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全体 浮遊的散文詩歌 炉心溶融した資本主義 洪水からの目醒め 小説のように日記のよう ソラリスの海に泳ぐイカ ソドムの街になるまえに 街かどでOne Shot連想 天使の絵画と霊界事情 小さきものダイアローグ 悪魔の国からオニの国のあなたへ 地球号の光と影 陰陽の限りない非対称 物語を遠くからつむぐ&あやなす 見えないものとの対話 井筒・意識と本質論 多層金魚の戦争夢 座禅と火薬—蔡國強展 過去からみた化石燃料 もの申す、日本 ことばと音をコラージュする NYC・アート時評 NYCで観た映画評論 NYC Music Life 米大統領選挙 '08 北京オリンピック 未分類 フォロー中のブログ
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実は いつのまにかぼくのこころの中からいなくなった モモを捜しにきたんだ かの女が地球星のどこにいるかなんて まったくわかんなかったけど サンタフェ近くのタオスの山々から だだっぴろいメサを見渡してると もうモモはゼッタイこの平らな大陸のどこかにいるって カクシンしたわけさ まぁそのプエブロ族のむかしの聖地では 生きものという生きものが種族を超えて夜ごと話しあってる感じがしたね それどころか 自然と呼ばれる 山や川や谷・森・風・空気・水・太陽や月までもが いつも ほかのだれかと話そうとしてる そのむかし あるいは何万光年も離れた宇宙のあちこちの星から いろんなものが飛んできて この星に降りたってから それぞれのことばを越えてコミュニケーションをとれる場所が ここだったんだ テントのなかにいてもうるさいぐらいのいろんな声が聴こえてくる でももちろんだれも「うるさい」なんて叫ばずにおたがいの声に聴き耳を立ててる そういった いわば異星生物同士(生物以外も含めて)のような会話に モモが一枚加われば 一気にまとまってしまうだろうな と思ったわけさ かって地球星と月が交わり はじめて双子星の家族となったころには きっとこんな場所がほかにもたくさんあったんだろうな モモは犬や猫にも、コオロギやヒキガエルにも、いやそればかりか雨や、木々にざわめく風にまで、耳をかたむけました。するとどんなものでも、それぞれのことばでモモに話しかけてくるのです。友達がみんなうちに帰ってしまった晩、モモはよくひとりで長いあいだ、古い劇場の大きな石のすりばちの中にすわっていることがあります。頭の中は星をちりばめた空の丸天井です。こうしてモモは荘厳な静けさにひたすら聞きいるのです。 こうしてすわっていると、まるで星の世界の声を聞こうとしている大きな耳たぶの底にいるようです。そしてひそやかな、けれども壮大な、えもいわれずこころにしみいる音楽が聞こえてくるように思えるのです。そういう夜には、モモはかならずとてもうつくしい夢を見ました。さあこれでもやっぱり、ひとに耳をかたむけるなんてたいしたことではないと思うひとがいますか? そういうひとは、モモのようにできるかどうか、いちどためしてみることですね。(ミヒャエル・エンデ「モモ」 大島かおり訳 岩波書店 p-29 めずらしい性質とめずらしくもないけんか) 一日何万人というひとたちと肩すりあって生きていると かれら人間ひとりひとりを土手カボチャだと思わないと生きていけない思いにかられる ところがアパートに帰って、大きな耳たぶのようなソファーに寝そべり くすんだ星空を見上げていると 今日すれちがったひとりひとりが 星々のひとつづつように崇高なひとに思えてくる 交差点でぶつかり、その瞬間いがみ合ったおじさんからも 実にすばらしいエネルギーをもらっていたことに気がつくんだよ ぼくがはじめて ぼくの心のモモにあったのは そのころまだボンベイと呼ばれていた西インドの大都会だった インドではじめての夜 ホテル代をぼったくられそうになって 深夜の混沌の街に飛び出したぼくとベッポに ついてきたかわいい女の子ってわけさ 結局3人は 翌朝までボンベイの路上を徘徊するはめになり ゆえにその一晩で 怪物や魑魅魍魎 その他インドのなに者が来ようとも 怖くなくなっちゃった 「アタシにはアイヌの血が流れてるんだよ」と少し自慢げにいいながら