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多層金魚の戦争夢 (3) 理念はすべて世界遺産に よりつづく 一昨夜のオバマのNY陸軍士官学校でのアフガン増派の訓示には、事前から内容が知らされていたものの、改めてまったく失望した。2008年の春以来の、かれのさまざまな変革(革命)についての大きな期待が、すべてガラガラと音を立てて崩れていった。それまでの演説のような、言葉たちの美しさも、真実も、どこにもかけらほども見当たらない、いままでの大統領たちと何も変わらない不遜な態度 — 自分の国の数万の若者たちの命をまるでチェスの駒のようにもてあそぶ凡庸な声であった。大統領就任式のときに書きつづったように、かれに対する期待は、天地軸と左右軸の双方に膨大に増えつづけるほどに、そのあとの時間とともに「平方根化」してしまい、どんどん小さくなって最後には虚空に消えてしまうのだろうか。 明解なサウンズで、かれの口から数十度も発せられた、9-11、アルクァイダ、タリバン、などということばは、くり返せばくり返すほどに、オバマ大統領自身がそれらを確実に信じたうえで語っていないことが、より明解に観えてしまう。机上で実に周到に練り込まれた演説草稿だが、そこにはどこかにいつも確実に観えるはずの、かれの魂の真実の片鱗すら感じられない。「これは、やりたくはないが、やらねばならない」。そんな戦争による変革をいったいだれが望んでいるというのか。 18ヵ月という「戦争期限」を設定したことも、まったく矛盾の塊である。どこの世界に期限付きの戦争を明言できる指導者が存在するのか。たった一年半だからそのあいだだけ、戦ってください、殺されてください、というように聞こえる。だから第二のヴェトナムにはならないだろう、だって? 前大統領が狂信的にはじめたイラク戦争がすでに第二のヴェトナムそのものであり、アフガニスタンはパキスタンとともに、すでに第三のヴェトナムやカンボディアになりきっているのではないのか。 地元ケーブルTV局、NY1の電話アンケートでは、厭戦気分の大半の視聴者が、僕とおなじ、Disappointed! Confusing! Unbelievable! の言葉を口にしていたが、9-11 の報復としてしかたがない、必要である、という声ももちろん多数あった。こうした増派賛成の国民の声と、軍産共同体などの圧力を考えると、諦観がちらつくが、やはり決して許せない。世界の大多数が賞賛したプラハでの「核廃絶宣言」のことばがなんの真実も再生産できないままにフェイクになってしまった、という証明だけがなされた。半世紀前のケネディ時代、米英ソの部分的核実験禁止条約のほうが、まだなにかの形として残しただけもマシかもしれない。まるでいままで西部劇の正義漢のみを演じてきたスター・オバマが、突然悪漢の主役に抜擢され、そのうえで演技を酷評されている感じがする。アフガニスタンでの戦争は拡大する。収拾はつかないだろう。 その数日まえの感謝祭の夜、久しぶりに旧知のウォ—ル街のストック金融専門家と話し合う機会があった。市場原理主義の台風の眼のなかで働いているかれにとっては、僕のような人間がこのNYCに生息しつづけていていることが一種の奇蹟のように思われているようだ。まぁいくら戦争反対、新自由主義反対、弱者救済などと日々叫んでいても、そういった自分の主義の一部はどこかで全体とつじつまを合わせていないと、この星では生きていけないわけで、資本主義国に生息しているだれひとりの例外なく全員が、そのことの暗黙の了解をしながら暮らしているのだ。その金融業の友人と僕とは、当然のことながら主義主張や生活までがまったく違うものの、この星の近未来の予測の話になると、かれの意見が僕のものとひどく近いものになっていることに驚いた。できるかぎり反撥を避けて(驚くほど同意見が多かったが)かれの意見を聞いてみた。 「資本主義が、いまのようなかたちでつづくかぎり、景気刺激策としての戦争はなくならない。その唯一の批判勢力であった共産主義が事実上埋没してしまった現代、資本主義を抜本的に批判し、改革改善するものはない。 冷戦という構造はなくなったものの、いまのこの情勢はかたちとして、1961年からのジョン・F・ケネディがヴェトナム増派をしはじめた時代と酷似している。アメリカはこれからアフガニスタンに深入りしていくだろうし、そこでの早期勝利はありえないだろう。ヴェトナムとおなじ泥沼の戦争がつづき、いずれが勝利したとしてもその結論は不毛である。 ケネディは62年のキューバ危機でソ連との全面核戦争を寸前でストップした英雄とされているが、その後世界の冷戦体制は、ヴェトナム戦争をかかえたまま、平和共存へと向かっていく。当時のケネディにはヴェトナムからの米軍の段階的撤収計画があり、その次の大統領選後にはヴェトナムからの米軍全面撤退を考えていたが、その以前にケネディは暗殺された。