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![]() たくさんのいのちが ほかのだれかによって奪われ あとに残された者たちは ひたすら 鎮魂の祈りをくり返すのみ それ以上 なにもできないこの地上の領域で 空を眺める 水を眺める 空には二條の光 水にはたくさんの灯籠 ![]() そこには ひたすら彼岸に通じる 道のようなものを感じることはできるのだが 時間の節目などあるはずもない 生き残った者たちの 10年が経ったという安堵感のようなものだけが そこを支配し 次の舞台装置の準備に励む 殺されたとされる ひどく寡黙な男という印象の 犯人像の風化は まったく新しいものを生み出さないまま 深く潜行する かれの写真の大きな口もとが動き出し 一瞬 新しい真実のかけらがつぶやかれるようにも思えるのだが ![]() やがては そこでなにが起こったか さらに おおぜいのひとがなにゆえに亡くなったかさえも 風化していく 二條の光は次の11年目の記念日のために消され 灯籠たちも彼岸にまでたどりつくまえに回収され 一年後にまたその水辺に浮かぶ 神聖なセレモニーは 年とともに ひととともに すこしづつ汚染され 生きている者の祈りだけが すこしづつそれを 浄化のほうへと押し戻す ただ その繰り返し ハドソンにたゆたう波 ![]() Read More つづきを読む ▲
by nyckingyo
| 2011-09-12 06:08
| 多層金魚の戦争夢
![]() 時間の逆行による 砲火の収斂 ![]() 今回の北の攻撃の直後、韓国の国防相は「事前に緻密に計画された意図的な奇襲」と言ったそうだが、外から観ると北の国内事情からの発作・痙攣(けいれん)的な攻撃としか思えない。 戦争とはいつも痙攣的にはじまり、痙攣的につづく。最初に痙攣症状を起こした北朝鮮と敵対する、その痙攣症状が感染してしまった被害者同盟=韓日米(実は間接的加害者といってもいいのだが) の冷静なる判断を心から求める。 ほぼ定期的といえるほど頻繁なパレスチナ紛争も、実はまことに痙攣的発作である。アフガンもイラクも9-11の報復という似非大義を立てたが、本当は世界一の大国が、過肉食ゆえの病的発作を起こしているにすぎないのだ。 ![]() 前稿の詩のなかにも書いたが、ヴォネガットは「国のない男」のなかで、「ユーモアとは恐怖に対する生理的反応だ」と言っている。アメリカ人は、第二次大戦後日本に平和憲法を与えて戦争を放棄させ、自らは律儀に実に多くの戦争を生産している。自国の多数の若者の命を賭して、世界中に戦争の火種をつけまわって世界を不安定にさせることに貢献しつづけている。これを笑いとばさずに、ほかにどのような精神安定剤があるのだろうか。行間からあふれ出るヴォネガットのふしぎなイマジネーションと、われわれの不安をもっともかき立てる現実社会の暗黒に限りなく近い部分を接着し、新しい平和のイメージをさぐる試みをどうかトライさせていただきたい。 ![]() ![]() ![]() ![]() そのときなにげなくつけたテレビの深夜映画の画面は、いったん逆行し、やがてもとの流れに戻る。それは第二次大戦の米軍爆撃機隊の映画だったが、ビリーが「逆向き」に見た映画のあらすじはこうである。 Read More ▲
by nyckingyo
| 2010-12-02 12:47
| 多層金魚の戦争夢
![]() ![]() これまでに三度足を運んだが、その都度、すでに日本に返されたものの代わりに新しい美術品が展示されていて、これは日本に住んでいたとしても、とても観ることのできない貴重な体験である、と思い知ったのでありました。 ![]() ここメトロポリタン・ミュージアムは、今年から週末の金土曜日のみ8:45pmまで開くようになった。外は激寒の金曜の夜7:00pmをすぎると、さすがの巨大館内もぐんと客足が減る。大きな部屋にひとりだけという瞬間もあり、その暗く広い空間で古代から中世の日本で造られた刀たちと対峙する。 ![]() 大般若長光(だいはんにゃ ながみつ)と称されたこの太刀は、正面から見ると、乱れ映り立ち、刃文は重花丁子を交え、焼きに高低がついた絢爛豪華な作風を示す。大きく反った全身は、まさに大きな「面」として、鑑賞者に迫る。その太刀がまわりの空気を斬り、大きな面のまま迫りくる光景は、豪快のことばの意味をとうに越え、それが存在する部屋全体を、そこにいる人びとのこころを、まさに震撼とさせる。 背伸びしてプレキシグラスの上部から覗き込むと、その太刀は「線」ともよめる。線に沿い切り裂く。 ![]() さらに切先のある側面ににじり寄り、その洗練されつくした形状の変化を眺むれば、太刀は一瞬「点」と化す。その「点」が、まったき静寂のなか、それがしの身体に迫り来て、肉を衝く、内臓を貫く。げげっ。 ![]() ![]() ものごとを、身体と精神、ものとこころ、強い弱い、敵と味方、男と女といった、二分法で割り切ろうとすると、なにか大切なものが抜け落ちると考え、その抜け落ちる側を捉えると「たましい」という答えが残るというわけだ。 西洋の、いやこの近代の世のすべてをとり仕切っている二元論で抜け落ちてしまった「たましい」は、いまなぜかここメトロポリタンに蘇っている。 ![]() そのモノが、創造された瞬間のプロセスを、まさにたましいに刻み込み、もう一度その太刀と対峙する。まことに見事な心技一体。 そして刀のたましいは、生まれた瞬間からその制作者、そしてそのあと持ち主となったサムライによって、鍛えつづけられ、育ちつづける。 幾度の合戦でかって太刀であったものが、小刀として打ち直し、研磨し直されたものもある。その刃を見直せば、多くの傷口が研ぎ切れないままに残されている。ここにある刀というモノには、歴代の所有者の精神のすべてが、まったく隠れることなく、そのまま「かたち」として現れているのだ。 ![]() 深山で、あるキコリが斧をふるって大木を伐っていたときに、いつのまに来たのか、サトリという異獣が背後でこれを見ている。「何者ぞ」ときくと「サトリというけものに候」という。あまりの珍しさにキコリはふと生捕ってやろうと思ったとき、サトリは赤い口をあけて笑い、「そのほう、いまわしを生捕ろうと思ったであろう」と言いあてた。キコリはおどろき、このけもの容易に生捕れぬ、斧でうち殺してやろうと心中たくらむと、すかさずサトリは「そのほう、斧でわしをうち殺そうと思うたであろう」といった。 キコリは、ばかばかしくなり(思うことをこうも言いあてられては詮もない。相手にならずに木を伐っていよう)と斧をとりなおすと「そのほう、いま、もはや致し方なし、木を伐っていようと思うたであろう」とあざわらったが、キコリはもはや相手にならずどんどん木を伐っていた。 そのうち、はずみで斧の頭が柄から抜け、斧は無心に飛んで、異獣の頭にあたった。頭は無惨にくだけ、異獣は二言と発せずに死んだという。(司馬遼太郎「竜馬がゆく」巻一 p-247) ![]() 無想剣とは斧の頭なのだ。斧の頭には心がない。ただひたすらに無念無想で動く。異獣サトリは心妙剣で、無想剣は斧の頭。剣の最高の境地であり、ここまで達すれば百戦百勝が可能である、という。 この話は、当時の坂本龍馬の剣がこの無想剣の境地に近づいているのではないか、という想像をした周作の弟にあたる貞吉が、息子の重太郎に言いきかせる、という設定で書かれている。 ![]() Read More ▲
by nyckingyo
| 2009-12-19 10:10
| 多層金魚の戦争夢