モモは屋台うらで買った 正露丸みたいなボンベイ・ブラックを 短い指でこねて チロムに詰める 北海道には麻の大草原があってね 金魚さん 一度ご招待したいなぁ ぼくのアタマのなかでは モモのことばから ローマ郊外のコロシアムの廃墟と 北海道の麻の大草原と いまいるインドの大都会の映像が スライドショーになり とてもいそがしい でもそんないそがしい感覚のなかで そのときのほんとに多彩な地球星 各地に点在した多彩な聖地に住んでることが ほんとうに幸せだと実感できたんだ 格差を全然カクサないことが人びとの意識からその問題をカクサんさせてしまっている ゲート・オブ・インディアのそばの超豪華ホテルにたむろするハリジャンたち 節分恵のようにかれらに大量のコインをまき散らすヨーロッパからの貴婦人ばばぁ かの女が天たかくパイサ・コインを撒くたびに、まわりの数百人から喚声があがるんだ オニィ ワァ ソトゥ ! 実に嫌な、差別のかたまりのような漢字の羅列「不可触賎民」 英語ではアンタッチャブルという 触れることのできないほどの差別 人間以下とか 動物以下とかの感情にも入れてもらえない それはわが人生で それほどの激しい差別曼荼羅を観た最初だった ヒンドゥーの輪廻転生とは この世にいちどハリジャンとして生まれた者は 永遠にハリジャンにしか生まれ変われないという ひどく不公平なものだ その教義はここに生きるかれらを より深い絶望のなかに囲い込む新たな差別となる 現世でのカースト制は崩壊したというが おカネでの差別−この極端な資本主義的転生は いましばらくつづく 地獄の沙汰もカネ次第 ぼくら三人は かれらの生活にできるだけ近づこうと試みたが かれらにとっては 触れることさえできない観察者の立場を強調したにすぎない すぐそばに放置された巨大な空のコンテナのひとつが今日の家だと言う 招待されたぼくら3人と少年が入ると 家具も窓もなにもない箱は まるでイエロー・サブマリンの船室のようだった みんなで 当時だれでも知ってたビートルズのその歌を歌いながら航海にでる 海のうえは暴風雨 コンテナの部屋もまるでマジックハウスのようにぐるぐるまわる これはひどい あのボンベイ・ブラックのせいじゃないか ベッポが叫ぶ でも6本指君もころがりまわってるよ モモが答える 人間を差別しつづける強風を吹くサイクロンのせいさ 潜水用意! ぼくが声を上げる ひどい暴風雨で 海の底まで 宇宙まるごとびしょぬれだ 6本指君も手をあげて叫んでる 早くこの12本のマストを畳んで潜らないと! ぼくらがボンベイの海岸のコンテナのなかで、潜水艦ごっこして遊んでいたころ、当時ローマに住んでいたミヒャエル・エンデは「モモ」を書きはじめていた。その本のなかのモモは古い円形劇場(アンフィシアター)に住んでいて、夕立が来そうな暑い日に、集まってきたみんなと航海ごっこをはじめた。 船首に音たかく波がくだけます。研究船「アルゴ号」は、波のうねりに大きくしずかにゆられながら、一路、南のサンゴ海をめざして全速力でつきすすんでいきます。有史以来、この危険な海域にいどもうとした船はひとつもありません。ここにはいたるところに岩礁やさんご礁がかくれ、えたいのしれない海の怪物がうようよしています。とりわけ厄介なのは、「永遠の台風」と呼ばれている、やすむことのない大旋風。この風はたえずこの海域を吹きめぐりながら、まるで生きもののように、いやそれどころかずるがしこい怪物のように、えものをさがしまわっているのです。(p-33 暴風雨ごっこと、ほんものの夕立) オバケクラゲとの対決のあと、経験したこともないようないなずまと猛烈な雨で、息を吸うことさえできません。この永遠の台風を退治するのに、たんぱく質でできた大砲の弾をぶち込みますが、台風のために空たかくほうりあげられて、まっ黒な雲のなかに消えてしまいました。そこにその海の近くで育ったうつくしい海のむすめモモザンが現れ、異国語でこう言います。「台風にむかって子守唄を歌う勇気のあるひとがいたらおとなしく眠りこんでしまいます。」 かの女がつむじ風に向かって子守唄を歌い、手をたたきながらピョンピョンとびまわります。ひとりふたりと歌に加わり、やがて乗組員全員が声をあわせ、手をたたいてとびはねました。するとどうでしょう、巨大なコマは旋回の速度を少しづつ落としていって、しまいにはすっかりとまって海にしずみはじめました。