その黒幕はいまだに不明だが、軍産共同体、当時の副大統領自身(『ケネディを殺した副大統領』文芸春秋社)などという説が根強い。いずれにせよ大規模な戦争をやめられては困る勢力があり、かれらの意志がケネディ暗殺を行なったのではないか、とされている。」 「同じような意味で、オバマがイラクの次にアフガンからも撤退してしまえば、たいへんに困る勢力が、オバマを暗殺する(または …するぞと脅している)ことは十分に考えられる。 あるいはそれら「影の資本家たち」は、大量の石油資源があるイラクにくらべて、アフガンというドラッグしかない不毛の土地で戦う無意味を知っていて、もっと大規模な戦争を想定するのではないか。アフガンでの戦闘は、その伏線としてのみ存在しつづけていればいいと考えているのではないか。そしてその後の大規模戦争なかの最悪の結論は、核戦争であり、それは即、人類の滅亡を意味する。」 この友人との会話は、感謝祭の夜だったから、オバマのアフガン増派演説の以前であり、その時はフムフムとあいづちをうち、聞いていただけだったが、その後のオバマのアフガン増派演説の終わったあと、さまざまなことがアタマのなかで符合しはじめた。 僕から見れば、この友人自身が、充分に「資本家」のひとりである、と思うのだが、僕のためにあえて客観的に(目には見えない)闇の権力者の悪行を説明されていたように観えた。幸か不幸か僕自身はいままでの人生でカネや権力や利権などから、ほど遠い世界に住みつづけていたが、もしそんなものの片鱗が手に入る可能性があるとなれば、恐ろしいことだがこの部分の意識は徐々に変化していくのだろう。そういった者たち、またはそういう夢を持ちたいだけに終わるであろう実に多数の者たちの「集合無意識の顕在化」と考えれば、しごく当然にこの現代を覆っている「インスタント地獄」が成立するわけだ。 1960年にアイゼンハワーのあと大統領に就任したジョン・F・ケネディは、アメリカ軍「軍事顧問団」の増派と、南ヴェトナム軍への軍事物資支援の増強という形の軍事介入拡大政策で情勢の好転を図ろうとしたものの、思惑に反して、南ヴェトナム解放民族戦線に敗北し、一向に事態は好転しなかった。その後ケネディ政権は、アイゼンハワー政権下の60年には685人であった南ヴェトナムに駐留するアメリカ軍「軍事顧問団」を、61年末には3,000人に増加させ、さらに63年11月には16,000人に増加させる。ケネディ大統領がテキサス州ダラスで狙撃されたのは、その直後の11月22日だが、前述のように、このときすでにかれの頭のなかには、その次の大統領選後にはヴェトナムからの米軍全面撤退を考えていたふしがある。 その前年62年にキューバ危機を回避したケネディは63年6月に「平和のための戦略」The Strategy of Peaceという有名な演説をした。 「私のいう平和とは何か? われわれが求める平和とは何か? それはアメリカの戦争兵器によって世界に強制されるパックス・アメリカーナ(超大国アメリカの覇権が形成する「平和」)ではない。そして墓場の平和でもなければ奴隷としての安全性でもない。われわれのもっとも基本的なつながりは、みんながこの小さな惑星に住んでいることである。われわれはみな同じ空気を呼吸し、われわれはみな子供たちの将来を案じている。そしてわれわれはみないつか死ぬ。われわれのジュネーブでの基本的で長期的な関心は、全面的かつ完全な軍縮である。この軍縮は段階的に行われるよう計画され、平行した政治的な進展が、兵器にかわって新たな平和機構を設立することを可能にする。」そして米英ソ間で核実験禁止条約に関する話し合いを始めることを明言し、「他の国が核実験をしない限り、アメリカも再開することはない」と宣言した。 そしてそのすぐあとの7月、米英ソの間で部分的核実験禁止条約(PTBT)が締結されることになる。 Read More #
by nyckingyo
| 2009-12-04 10:00
| 多層金魚の戦争夢
多層金魚の戦争夢 (2) 理念はすべて世界遺産に (上)よりつづく この戦争連載を読んでいるNY在住の友人から「お互いに平和な時代に生きることができて幸せですね」というメイルがとどいた。かれとしては「いいお天気ですね」というほどの軽いあいさつのつもりだったと思うのだが、折悪しく1967年のフランス映画「べトナムから遠く離れて」を観てきた直後で、過激な「戦争夢」に明け暮れていた金魚のオツムは激怒した。えらそうに「戦場から遠く離れているから平和なのか。問題意識がないヤツとはもうつき合えねぇ。」などという返信メイルを送ったあと、すぐに後悔することとなる。あれっ、まてよ、これほど戦争のことを考えていない普段の自分がどうだったのか、を振り返った。確かに9-11の直後はびっくり仰天でのたうち回ったが、テロの恐怖に苛まれながらのニューヨークの生活、なんて言ったって、四六時中そんなわけはない。