![]() 多層金魚の戦争夢 (3) 理念はすべて世界遺産に よりつづく ![]() ![]() 18ヵ月という「戦争期限」を設定したことも、まったく矛盾の塊である。どこの世界に期限付きの戦争を明言できる指導者が存在するのか。たった一年半だからそのあいだだけ、戦ってください、殺されてください、というように聞こえる。だから第二のヴェトナムにはならないだろう、だって? 前大統領が狂信的にはじめたイラク戦争がすでに第二のヴェトナムそのものであり、アフガニスタンはパキスタンとともに、すでに第三のヴェトナムやカンボディアになりきっているのではないのか。 ![]() ![]() ![]() 冷戦という構造はなくなったものの、いまのこの情勢はかたちとして、1961年からのジョン・F・ケネディがヴェトナム増派をしはじめた時代と酷似している。アメリカはこれからアフガニスタンに深入りしていくだろうし、そこでの早期勝利はありえないだろう。ヴェトナムとおなじ泥沼の戦争がつづき、いずれが勝利したとしてもその結論は不毛である。 ケネディは62年のキューバ危機でソ連との全面核戦争を寸前でストップした英雄とされているが、その後世界の冷戦体制は、ヴェトナム戦争をかかえたまま、平和共存へと向かっていく。当時のケネディにはヴェトナムからの米軍の段階的撤収計画があり、その次の大統領選後にはヴェトナムからの米軍全面撤退を考えていたが、その以前にケネディは暗殺された。その黒幕はいまだに不明だが、軍産共同体、当時の副大統領自身(『ケネディを殺した副大統領』文芸春秋社)などという説が根強い。いずれにせよ大規模な戦争をやめられては困る勢力があり、かれらの意志がケネディ暗殺を行なったのではないか、とされている。」 ![]() あるいはそれら「影の資本家たち」は、大量の石油資源があるイラクにくらべて、アフガンというドラッグしかない不毛の土地で戦う無意味を知っていて、もっと大規模な戦争を想定するのではないか。アフガンでの戦闘は、その伏線としてのみ存在しつづけていればいいと考えているのではないか。そしてその後の大規模戦争なかの最悪の結論は、核戦争であり、それは即、人類の滅亡を意味する。」 ![]() 僕から見れば、この友人自身が、充分に「資本家」のひとりである、と思うのだが、僕のためにあえて客観的に(目には見えない)闇の権力者の悪行を説明されていたように観えた。幸か不幸か僕自身はいままでの人生でカネや権力や利権などから、ほど遠い世界に住みつづけていたが、もしそんなものの片鱗が手に入る可能性があるとなれば、恐ろしいことだがこの部分の意識は徐々に変化していくのだろう。そういった者たち、またはそういう夢を持ちたいだけに終わるであろう実に多数の者たちの「集合無意識の顕在化」と考えれば、しごく当然にこの現代を覆っている「インスタント地獄」が成立するわけだ。 ![]() ![]() 「私のいう平和とは何か? われわれが求める平和とは何か? それはアメリカの戦争兵器によって世界に強制されるパックス・アメリカーナ(超大国アメリカの覇権が形成する「平和」)ではない。そして墓場の平和でもなければ奴隷としての安全性でもない。われわれのもっとも基本的なつながりは、みんながこの小さな惑星に住んでいることである。われわれはみな同じ空気を呼吸し、われわれはみな子供たちの将来を案じている。そしてわれわれはみないつか死ぬ。われわれのジュネーブでの基本的で長期的な関心は、全面的かつ完全な軍縮である。この軍縮は段階的に行われるよう計画され、平行した政治的な進展が、兵器にかわって新たな平和機構を設立することを可能にする。」そして米英ソ間で核実験禁止条約に関する話し合いを始めることを明言し、「他の国が核実験をしない限り、アメリカも再開することはない」と宣言した。 そしてそのすぐあとの7月、米英ソの間で部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結されることになる。 Read More ▲
by nyckingyo
| 2009-12-04 10:00
| 多層金魚の戦争夢