嵐はとつぜんピタリとやみ、雨はあがり、空は青くはれわたって、波もおだやかになりました。 モモと遊んでいると、とんでもない大冒険の連続と、魔法のような解決法で、芯からサティスファイしてしまうのです。 アイヌのモモとベッポと三人で インドとスリランカで遊びまわり トーキョーに帰ってみると そこにはまたたくさんの「時間泥棒」— 灰色の男たちが増殖していた 朝から夜中まで働きつづけなきゃ食べていくこともできないしくみは たった数カ月前 インドに出発したときよりうんとひどくなっていた これじゃインドのハリジャンの方がまだマシかも というのが実感 トーキョーに住む唯一のメリットといえば あまり忙しすぎて 仕事以外のどんなことでも たとえば歯を磨いたり 5分しかない食事時間でさえ とてもパーソナルな秘めごとのたいせつな時間のように思えてくることだ おどろいたのは そうやって真夜中まで自分の時間のほとんどすべてを売りつくして ひと言も文句を言わないばかりか もっとおカネを得るために さらに時間を切り売りしようとする日本人の仲間のこと ひょっとしたらこの世界一人口の大都会に住んでいる人間はぼくひとりで ほかの仲間はすべて時間感覚をはずされたロボットなのではないか と思うほどだった インドから帰ったばかりのぼくだけが 自分の時間の何たるかを漠然と感じていて トーキョーにいつづけた人たちは 自分の時間を完全に売り払ってしまったゆえに その時間というもののの存在すらも考えたくなかったのではないか 灰色の制服を着た時間貯蓄銀行職員が勧誘をつづけ 残り少ないみんなの時間はさらに安く買いたたかれていく 時間を貯蓄するなら当銀行へ そしておそろしいことに かれら時間泥棒だけが時間のなにかを知っていた とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。その秘密とは — それは時間です。 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。なぜなら時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。 このことをだれよりよく知っていたのは、灰色の男たちでした。かれらほど一時間のねうち、一分のねうち、いやたった一秒のねうちさえ、よく知っているものはいませんでした。ただかれらは、ちょうど吸血鬼が血の価値を知っているのとおなじように、かれらなりに時間のだいじさを理解し、かれらなりの時間のあつかい方をしました。(p-75 インチキで人をまるめこむ計算) 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしていることには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。でもそれをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもと遊んでくれる時間のあるおとながもうひとりもいなくなってしまったからです。けれど時間とはいのちなのです。そしていのちは心の中に宿っているのです。そして、人間がそれを節約しようとすればするほど、ますますいのちはやせ細っていくのです。(太字強調=金魚 太字部分のみ他訳)(p-95) 心理的領域での時間は人間の敵である、という われわれは精神が進化し 成長し 広がり なし遂げ 現実のもの以上の何かに変わることを欲する われわれはこのような欲望 このような概念の妥当性を決して問いたださない われわれは容易に たぶんよろこんで 精神は進化し 円熟し やがては平和と幸福が訪れるということを受け入れる しかし現実には心理的進化などはありえないのだ と 物理的時間は事実であるため否定はできない。事実は否定できないが、事実についての見解は否定できるかもしれない。精神がつくりだす過去や未来といった時間の観念=心理的時間は、実在である「いま」を犠牲にしようとする。 2011年10月、100歳の誕生日を目前に控え、聖路加病院の日野原重明氏はマンハッタンで自分の過ぎた100年の時間を語る。 「過去とか未来の時間とは、どんなものなのかよくわからないのですが「いま」やって来て過ぎていく現在の時間だけは、人間は自由に使うことができます。