いまだに日中行事のように殺人事件が横行するこの町に住んでいても、ああ平和だなぁ、という感激に浸る時間はけっこう多い。その瞬間は、戦争や暴力に対する問題意識はほぼ空っぽであり、ひたすら自分の脳内モルヒネがあふれ出ることに感謝しているだけの平和ボケである。遠いアフガンで大勢が撃たれているまさにその瞬間に、至福の平和を楽しんでいることになる。 「平和ボケ!」と相手をののしってしまったが、実は大ボケにボケているのは、僕もあなたも皆さまお互いさまで、まるで戦場にも負けない過酷な仕事場を離れて、夕方一献傾けるときまで戦争の話など無粋じゃ、快楽が大事じゃ、β-エンドルフィンの放出競争じゃ、となるわけであります。 ただ一般的なボケ(?)に関していえば、たいていのひとは完全にボケてしまうまえに、なにかのきっかけで気づく。 平和憲法をもったから平和ボケが横行しているのではなく、平和に対する意識の少ない人間がボケるのである。自分のことも含めて、あまりにふがいないわれわれの意識すべてを弾劾したい気分になった。そしてわれわれになるべくそういう意識をもてなくさせる巨悪が潜んでいる。現にここ最近までのアメリカという国を観てみたまえ。テロに屈するな、と煽動している御仁ほど、オレたちが戦争しているから、お前たちは平和ボケでいられるのだ、と事の次第を逆説的に強調していた。 いずれにせよたった60余年、いまだに世界は戦争の種だらけなのに、幸運とカネのちからで戦争から逃げ回り、列島のなかだけは平和のようですね、と平和ボケになりきっている(ように装って)しまうのはいかがなものかしら。ましてアメリカではアフガン増派が決定して、この国の若者が多数、殺し殺されの現場に行っているというのに、フィフスのセレブの店はあいかわらずの大盛況。不景気の二番底を迎えようというのに、いったんボケた精神はそう簡単にはなおりません。 現代の平和ボケを少し是正したければ、たとえば戦争映画を観ればいい。できるだけどぎついヤツ。そう思ってボケ防止のために映画館に行くと、あるわあるわ、戦争映画の大行列である。ここ十日間で五つの戦争関連の映画を観たが、観ようと思えばマンハッタンだけで20本以上が日々上映されている。そのほとんどが実に悲惨で、観終わったあと、重い鬱病に襲われそうになる。その一時的な精神の病こそが「反戦」という名で、意識下に潜っている重い無意識層の地下組織を刺激する。 まあしかし、平和ボケにならないために、戦争映画を観たり、反戦活動をしなければならないというのも、なんともなさけない話で、そんなボケが相手のことを平和ボケと罵ってもまったく説得力がないわけでして…。数えたらここまでで「ボケ」ということばを、写真キャプションを含めて22回も使ってしまいました(ワザとだけど)。言霊の復讐がコワい。のべにして、ン千人に読んでもらったとして、 x22 で悪いサウンズの言霊の数は、えぇっと…。 太平洋戦争の直後の日本では、それはもちろん映画鑑賞などではなく、実際まわりの三百万の仲間の死というかたちで具現化した。もう二度とこんなことをくり返してはならない、終戦の詔勅のあと、ほぼ全員が無意識の深い部分に「反戦」をしまい込んだ。やがてすぐ、この全国民の精神状態はそのまま憲法の条文となった、とされている。 ここにもう一冊、太平洋戦争の経験者の証言がある。戦争の世紀、20世紀のあいだの85年をジャーナリストとして生きて、「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書 2008年)を書かれた、むのたけじ氏(1915- )は、戦争の狂気を猛烈に弾劾しつづけ、人類が核廃絶にいたる匂いだけでも嗅がなければ、死ぬに死ねないと語られている。従軍記者としてひどい地獄を見つづけた証言には、文字どおりその本のなかのどの文字にも目を覆いたくなる感覚だが、この憲法九条の条文についても語られている。 1945年8月15日に日本の社会は木っ端みじんに切り刻まれ、細切れになった。その暗黒だけの世界をもう一度はっきりと見直すべきである。そして、その二年後にできた憲法九条の意味をかれはこのように辛辣に語る。 むの:あれを、とくに日本の進歩派などは、神様のお札のように立派なものとして、初めから祀り上げているけれども、それは違うでしょう。憲法九条とは、あれはいわば軍国日本に対する「死刑判決」です。軍備はもたせない、陸海空軍すべてだめ、交戦権も永久に放棄させる。これはあの乱暴な戦争をやった日本が、もう二度と国際社会で戦争はやれなくなった、ということにほかならない。言いかえれば、国家ではないという宣言です。交戦権をもつのが近代国家だ、ともいえるわけですから。要するに、日本は新憲法で完全に交戦権を奪われた。憲法九条は、軍国日本に対する死刑判決であり、ある意味において、国家としてはこれほど屈辱的なことはない、そう考えなければいけないわけです。 