立っているものである。 子爵の経験した、深い縦の分裂は、そのような裂け目への深い下降を通じてのみ、われわれが超越に触れられることを暗示している。このような痛みの体験が 癒されるときに、愛と流血の戦いが必要であることも忘れてはならないだろう。(河合隼雄「子どもの目からの発想」講談社+α文庫) 引用が以前の記事と重複してしまったが、比喩の対象がちがっているのでお許し願いたい。 かくして「まっぷたつの子爵」の物語とほとんど似たような筋書きで、1989年、ベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは再融合した。東欧の民主化革命に呼応しての反応だったが、それらの革命の遠因が、チェルノブイリ原発の事故によるソ連の極端な国力の低下にあることは興味深い。 それでも国土を完膚なきまでに刻まれたドイツの人びとが、冷戦時代の分裂の痛みを簡単に忘れるはずもなく、フクシマの現実を観て「脱原発」に立ちあがった。 原発事故直後から、そのフクシマを体内に抱え持ち、似たような歴史を持つ極東の国になぜおなじ行動がとれないか、を論ずるひとであふれたが、それから二ヵ月以上がたち、状況は刻々変わりつつある。なにより放射能という見えない敵にさらされた国民の一人ひとりのなかで、精神の分裂がはじまり、お互いの意識を「脱原発」に向けはじめた。いまのところ、ドイツのような国家の分裂こそ起こっていないが、この二ヵ月の間に、同じような意識革命が個人のなかで徐々にではあるが進んでいるという確信がある。 しかしながら、この二ヵ月の政府とマスコミの報道には思い出すだけで辟易する。24時間流れるNHK海外放送のニュース番組は、隠蔽の意図が先に観えてしまい、津波の映像までが真実でないように感じた。それでも我慢しながら見つづけていて、本当に日本そのものが嫌いになりそうになった。国民にパニックを起こさないためといいつつ、実際にパニックのどん底にいたのは、政府とマスコミ関係者ではなかったのか。被災者たちはいったん立ちあがりはじめれば、とても強い。それは戦後のドイツと日本にも共通している。 もちろんたった二ヵ月が過ぎただけで、かれらの隠蔽と情報操作がなくなったわけでは決してないのだが、国民全員の意志がまともな方向に向いてきて、その怒りをまともに喰らえば自分たちの身があぶないということがやっとわかってきたのだ。あれだけひどいことをしつづけて、いまさら許せ、もないものだが、姑息な小悪は国民に対する新たな詐欺を画策している。かれらに注意しつつ全員で行動を起こすときが来た。まずはわれわれの未来を担う子どもたちの命を、まず救わねばならない。20mSvという児童にとって気違いざたの被曝限度を撤回させなければならない。子どもたち全員を安全な場所に避難させなければならない。全部の原発をとめるのも早急の課題だが、なにより大切なのは、未来をになうわれわれの次世代を決して見殺しにしてはならない。 「脱原発」の運動というのは、そういった切羽つまったことから、ひとつづつを解決して行くことだ。 先ほどネットのなかに、「母親たちの反核運動~3000万の署名、大国を揺るがす」という番組を見つけた。NHK「その時歴史は動いた」のシリーズの一本だが、終戦後十年、米ソの核実験競争のさなか、第五福竜丸の被曝事故が起こり、日本国民は現在と同じパニックに陥った。そしてひとりの母親が始めた署名運動「核兵器反対」。署名は日本で三千万を越え、最終的に世界で6億に達した。このことは核大国を動かし、米国に大気圏での核実験を止めさせることになった。日本の母親は強い、カッコいい。 約半世紀前のかの女たちのそのすばらしい行動力は、ほとんど同じような現在の状況のなかで、われわれが戦うための大きな支えとなる。 YouTubeが削除されるまで張りつけておく。削除されなければNHKの良心が多少は回復したという踏み絵になる。約42分。 このYouTube 評価の高いコメント:名前を書くことにいったいどんな意味があるのか?と問われたとき、あるお母さんは「黙っているよりはるかに効果があります。沈黙は賛成を意味するからです。」と答えたそうです。そしてその行動は世界を動かした。今の黙っている人たちにこの番組をみて行動を起こしてもらいたいです。世界を動かすことよりも、自国を動かすことの方がはるかに簡単なのではないでしょうか。 もう一度震災後の 辺見庸の言葉に戻れば「壮絶なる破壊に至ったときに、それを予感できなかった責任はだれにあるのか? それは私であり、文をひさぐ者すべてである」と語っている。「いま真価が問われているのは、明らかに疑いもなく、個人なんです。個なんです。」 そしてその個人の意識が、署名をすることによって連帯し、大きなちからとなる。一人ひとりが共通の目的に向かってやる気になれば、必ず具現化する。政治が退廃している、政治家が無能だ、というのは分裂し切った現在の状況に過ぎない。分裂していればいるほど、変わることができるということをドイツという先輩から学んだ。いま必要なのは、ひとりづつの署名のように、個の分裂を集積する ほんの小さなきっかけだけのような気がする。 アウシュヴィッツの亡霊世界を広大なチェルシーのギャラリーに再現したキーファーは、66年ののち、あざやかに脱原発国に変身しようとする自国民を、あえてさらに弾劾し、より強くなるように鍛えつづけているようにも見える。 この稿は、ひとりのドイツ人アーティストの作品から、頭のなかのドイツの緑の歴史の辞書を逆引きして行く趣向だった。 そしてこのアンゼルム・キーファーが師と仰ぐ、社会彫刻という概念を創ったヨゼフ・ボイス(Joseph Beuys)。ボイスは第二次大戦中、搭乗していた飛行機がソ連軍に撃墜され、墜落した。意識不明になったかれを助けたのは遊牧民タタール人の一団で、体温が下がらぬように全身にバターを塗り、毛布で幾重にも包まれて犬ゾリで運ばれたおかげだ、とかれは語っている。以来かれの制作するオブジェには、灰色の毛布、固形のバター、蜂蜜などが素材として使われることが圧倒的に多い。 そのボイスが、精神の錬金術とともに傾倒した、第一次大戦後に活躍した霊界解説者、ルドルフ・シュタイナー。ちなみにこのシュタイナーの社会有機体運動は、脱原発を掲げドイツ国民の信任をとった「緑の党」の前身、80年代の西ドイツの緑の党 (Die Grünen)の創立理念に多大な影響を与えた。 というところで(金魚の精神的な意味でも)紙数が尽きた。 いずれにせよ、かくいう逆引きの順序で続編を書きます。
by nyckingyo
| 2011-05-27 11:57
| 洪水からの目醒め
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