私はこれからも「いま」の時間を、みんなのため、他の人のためにだけ使っていきたいと思います。」 数千年前 人類が「カネ」というものを発明した瞬間から 「トキはカネなり」という標語のもと だれひとりの例外なく 過激なマネートリップに飛び込む人生がはじまった カネという等価価値の存在が 労働意欲をしゃにむに盛り上げる 手に汗して働くのはすばらしいことだが もっと手っ取り早くカネをかせごうぜ という欲望が蔓延する 職場でテキトーに時間をつぶしておけばカネになるさ という輩もあふれる できれば時間をすべてアソビに使おうとする僕のようなアソビ人は さげずまれ 不可触賎民のようなあつかいを受ける 時間をケチってもうけた連中は 他人の時間まで買い取る 格差は無限に広がって地球星をおおいはじめた なんとか「いま」を取りもどそうとあがく ときあたかも Be Here Now というマントラが流行り 永平寺でのきびしい禅修行のなか 僕の話相手はほとんど欧米からのヒッピーたち アイヌのモモは ぼくの木賃アパートに 大きなバックパック一杯の麻の葉と そしてたとえば左のポッケにゃ雄花と花粉 右にゃ雌花の蕾という具合に 毎年 北海道の大草原から 各部位詰め合わせセットのお中元を持ってきた すぐまえの路地を歩くおまわりさんも なんかいいにおいがするなぁ なんて言ってる でもそんな夢の時代はすぐに去り 日本のケーサツは このすばらしくナイーヴな精神安定剤を異常に取りしまり イギリスからの国賓クラスのポール・マッカートニーまで捕まえてしまい 本国に送還してしまった 日本政府は 世界中のモノワライ 古来神道の神社では 麻の焚火で祭りの場での全員の精神統一を図っていた すばらしいメディテーション・ツールでもある 「モノ」の本質や性格を理解しようとしないで ただアメリカのいうことに杓子定規に従うだけ というのも立派な時間泥棒である このことは現代の日本の政治にも 社会の流行現象にも まさにおなじように当てはまる そしてアイヌのモモも いつのまにかどこかに消えてしまった ぼくは勝手に モモはマイスター・ホラのいる時間の国ヘ行って みんなを時間泥棒の手から救ってくれるんだ と信じているが もうずいぶん長いこと音信不通で 不安がつのる かわりに登場したのは時間貯蓄銀行の灰色の紳士 かれらがもってくるおもちゃといえば 完全無欠なお人形・ビビガールだけで 人形はすでに大量の「モノ」をもちかかえているくせに もっともっともっと とおネダリばかり 灰色の男は 時間を節約し もっと人形を買えばたいくつすることなんてないという 「こんにちは。」と人形はキーキー声をあげました。「あたしはビビガール、完全無欠なお人形です。」「それはもうわかったわ。でもあんたはなにかほしかったんでしょ、ビビガール。ほらここにきれいなバラ色の貝がらがあるわよ。どう?」「あたしはあなたのものよ。あたしを持っていると、みんながあなたをうらやましがるわ。」「もうそのことはさっき聞いたわよ。あたしの持ってるものがほしくないんならなにかして遊ぶことにしない?」「あたし、もっといろいろなものがほしいわ。」と人形はまたくりかえしました。(p-118 友だちの訪問と敵の訪問) お人形遊びに大たいくつし 敵である自分の心理的時間にかこまれ「いま」を見失い 身動きのできなくなったトーキョーのぼくは 列島を離れる決意をする 泥沼のヴェトナムに勝利した反戦の勇士たちがいるはずの 泥沼のヴェトナムから敗退した国の 西海岸・ベイエリアへと移住する そこは5万の人間が 森の動物のように楽しく踊り狂っている パーティー国だった 陽気な音楽にあわせて 朝から晩まで踊り狂い 疲れ果てたら眠るユートピア くる日もくる日も 永遠の笛吹き少年楽団 グレートフル・デッド(安楽死)のリズムにのって 森の中で 踊る踊る踊る You and me bound to spend some TIME wond'rin' what to choose. Goes to show, you don’t ever know, Watch each card you play and play it slow, Wait until that deal come round, Don't you let that DEAL go down, NO, NO. 