ところが、一方で人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの九条の条文を選択する以外にないといえる。だから憲法九条を良い方に考えると「人類の道しるべ」だということもできる。人類の輝かしい平和の道しるべであり、同時に日本自身の軍国主義への死刑判決でもある。その両面をもつのが憲法九条です。 しかし敗戦後に生き残った7000万の日本人はだれもその二面性に気がつかなかった。戦争が苦しかった、辛かった、悲しかった、という経験から、憲法九条を素直に受けたけれども、その条文のもつ二重性には何も考えなかった。 本当ならその国家の死刑判決をうけたという屈辱と、自らを再生させるための輝かしい道しるべという理想の面をつき合わせなければならなかったはずだ。そのうえではじめて、日本人は今後どういう生き方をし、人類全体にどういう呼びかけをしていくかと言う苦悶がはじまったはずです。でも当時はだれひとりとしてそういう指摘をしなかった。 むの:当時の日本人は、戦争を天皇に命じられ、国家に要求されてやったものだから、自分が加害者だという自覚が乏しい。しかも300万の同胞が死んでいるのに、自分たちは生きているわけですから、そういう幸福感のようなものが無意識に身体の中にあったと思いますね。私自身、その点で戦争というものを非常に甘く観ていたと思います。 そして連合軍の極東軍事裁判がはじまって、戦争責任者を処刑したが、むの氏がおかしいと思ったことは、本来罪に問われるべき多数が問われなかったことだという。おなじ無条件降伏国のドイツに対して連合軍は、戦後、ナチス追跡センターを設立し、10万人以上を捜査し、数千人に有罪判決を下した。ユダヤ人大虐殺をヒットラー一派だけの問題と見ず、全ゲルマン民族の責任と受けとめて、徹底的に戦犯探しをした。ドイツには小さな町にもユダヤ人がアウシュヴィッツに送られた溜まり場が、はっきりわかるように残されている。日本は日中戦争で多くの中国人を殺しながら、本気で詫びることをしていない。お金を払うことで謝罪代わりにしているが、そんな中途半端な謝罪ではなく、ドイツのように民族全体で、兵士の家族もいっしょになって詫びなければいけないと思いますね。 Read More #
by nyckingyo
| 2009-11-23 08:07
| 多層金魚の戦争夢
多層金魚の戦争夢 (1) - 軽きを縛り、重きを放つよりつづく 政治家とはつくづく厄介な職業だと思う。国を代表するトップともなれば、その人物の性向が、国の性向と相俟って議論される。来日時のオバマ大統領と鳩山首相の深層心理を分析すれば、両国の深層心理が浮かびあがるというわけで、あわれご両人は、自国だけでなく地球に住むあらゆるひとにココロを試されることとなる。 ご両人とも「変革」を旗印に政界をのぼりつめた。のぼりつめてみれば、その変革をさえぎろうとする既存勢力とやらが異常に反発してくる。おまけにいままでいっしょに変革を叫んでいたはずの国民の中身はといえば、いつのまにかそれぞれが勝手に超多層の意識に分断分裂しており、そのそれぞれが、おまえを押し上げてやったのはオレだ、とばかり強く主張し、まとめることもおぼつかない。それぞれの地域での民意を汲んだ議員たちも、敵味方かまわず八方から襲いかかる。ボスはなかばやけばちになりながらも、自らの理念を貫き通す演説をつづけなければならぬ。 理念の扉を開ける、「ひらけゴマ! 核廃絶!」。同時に現実の政治とやらと、自らが言いだしたその理念を、どこかで折衷しなければならない、「ひらけトーフ! アフガン増派!」「ハイハイその戦争の件はそれここに、ご用意しておきました。友愛印のお財布ごとお持ちくだされ。」理念と現実を折衷しつづければ、胡麻と豆腐をすり鉢ですりおろすように、変革などとてもおぼつかなくなる。信念の胡麻ばかりの世の中に変革しようと思っていたのが、すりつぶされた胡麻、ゴマかしたニセ胡麻がほんのすこし入ったインスタント・ゴマドーフになってしまった。それでも胡麻が入っているだけいいジャン、というひともいる。いや、私は変革以前の豆腐一丁を崩さず、冷や奴にて食したい、という御仁もいる。 とにかくアメリカの新大統領はカッコよかったッスね。演説はサイコーだし、足は長いし、ハンサムだし。日本の新首相だって、比べてみれば少しの見おとりだが、歴代の自民党のボスがカッコ悪すぎたから、見栄えはまずまずではなかったかなぁ。しかしそれにしても、あっという間に帰られましたニィ。逃げるようにAPECと中国に行き、広島・長崎で待っていた市長さんたちもガックリ。きのう訪問の中国では首相とお揃いのスーツなんぞ着ちゃって、どこかちがうと勘ぐるのはヒガメなのでしょうか。 おまけに沖縄米軍基地のこともちゃんと釘を刺されて、日本側はグゥの音も出ない。属国だからしょうがないんです、と無言の無抵抗。