![]() 多層金魚の戦争夢 (2) 理念はすべて世界遺産に (上)よりつづく ![]() 「平和ボケ!」と相手をののしってしまったが、実は大ボケにボケているのは、僕もあなたも皆さまお互いさまで、まるで戦場にも負けない過酷な仕事場を離れて、夕方一献傾けるときまで戦争の話など無粋じゃ、快楽が大事じゃ、β-エンドルフィンの放出競争じゃ、となるわけであります。 ![]() 平和憲法をもったから平和ボケが横行しているのではなく、平和に対する意識の少ない人間がボケるのである。自分のことも含めて、あまりにふがいないわれわれの意識すべてを弾劾したい気分になった。そしてわれわれになるべくそういう意識をもてなくさせる巨悪が潜んでいる。現にここ最近までのアメリカという国を観てみたまえ。テロに屈するな、と煽動している御仁ほど、オレたちが戦争しているから、お前たちは平和ボケでいられるのだ、と事の次第を逆説的に強調していた。 ![]() ![]() まあしかし、平和ボケにならないために、戦争映画を観たり、反戦活動をしなければならないというのも、なんともなさけない話で、そんなボケが相手のことを平和ボケと罵ってもまったく説得力がないわけでして…。数えたらここまでで「ボケ」ということばを、写真キャプションを含めて22回も使ってしまいました(ワザとだけど)。言霊の復讐がコワい。のべにして、ン千人に読んでもらったとして、 x22 で悪いサウンズの言霊の数は、えぇっと…。 ![]() ![]() 1945年8月15日に日本の社会は木っ端みじんに切り刻まれ、細切れになった。その暗黒だけの世界をもう一度はっきりと見直すべきである。そして、その二年後にできた憲法九条の意味をかれはこのように辛辣に語る。 ![]() ところが、一方で人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの九条の条文を選択する以外にないといえる。だから憲法九条を良い方に考えると「人類の道しるべ」だということもできる。人類の輝かしい平和の道しるべであり、同時に日本自身の軍国主義への死刑判決でもある。その両面をもつのが憲法九条です。 ![]() 本当ならその国家の死刑判決をうけたという屈辱と、自らを再生させるための輝かしい道しるべという理想の面をつき合わせなければならなかったはずだ。そのうえではじめて、日本人は今後どういう生き方をし、人類全体にどういう呼びかけをしていくかと言う苦悶がはじまったはずです。でも当時はだれひとりとしてそういう指摘をしなかった。 むの:当時の日本人は、戦争を天皇に命じられ、国家に要求されてやったものだから、自分が加害者だという自覚が乏しい。しかも300万の同胞が死んでいるのに、自分たちは生きているわけですから、そういう幸福感のようなものが無意識に身体の中にあったと思いますね。私自身、その点で戦争というものを非常に甘く観ていたと思います。 ![]() Read More ▲
by nyckingyo
| 2009-11-23 08:07
| 多層金魚の戦争夢
![]() 多層金魚の戦争夢 (1) - 軽きを縛り、重きを放つよりつづく ![]() ご両人とも「変革」を旗印に政界をのぼりつめた。のぼりつめてみれば、その変革をさえぎろうとする既存勢力とやらが異常に反発してくる。おまけにいままでいっしょに変革を叫んでいたはずの国民の中身はといえば、いつのまにかそれぞれが勝手に超多層の意識に分断分裂しており、そのそれぞれが、おまえを押し上げてやったのはオレだ、とばかり強く主張し、まとめることもおぼつかない。それぞれの地域での民意を汲んだ議員たちも、敵味方かまわず八方から襲いかかる。ボスはなかばやけばちになりながらも、自らの理念を貫き通す演説をつづけなければならぬ。 ![]() ![]() ![]() 保守系某紙は「日本は同盟国の米国との関係がぎくしゃくしはじめた」と書いているが、まったくそんな風には見えない。ゴマドーフ効果。 フゥム、じゃあご両人、いったい全体、核のない、戦争のない、友愛社会というのは、どの辺に行っちゃったのでしょうか? ああ、ああいういわゆる「理念」というあれなら、イースター島のモアイといっしょに整列させ、ノーベル平和賞といっしょに飾り「世界遺産」にしちゃいました。 ![]() ![]() ![]() 太田:憲法九条の議論に関していえば、矛盾だらけですよ。改正しようという側は、あれはアメリカに押しつけられたものだからと言う。憲法改正はアメリカも望んでいることです。だけど改正派がアメリカ側なのかというとそうではない。憲法問題に関しては、改憲派も護憲派も都合のいいように、アメリカを否定したり肯定したりしている。 中沢:お笑いの最高の材料ですね。(笑) 太田:アメリカを全否定したり、全肯定したりしているうちはだめだと思います。僕が原稿を書くと「反米」だといわれる。しまいには「反日」だといわれることもあるんです。でもそれは違うよと。あの憲法をつくれちゃう無邪気なアメリカのセンスは好きなんですよ。あの時点で「自由」「平等」「平和」といった、夢のような言葉を声高に言えちゃうのは、すごい。(p-62) ![]() Read More ▲