複合動物霊ミュータント 頭目のジェリー・ガルシアは その森にいる5万の動物たちひとりひとりの無意識をさぐる そこに秘められた愛や暴力を森の中にあふれさせ すべてを音に変える 森の会場はカオスの海と化すが やがて最後には 平和のヴァイブレーションが打ち勝ちすべてを埋めつくす かれらがモモの再来ではないか そんな確信から 狂ったようにコンサート・ツアーを追いかけた ボブ・マーレーにも出会った やはり 緑色のサーチライトのような目が 観客ひとりひとりのこころの内側をさぐる おたがいに同化できるものを抽出し そこには 踊りの喜びとともに大きな民主主義の喜びがあふれる ボブ・ディランのコンサートには時期をへだてて 10回以上かよった かれはその都度まったくちがう人格をもち ちがう歌を唄った 共通しているのは 帰り道とても幸せで 元気な自分がいることだ やはり同じ感受性をもらっている 音楽をあやつるグルには モモとおなじくかぎりない「愛」を与えるちからがある モモはじっくり考えてみました。「時間はある—それはいずれにしろたしかだわ。でもさわることはできない。つかまえられもしない。においみたいなものかな? でも時間て、ちっともとまってないで、動いていくものだわ。そうすると、どこからかやってくるにちがいない。風みたいなものかしら。いやちがう! そうだ、わかったわ! 一種の音楽なのよ—いつでもひびいているから人間がとりたてて聞きもしない音楽なのよ。でもあたしは、しょっちゅう聞いていたような気がするわ、とってもしずかな音楽よ。」「でもそれだけじゃない。あの音楽はとってもとおくから聞こえてきたけど、でもあたしの心の中のふかいところでひびき合ったもの。時間ていうのも、やっぱりそういうものかもしれない。」「あたしのいいたいのは、水の上を風が吹くと、さざ波が起こるでしょ。そういうようなことなの。」(p-210 モモ、時間の国につく) 最後のモモ候補だった ジョン・レノンの訃報 全世界の実におおぜいの 平和を願うモモの仲間が 打ちのめされた その夜SFのミュージック・ホールで グレートフル・デッドのガルシアは ひどく涙ぐんだ声で「He's Gone」を歌い上げる その声は 人類全員の悲しみを集約しているように聴こえた モモはマイスター・ホラのところで一晩寝ていたつもりが、実は地球が太陽のまわりをひとめぐりするあいだ、つまりこちらの時間で一年間寝ていたということなのです。 太郎は いや金魚は仕事にもどる 皿洗い ペンキ塗り 洗車などをかじったあと 合衆国環境省の仕事をする環境代理店? 突然こんな堅いとこ 大丈夫かな メカニカル・アートワークという不思議なサウンズのしごと PCが普及する直前の マニュアル式コンピュータ・グラフィック アーティステックな楽しみは少ないが 器用な日本人のぼくは重宝された アメリカ人の仲間たちは「時給」のために実に真剣に働きつづける そして夕方5時を1分すぎると まわりにはもうだれもいない 年配の女性スーパーヴァイザー(課長)が ひとりでデューのすぎた仕事を山のようにかかえているのを見かねて 残業手当もない時間の切り売りをして手伝ってみるが 翌朝同僚は キミはどうして自分の時間を大切にしない と文句をいう 決められた時間をジューブン働けばジューブンではないか と 日本人のぼくは 仕事はみんなのものだから 連帯責任があるのでは と反論するが かれはまったく意に介さない アメリカでは労働者と経営側は おそろしく分裂している 分裂といえばこのころ 祖国の列島では 時間泥棒たちの暗躍が成功し バブル景気というものがはじまっていた 月がふたつに増殖した「1Q84」年ころからである 動かぬはずの土地の値段をめちゃくちゃに動かし やがて日本人は 僕の住むアメリカ西海岸を飛びこえて ニューヨークのビルまでをめちゃくちゃな値段で買いはじめた エンデが希望して再入学したシュタイナー・スクールの創立者、ルドルフ・シュタイナーは、1922年の有機社会経済学講座でこう論じた。 土地という単なる自然と資本が結びつけば、地価と名づけられた「虚構の価値」が生まれる。土地をよりよいものにするには労働でしかありえず、地価が上がったのは土地そのものの価値が高まったからと考えるのは馬鹿げている。 