でもイチオウ独立国なんだから、属国に反対!という声がないかと耳をすませたが、まとまった声はほとんどどこからも聞こえない。あれだけはっきりと民主党「沖縄ビジョン」に書かれていた基地のことが、米大統領がチラと寄っただけで、現政権はおろか国民の大半がガラリと意見を変えちゃったように観えてしまいます。 保守系某紙は「日本は同盟国の米国との関係がぎくしゃくしはじめた」と書いているが、まったくそんな風には見えない。ゴマドーフ効果。 フゥム、じゃあご両人、いったい全体、核のない、戦争のない、友愛社会というのは、どの辺に行っちゃったのでしょうか? ああ、ああいういわゆる「理念」というあれなら、イースター島のモアイといっしょに整列させ、ノーベル平和賞といっしょに飾り「世界遺産」にしちゃいました。 ここまで書いて、久しぶりに当地BookOffを覗いたら、太田光と中沢新一の対談集「憲法九条を世界遺産に」(集英社新書 2006年刊)を見つけた。僕が、両首脳の平和についての理念が身動きできない状態になったことを「世界遺産」と揶揄したとたん、このふたりはおなじ言葉で憲法9条を弁護している。3年前の本だが、コリャ読まなくちゃ、とあわててページを繰った。 ご両人とも大のファンで、中沢氏はこのブログに再三登場している。爆笑問題のTV番組は、当地に来るものは限られているが、折につけ何ヵ月遅れかのDVDで楽しんでいる。この本にも登場する「太田光の私が総理大臣に…」の番組は、実際の政治家とぎゃあぎゃあやり合ってやかましいだけの、いわばトーフ番組なのであまり観たくない。NHKの「爆問学問」は、毎回テーマはさまざまだが、純正本胡麻番組に近い感じでけっこうおもしろい。いずれにせよバラエティー白痴のTV界から、骨のあるコメディアンがひとりでも生まれたことは実によろこばしい。 この本の出版社の呼び込み文句:実に、日本国憲法とは、一瞬の奇蹟であった。それは無邪気なまでに理想社会の具現を目指したアメリカ人と、敗戦からようやく立ち上がり二度と戦争を起こすまいと固く決意した日本人との、奇蹟の合作というべきものだったのだ。しかし今、日本国憲法、特に九条は次第にその輝きを奪われつつあるように見える。この奇蹟をいかにして遺すべきか、いかにして次世代に伝えていくべきか。お笑い芸人の意地にかけて、芸の中でそれを表現しようとする太田と、その方法論を歴史から引き出そうとする中沢の、稀に見る熱い対論。 太田:憲法九条の議論に関していえば、矛盾だらけですよ。改正しようという側は、あれはアメリカに押しつけられたものだからと言う。憲法改正はアメリカも望んでいることです。だけど改正派がアメリカ側なのかというとそうではない。憲法問題に関しては、改憲派も護憲派も都合のいいように、アメリカを否定したり肯定したりしている。 中沢:お笑いの最高の材料ですね。(笑) 太田:アメリカを全否定したり、全肯定したりしているうちはだめだと思います。僕が原稿を書くと「反米」だといわれる。しまいには「反日」だといわれることもあるんです。でもそれは違うよと。あの憲法をつくれちゃう無邪気なアメリカのセンスは好きなんですよ。あの時点で「自由」「平等」「平和」といった、夢のような言葉を声高に言えちゃうのは、すごい。(p-62) まったくこのときのアメリカはすごかった。圧倒的戦勝国ということを全部差し引いても、アメリカの正義は日本という島のなかで偉大なオーラで輝きつづけた。先日NHKのドラマで憲法制定前後の白洲次郎の姿を観たが、GHQ草案(マッカーサー案)に抵抗したかれは、日本人自身だけで憲法を創ることに執着していた。もしそれができていれば、現憲法はいまとはまったくちがった、魅力のない、奇蹟的なちからをもたないものになっていた、と思う。 Read More #
by nyckingyo
| 2009-11-18 11:13
| 多層金魚の戦争夢
世界の主要都市の上空に巨大円盤が静止し、なかの宇宙人オーヴァーロードが実質的に地球を支配してしまうというストーリー。ある意味でのユートピア小説といえるこの故アーサー・C・クラークの古典SF「幼年期の終わり」については、すでに何度も書いているが、出だしの要旨をもう一度復唱したい。 近未来のある日、直径数キロにおよぶ銀色の巨大円盤が、ニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワ、ローマ、ケープタウン、東京、キャンベラなど世界の主要都市の真上に静止した。それはそれまで地球上で人類が万物の霊長だったことの終焉を意味した。その6日後、宇宙人の代表、地球総督カレランがあらゆる電波を掩蔽する強力な電波で自己紹介をした。完璧な英語である。その言語にもましてひとびとを仰天させたのは演説文句だった。どこからみてもいままでの人類だれもが及ばなかった天才の作品であり、人間というものに対する完璧な、徹底的な理解を示していた。