by nyckingyo
| 2009-11-18 11:13
| 多層金魚の戦争夢
![]() ![]() ![]() — 何度目に読み返してもドキドキしてしまう導入部である。 ![]() ![]() まあそれはともかく、この改訂版の「はしがき」から、クラーク氏自身がはじめてあのオーヴァーロードの「巨大円盤」のイメージと、未知との遭遇をした場面を見つけた。 ![]() 背後で太陽が沈もうとしていた。ロンドンまではまだ三十数キロを残していた。車は丘の頂きを越えて—その瞬間、眼に飛びこんできた光景はあまりにも信じがたいものだった。そう、ヴァルがブレーキを踏んで車を停めずにはいられなかったほど、それは美しくもあり、恐怖を感じさせるものであった、未来の世代があれと同じ光景を目にする日が来ないことをひたすら願う。 何十もの、いや、何百もの鋭い輝きを帯びた銀色の「防空気球」がロンドンの上空に浮かんでいた。その様はさながらロンドン上空で待機する宇宙船団だった。長い一瞬が過ぎた。その間に、私たちは遠い未来を夢見た。空に鋼鉄のフェンスを設けさせた戦争のことなど、そのときは頭からきれいに消えていた。 ひょっとしたら「幼年期の終わり」のアイディアはあの瞬間に生まれたのかもしれない。 1989年7月 スリランカのコロンボにて、 アーサー・C・クラーク ![]() ![]() 防空気球(阻塞気球)barrage balloon とは、飛行機による低空からの攻撃を防ぐために金属ケーブルで係留された気球である。敵機を確実に破壊するため、少量の爆発物をつけたものもあったという。 1938年、都市や要地を守るために British Balloon Command が創設された。防空気球は、5000フィート以下の高度にある急降下爆撃機をより高くへ、つまり高射砲火の集中する高度まで追い上げるよう設置される。高射砲は、低空を高速度で飛ぶ飛行機を捕捉するほど素早く動かすことができないからである。終戦までには3000近くの防空気球が作られ、そのうち三分の一以上はロンドン周辺に置かれたという。 ![]() ![]() ![]() 軽いものを自分たちの上空に係留し、戦時都市における空襲爆撃からのディフェンスにする。その下にいる人びとの精神状態は、あいかわらず敵の空襲の恐怖にとめどなく重いままであるが、気球という軽さをこころに留めおき、クラーク氏のようにそれを眺めることで、多少の気晴らしにはなる。その防空気球群を見たことから、戦争のまっただなかに、戦争のまったくなくなった世界を夢想したかれの意識が、オーヴァーロードというまさに神が変身したような宇宙人を創りだした。何千年も仲間を殺戮しつづける愚かな人類にむけて、西洋男性原理の縦型のピラミッドの頂点のそのまた上に、超人類宇宙人という仮想神を据えた。その気球のように軽いイメージの巨大円盤のなかには、無言の威圧で全人類を押さえ込むことができる、重い重いちからを宿している宇宙人がいる。しかしその威圧を威圧と感じないで正統な行為を行なう人類、もうこれ以上戦争をつづけないと宣言した人類に対して、オーヴァーロードの存在はかぎりなくやさしい。ここにはやはり、その第二次大戦下の防空気球とフィクションのなかの巨大円盤のイメージが重複している。 Read More ▲
by nyckingyo
| 2009-11-11 05:45
| 多層金魚の戦争夢
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