シュタイナーの霊界関連の著作では、人間が死んだあとも輪廻転生をくり返すことが語られているが、人間が作った貨幣も年とともに価値が衰えていき、やがて死ぬことになる。死んだ貨幣を生まれ変わらせる(更新・輪廻転生させる)のは「経済国家」ではなく「経済連合体」であるという。かれのいう経済連合体は現代のEUとして具現化したようにも観えるが、狂った現代の資本主義の舞台上ではまったくちがう結論になりつつあるのは、ご承知のとおりである。 シュタイナーの魂の弟子であるエンデは、師の経済論と同時期に発表されたシルビオ・ゲゼルの「減価貨幣」のアイディアを発展させる。だれかがおカネを貯めこめば、その価値はどんどん下がっていく。有機的な大豆の種がおカネになったと考えれば、いずれは腐って消滅するのが当然である。これは現在「時間」によって資本主義を改良する唯一の方法であるとされている。 89年 ベルリンの壁の崩壊・天安門事件と世界は激動期に入り その翌年にはクウェートの石油をめぐり湾岸戦争が勃発する 全世界のTVセットで観戦する TVゲームのような戦争 スターウォーズのような放火の下では ひどい地獄絵図が進行しているのだが お茶の間で夕餉をしながら あるいはベッドに寝そべりながら観戦する ヴァーチャル・ゲームのようだがそれはほんものの戦争 ほんものの戦争なのだが 自分の身は痛くもかゆくもない ただ心だけがバグダードの放火にまみれた民衆の痛みを 必死で想定して 必死で想定して ようやくその痛みにまでこぎつける 必死で想定しないと 痛みすら共有できない戦争 のちに爬虫類型ヒューマノイドと呼ばれる パパ・ブッシュは イラク市民の「時間」を一瞬に葬り去った 世界のなにかが致命的に狂ってしまった アメリカはあのヴェトナムでの致命的な敗北で 多くを学んだのではなかったのか ぼくは職場からすぐの カリフォルニア大学バークレー校の構内に駆けつけた 昼休みにリンゴとチーズをかじりながら デモの演説を聴いた 灰色の男たちが力を持っているのは、やつらは人に知られずに秘密に働けるからなんだ。だからやつらに打撃をあたえる方法は、あらゆる人たちにやつらのほんとうのことを知らせることだ。 子どもたちでデモ行進をするんだ!町じゅうの人に、説明集会に来てくださいって呼びかけるんだ。なん千、なん万もの人々が来て、ここが見わたすかぎりの人波でうめつくされたら、ぼくたちはおそろしい秘密をみんなに明かすんだ!そうしたら—世の中は一瞬にして変わってしまう! だれも人間の時間をぬすめなくなる。時間はまだいくらでもたっぷりあるようになる。友人諸君、ぼくらはその気にさえなれば、みんなで力を合わせてやれるんだ!」(p-143 ふくれあがった夢と、すこしのためらい) またあの時間泥棒たちの暗躍で 集会にはだれも来なかった 実際のUCバークレー校でも 60年代のヴェトナム反戦運動のような盛り上がりはなく 学生たちも イラクが攻めて来たのだから 立ち向かうのは当然だ という人が多い おまけにこの度の戦争は 国連多国籍軍まで参加してるんだぜ 地団駄踏む思いで数少ない集会に参加する 結局 戦争は一ヵ月強で終わり なんともやりきれない思いで構内に立ち尽くす 思えばこのときが 地球星の異常を痛感したはじめてのときだった モモをさがしにいこう かの女が時間の国から帰って来ていたら この大陸のどこかにいるはずだ かの女の存在を信じて 乳飲み子をかかえ この大陸をひたすら東に向かう旅に出た 金魚のFun & Fun: 一応詩のつもりなので一気に書き上げるはずが、例によって寄り道ばかり。この湾岸戦争とソ連崩壊の年に、僕はクルマでニューヨークに移住するのですが、時間の国に行ったモモを待つ続編は、少し時間をおいてみます。なぜなら、昨年からOWSの運動とともに、アメリカだけでなく地球星が激変している予感があり、いよいよ「モモ」が本当に帰って来て時間泥棒たちを消滅させてくれる、と思うからです。 かの女を待ちつづけるだけでなく、われわれのちからで世界を本当に民主化する努力をつづけなければいけない、と心から思う年頭です。 モモのいた場所 モモのいる時間(2)につづく
by nyckingyo
| 2012-01-17 04:05
| 浮遊的散文詩歌
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