とある大国は恐怖のあまり、とち狂って宇宙船にミサイルを撃ち込んだ。それは円盤に命中し大爆発を起こしたが、その巨大な宇宙船は無傷でもとのままの空間に浮かんでいて、何ごとも起きなかった。 — 何度目に読み返してもドキドキしてしまう導入部である。 しかし89年にクラークが、この名作のいちばんインパクトのある第1章の導入部を少しだけ書き直したことについては、まだふれていなかった。— 日本語訳・光文社古典新訳文庫・池田真紀子訳 2007年刊。1953年の初版本の時代設定の感覚がずれてしまったことが書き直しの理由で、導入部以外はほとんど変更されていない。小説がはじまる時点が、米ソの宇宙開発競争の時代から、冷戦が終結し地球規模で宇宙開発に取り組んでいる時代になったということである。人類が月の大地に足を降ろす以前か、以後かという問題だけなのだが、クラークにとっては宇宙史のなかでその一歩はやはり「大きな飛躍だった」ということなのかもしれない。ちなみにクラークはアポロによる最初の月上陸のあとすぐに、次に人類が月の土を踏むのは50年後の2019年頃、という21世紀のいまの現状にかなり近い予測をしている。(「2001年宇宙のオデッセイ」は、アポロ11号以前の構想。) ただ、この小説をSFのバイブルのように読み解いてきた長年のファン=僕には、新日本語訳も実に流暢に入ってくるものの、そのことを差し引いてもこの著者自身の小さな改変はどうも気にくわない。科学というものに深く裏打ちされたクラーク氏の思考は、ともすればコンサヴァティヴに映るが、一皮を剥くといつも実験と改変をくりかえしている。われわれ読者の方がいつのまにか与えられた実験精神を固定化させ、にっちもコンサヴァティヴ、さっちも動かなくなった概念に縛られてしまうのかもしれない。 まあそれはともかく、この改訂版の「はしがき」から、クラーク氏自身がはじめてあのオーヴァーロードの「巨大円盤」のイメージと、未知との遭遇をした場面を見つけた。 あれは1941年夏の美しい夕暮れ時だった。私はいまは亡き友人ヴァル・クリーヴァーの運転する車でロンドンに向かっていた。 背後で太陽が沈もうとしていた。ロンドンまではまだ三十数キロを残していた。車は丘の頂きを越えて—その瞬間、眼に飛びこんできた光景はあまりにも信じがたいものだった。そう、ヴァルがブレーキを踏んで車を停めずにはいられなかったほど、それは美しくもあり、恐怖を感じさせるものであった、未来の世代があれと同じ光景を目にする日が来ないことをひたすら願う。 何十もの、いや、何百もの鋭い輝きを帯びた銀色の「防空気球」がロンドンの上空に浮かんでいた。その様はさながらロンドン上空で待機する宇宙船団だった。長い一瞬が過ぎた。その間に、私たちは遠い未来を夢見た。空に鋼鉄のフェンスを設けさせた戦争のことなど、そのときは頭からきれいに消えていた。 ひょっとしたら「幼年期の終わり」のアイディアはあの瞬間に生まれたのかもしれない。 1989年7月 スリランカのコロンボにて、 アーサー・C・クラーク 小説のなか、人類の戦争という戦争を消滅させることになる「巨大円盤」の発想の原点は、なんとクラークが、ナチスの空襲に脅えるロンドン市民が設置した「防空気球」が黄昏の空に浮かんでいるのを見たことから、ということだ。 防空気球(阻塞気球)barrage balloon とは、飛行機による低空からの攻撃を防ぐために金属ケーブルで係留された気球である。敵機を確実に破壊するため、少量の爆発物をつけたものもあったという。 1938年、都市や要地を守るために British Balloon Command が創設された。防空気球は、5000フィート以下の高度にある急降下爆撃機をより高くへ、つまり高射砲火の集中する高度まで追い上げるよう設置される。高射砲は、低空を高速度で飛ぶ飛行機を捕捉するほど素早く動かすことができないからである。終戦までには3000近くの防空気球が作られ、そのうち三分の一以上はロンドン周辺に置かれたという。 大空を自由にフワフワと移動できる気球には一度は乗ってみたいとは思うが、それらがケーブルでがんじがらめに地上に係留され、敵機と接触するためにそこに浮いていると聞くと、なんだか気球が家畜のように扱われているようで、実にかわいそうに思えてくる。平和時にゆっくりと大空を飛んでいる気球には、だれが見ても平和のイメージが象徴されている。ロンドン上空に浮かぶ多数の防空気球を見た人びとは、クラークにかぎらず、戦争と平和のだぶついたイメージで複雑な心境であったのではないだろうか。 最近このブログに頻繁に登場するピンク・フロイドのアニマル・コンサートでの巨大豚のバルーンは、この家畜動物のおかれた立場をうまく表現している。飛びたい!が、飛べない。牧場の柵の周辺をうろうろし、やがては人類の消化器官に消えていく運命の肉体。それはソリッドな重い肉のかたまり、ハムやベーコンなどに変形しつつ、その実、人間にとって豚そのもののイメージは気球のようにはてしなく軽い。豚と気球を混同して並記するなど、いよいよ頭がおかしくなったんとちゃいますか? だがしかし、現代の都市に空襲の危機が訪れれば(そのようなかたちの空襲など、もはやありえないのだが)、僕はまちがいなくこのかわいいピッグ型防空気球を提案する。 この稿は過去の戦闘の記録を象徴化させ、現代のわれわれの精神のなかに隠れている不条理な戦闘の意識に訴えようとしている。 軽いものを自分たちの上空に係留し、戦時都市における空襲爆撃からのディフェンスにする。その下にいる人びとの精神状態は、あいかわらず敵の空襲の恐怖にとめどなく重いままであるが、気球という軽さをこころに留めおき、クラーク氏のようにそれを眺めることで、多少の気晴らしにはなる。その防空気球群を見たことから、戦争のまっただなかに、戦争のまったくなくなった世界を夢想したかれの意識が、オーヴァーロードというまさに神が変身したような宇宙人を創りだした。何千年も仲間を殺戮しつづける愚かな人類にむけて、西洋男性原理の縦型のピラミッドの頂点のそのまた上に、超人類宇宙人という仮想神を据えた。その気球のように軽いイメージの巨大円盤のなかには、無言の威圧で全人類を押さえ込むことができる、重い重いちからを宿している宇宙人がいる。しかしその威圧を威圧と感じないで正統な行為を行なう人類、もうこれ以上戦争をつづけないと宣言した人類に対して、オーヴァーロードの存在はかぎりなくやさしい。ここにはやはり、その第二次大戦下の防空気球とフィクションのなかの巨大円盤のイメージが重複している。 Read More #
by nyckingyo
| 2009-11-11 05:45
| 多層金魚の戦争夢
巨大カタツムリ美術館の頂上までエレベーターで昇り、カンディンスキー 1866 - 1944 の最晩年の作品群から観はじめて、まさにぶっ飛んだ。 生きている「幸福感」で満ちあふれ、さきほどまで地上で悩んでいたことなどすっかり消え失せてしまい、脳が小刻みにふるえている。絵のなかで「魂」の断片(それが部分であることをはっきりと認識はできないが、そのように観えるもの)が踊り狂っている。つられて当方の肉体も「もう、どうにもとまらない」状態がつづき、ついには踊りはじめるのだ。まわりのアメリカ人が少し奇異な眼で、少し楽しそうに僕を見つめている。ななめ後ろの女性の肩も小刻みに揺れはじめている。どうして抽象絵画を観ただけでこんなにβ-エンドルフィンが噴出するのかさっぱりわからぬ。 と、このように書くと、金魚さんはNYCに長いから、いい年こいて、ナニかよからぬモノをやっているのではないかいな、と勘ぐる向きもございましょうが、若い時分はともかく、およそドラッグの名のつくものを断って久しい。マリファナだけは別。これは断固ドラッグなどではありません。史上最強のドラッグ、アルコールというものまで控えなくてはならぬ状態になり、ギャラリーのオープニングでワインをひと嘗めする以外にはほとんど嗜まなくなった。何度もくり返している通り、もともとセイヨー医学が大嫌いで、時たまやって来る痛風発作の痛みに耐え切れず、やむにやまれず鎮痛剤を1錠だけ呑んでしまうことはあるが、その他はクスリと名がつけば、風邪薬、水虫薬、タムシチンキに至るまで拒否反応を起こすわけで、純潔な処女のごとく、実に慎ましい生活でありますのだ。なんて強がりを言っているが、オバマさんの国民皆保険法案が通らぬかぎり、医者にも薬にも縁がないというのがNYC貧民の実情ということです。 とくに最近は、ほっておいても体内の陰陽バランスが崩れること多多多で、たいへんなので、前回の連載でも綴ったように、玄米正食道に励んでいる。粗食に徹し、食べすぎを避け、実に清廉潔白な身体に改造してしまったおかげで、たまたまいつも食しているものとちがうモノを摂ると、本人の意志とはカンケーなく、なんでもそれなりにけっこう効いてしまうこととなる。日本からの珍しい温州みかんよ、などと言って出されると、もうそのことばのサウンズだけで下手なマリファナなんぞよりもうんとぶっ飛ぶ。本国では子たちまでも、いまどきなによこれ、と顔をそむける虎屋の羊羹・夜の梅などを食せば、あれよあれよと蔡國強の大虎たちの幻覚が宙を舞い、幾万の矢がわが体内の虎を貫いている。上述のギャラリーのワインでもひと舐めするや、べろんべろん、オープニングに来ている満員の観衆が眼のなかでどんどん縮小され、ギャラリーのフロアにうごめいて、大名行列ならぬサッカーをしているように観える。ことほど左様なものなのである。僕以外の現代人のほとんどの方たちは、飽食がすぎて、なにを喰っても摂っても効かぬ身体になっちゃって、しまって、いるので、あるのでは、ないだろうか、と思う次第でありました。 と、ここまで執拗に書くとおせっかいな向きには、なーんや、シラフで飛んでゲンカク見るなんて、おもろないオッサンやなぁ、あかんヤッチャなぁ、ということになり、人気ブログランキング(文字量に余裕がなく、もうやめてしまいましたが)にも影響するので、ここでだけもう少しばらすと、自分でいうのもナニだけど、若いころは意識革命のためにという口実で、結構いろいろトライしました。このことはいつか後述するかもしれません。 まあでもね、話を元に戻すと、なんでもかんでも、飲んだら効く、食べたら効く、というわけではないちゅうことです。逆になんにもヤッてない「シラフ」で、腹ぺこのこの状態がいちばん効くんとちゃいますか、ちゅうことです。あまり書くと、正常においしいものを食べれなくなった者のヒガミのようになってしまうので、ここでストップ。 のっけから、ずいぶん話がはずれたようにみえるけど、実はこれが今日の本筋につながっていく(はずである)。 そもそもこのカタツムリ館に来たのは、雨の土曜の夕方だからで、雨の土曜の夕方はクオーター(25セント)でこの美術館に入れるからで、雨の土曜の夕方はどしゃぶりのなか、余裕のないニューヨーカーが長蛇の列で傘をさして、いとしのカンディンスキ—とのご対面を待っている。雨の土曜の夕方はどしゃぶりのなかの金魚はといえば、ここ数年に彼岸に逝かれた多くを思い、かれらが雨の土曜の夕方はどしゃぶりのなかに還ってきて、それぞれがなにかをささやいて立ち去っていく。その雨の土曜の夕方はどしゃぶりのなかには、むろんカンディンスキ—氏も、このグッゲンハイムの建物を設計した、フランク・ロイド・ライト氏の精霊もいらっしゃいました。 そしてなんと、バウハウスの姉妹校だったウイーン工房でカンディンスキ—先生の授業を授けられたことのある、わがこころの師、リッチ・ウエノ・リックス女史も霊界から駆けつけて話しかけてこられた。「あんたも私の弟子のつもりやったら、カンディンスキー先生の孫弟子に当るわけやから、ちゃんと観とかなあきまへんえ」、おっとリッチ先生は日本語や京都弁はご堪能ではなかった。 まぁかくいうごとく、降霊祭の近づくそのようなどしゃぶりのなか、天からの降雨量と降霊量の攻勢に思いを託し、霊界からの実にさまざまな想念の行き交うなかに、このカタツムリ館に入ったのでした。 グッゲンハイム・カタツムリ館は今年開館50周年で、新装開店、タマの出が抜群になった。今年5月から8月までは50周年記念の、打ち止め台なしの大サービス、フランク・ロイド・ライト 1867 - 1959 の大回顧展。まあたくさんの建築模型とレンダリングが展示されていたが、それらの展示よりもなによりも、ライトのその代表作そのものが会場となって、全身に美しくお白粉を施され、半玉のお姐さんのように若々しく生まれ変わっていた。パチンコ店に例えるなど、ライト師にこっぴどく怒られそうだが、このときはフロアの展示物が少なかったせいもあり、実際渦巻きフロアの頂点から、大きなピンボールを転がしてみたい衝動にかられてしかたがない。 以前、蔡國強展の記事に、この空間のイメージを次のように書いた。 ご存知のように、グッゲンハイム美術館NYは、ライトの後期の建築作品で「カタツムリの殻」の形状である。エレベーターで最上階に行き、渦巻きの回廊沿いに大きい吹き抜け空間を見ながら降りてくるのが、展示作品のよしあしにこだわらずなんとも気持ちがよい。地獄からの直行便のような、キーファーやバスキアなどの作品が並んでいても、多少ではあるがなんとなく可愛げのある作品に変貌してみえる。まわりの壁面や回廊そのものが彎曲していることからくるのかもしれない。ライト建築の小さな魔法がつめ込まれた宝石箱である。 今回のカンディンスキー展は、このまわりの殻空間と抽象画作品のコンビネーションが、まさに抜群秀逸である。ここで冒頭に書いた、思わず飛び跳ねてしまう幸福感の情景にやっと戻る。ロックンロールのコンサートならば全員すんなりと溶け込むが、古い抽象画の回顧展で踊りだす御仁には、いくらNew York, NY(マンハッタン)とはいえ、ある種こまった子ちゃんである。 とはいえこのリードギタリスト=ライトとヴォーカル=カンディンスキーの絶妙のコンビには、揺れだした身体が止まらない。幸福感を刺激する絵画と建築という綜合環境を受容する精神の…えーっと、えーっと。金魚さん、やさしい話をわざとむずかしくするのはやめなさい。はい。 奇しくもこのふたりは19世紀のなかば、半年もちがわない生年月日で生まれている。ライトがヨーロッパにいたのは2番目の奥さんとの駆け落ちのときの2年だけ。ベルリンに滞在したというから、あるいは生前ふたりがどこかで遭遇したのでは、と金魚の創作癖はどこまで行けども終わらない。 Read More #
by nyckingyo
| 2009-10-30 05:04
| NYC・アート時評
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